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ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

日本の分割統治計画 ウィキペディア

2016年02月04日 | 好きな歌

日本の分割統治計画 ウィキペディア 

日本分割占領計画 

  • 語り(語り手) : 江守徹
    出演 : 佐分利信 、嵐寛寿郎
    声の出演 : 大滝秀治 、日下武史
    音楽 : 池辺晋一郎
    脚本 : 恩地日出夫

  • 太平洋戦争後、東西や南北に分割された国がある中、日本はアメリカの一括統治により分­割占領を免れます。しかし、アメリカは開戦当初から米英中ソの4か国による日本の分割­占領計画を検討していました。日本は、なぜ、分割されずに済んだのでしょうか。米国立­公文書館の極秘文書から、日本アジア分割案の誕生から消滅までの過程を描きます。脚本­・恩地日出夫、出演・佐分利信、嵐寛寿郎ほか。

 

  •  
    アメリカ国立公文書館に現存する計画書による日本の分割統治計画。東京都区部は米中ソ英4か国、近畿と福井県は米中2か国による共同統治。

日本の分割統治計画(にほんのぶんかつとうちけいかく)とは、第二次世界大戦において、ドイツが降伏後4カ国に分割統治されたように、本土決戦後の日本北海道本州九州四国連合国それぞれが統治しようとした計画である。

概要

実際の歴史

連合国は第二次世界大戦中、日本の古来の領土とともに、日本が明治以降に「獲得した地域」を連合国によって分割して占領、統治する方針を打ち出していた。連合国は日本降伏後、かかる地域を以下のように分割占領、統治した。

これらは、1945年(昭和20年)の日本降伏後に速やかに実行された。またソ連は北方四島への違法占拠を続けた。

これら占領地域には、日本が内地とした地域もあり、その点で言えば、日本領土は史実でも分割されている。しかし、本土決戦の回避により、上記以外の日本本土を構成する北海道本州四国九州沖縄及び付属島嶼は、連合国軍最高司令官総司令部(通称GHQ)によって1952年(昭和27年)までアメリカ軍とイギリス軍(オーストラリア軍ニュージーランド軍などを含むイギリス連邦占領軍)のみによる占領統治下におかれた。本計画では、これらの本土地域もソ連軍と中華民国軍にも分割することになっており、この項目で指す「分割」とはこの計画を指している。

日本分割占領案については、早い段階から連合軍将兵にも伝わっており、中華民国軍の兵士の証言では、ルーズベルトが中華民国軍を日本占領統治に参加させることを決定したとの話が兵士たちの間に伝わると、多くの中華民国軍兵士がこれを喜び、日本に上陸した際にどのような行動をとるかについて話し合ったという。

計画による統治区域

アメリカ国立公文書記録管理局に現存する計画書によると、

という計画であった(地図参照)。

廃案

この計画が廃案となった理由ははっきりしていない。有力な説としては以下が挙げられる。

  • 米軍が原子爆弾の開発・運用に成功し、核戦力を入手した事。
  • 核戦力の獲得に乗じ、ヤルタ会談で合意した事項の幾つかを撤回する動き・兆候をソ連が推測・警戒した事。
  • ドイツ降伏直前で急死した親ソ連のルーズベルト大統領に代わり就任していたトルーマン大統領による対ソ連外交政策の転換。
  • アメリカがイギリスのチャーチル首相から繰り返し警告されていた、戦後の社会主義国との対立を睨み、極東での陣地拡大と基地化を目論んでいた事。
  • 中華民国軍の総司令官でもある蒋介石総統が、日本占領時の食糧調達などの兵站を自らの手で賄わず、日本人からの徴発のみによって賄うと明言した。

その他にも、以下のような説などさまざまな主張がある。

  • 終戦直前、ソ連が南樺太千島列島に加えて、北海道北部(留萌市 - 釧路市を結ぶ線から北東側全域。留萌市・釧路市については分割せずソ連が占領)をも併合しようとする貪欲な姿勢を見せたため。
  • 日本で学んだ経験のある蒋介石が「報怨以徳」(怨みに報いるに徳を以ってする)に基づいた反対意見を出した為。
  • ダグラス・マッカーサーと親密で、反共主義者の吉田茂の猛反発があったため。
  • アメリカが日本の権益を独占しようとした策略。実際にアメリカ軍は、イギリス軍および政府が希望していた東京国際空港及び東京湾への英国海外航空の乗り入れを認めず、やむなく同社はイギリス軍が占領する岩国への乗り入れで我慢した。
  • 対日戦で中心的役割を果したのはアメリカ軍部隊である(実際はイギリス連邦軍と中華民国軍も大きな影響を与えた)にも拘らず、その日本をイギリス人、ソ連人、中国人と後から分割統治することに対する反発。実際にドイツや朝鮮半島など、連合国で分割統治計画があった地域でもほぼ自軍の占領範囲を統治することになった。
  • ポツダム宣言(第8条)は、北海道、本州、四国および九州と周辺諸小島を日本領とし、内地の一体性を認めているため、これを後から分割統治とすると、宣言内容と矛盾してしまう。反故にすると、速やかに大日本帝国陸軍を武装解除できず、日本軍は降伏を撤回し、最後の一兵まで戦う可能性があったとも言われる。
  • 当時の日本は天皇の下に団結しており、分割には天皇の処分が避けて通れない。しかし天皇を処分するとその後の統治が難しくなるばかりか処分国に対する報復戦が予想されるため、連合国の中から反対が出た。

この計画が実行され、仮にドイツや朝鮮半島ベトナムのように資本主義を支持する国と社会主義を支持する国で分割統治された場合、前述の国の例に鑑みれば、そのまま複数の国に分断されてしまい、最悪の場合は朝鮮戦争ベトナム戦争のように、日本人同士が相討つ事態になる可能性、さらにドイツのように再統一を果たしても、東西の経済格差がそのまま東西の差別と対立として固定化する可能性があった。また東京の共同管理にもベルリンと同様の困難を伴うと推察される。

関連項目

外部リンク


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