ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

Maskelyne and Cooke – House Of Mysteries (ロンドンのクリスタルパレス)

2014年07月27日 | 好きな歌

 Maskelyne and Cooke – House Of Mysteries

http://www.magicians-scrapbook.co.uk/maskelyne-and-cooke-house-of-mysteries/

 

 

House Of Mysteries - 謎の家

Jubilee Of London’s Oldest Entertainment - ロンドン最古の娯楽祝典

Conjuring Tricks Which Puzzled The World - 世界中を困惑させるトリック手品

News of the World Special –  April 1st 1923 -
1923年4月1日 - 世界の特別のニュース

Fifty years ago today two young men from Cheltenham, John Nevil Maskelyne and George Cooke, presented for the first time to a West-end audience an entertainment they have been giving for several years in the province and at the Crystal Palace with Considerable success.


五十年前の今日チェルトナムから2人の若者、ジョン·ネヴィルマスケラインとジョージクック、ウエストエンドの視聴者に初めて、彼らが地域でかなりの成功を収めてクリスタルパレスで数年前から与えてきたエンターテイメントを発表した。

The scene of the venture was the now vanished St James’s Hall in Piccadilly, and the entertainment, which was announced as one of “pure trickery,” comprised a reproduction of the feats of the once notorious Davenport Brothers, the first bogus spiritualists to make any impression in this country; Maskelyne’s wonderful box trick, perhaps the most talked about and most imitated illusion ever presented by a conjuror; a novel version of the once popular Decapitation trick; the phenomenally successful magical playlet “Will, the Witch and the Watch,” which was to be preformed for many thousands of times – the present writer witnessed a performance so recently as 1916 – and the first of Maskelyne’s marvellous levitations, in which, said a report of the performance “a lady literally floated in the air. The lady rises directly off the floor, where there is no trap, and remains suspended, full in the light, with nothing under her feet, over her head, or in any way visibly connected with her.”

ベンチャーのシーンは今ピカデリーにセントジェームズホールに消えた、との一つとして発表されたエンターテイメント、「純粋な策略は、「いずれかを作るために一度悪名ダベンポート兄弟、最初の偽心霊の偉業の再現を構成この国の印象;マスケリンの素晴らしいボックストリック、これまでコンジュラーによって提示された、おそらく最も語ら最もイミテーション錯覚;かつて人気の斬首のトリックの小説版。驚異的に成功した魔法の寸劇」は、魔女やウォッチ、ウィル「何千回ものために、予め形成されることになっていた - 筆者は1916年ほど、最近のパフォーマンスを目撃 - そしてここで、マスケリンの素晴らしい空中浮揚の最初の、言ったパフォーマンスのレポートでは、「女性は文字通り空中に浮いた。そこには罠がなく、中断したまま、完全な光の中で、彼女の足の下に何もない状態で、彼女の頭の上に、または目に見えて彼女と一緒に接続された任意の方法でどこに女性が、床から直接立ち上がる。"
続き
マスケラインとクック – ミステリーの家 - ロンドンにあった「エジプシャン・ホール」


 

クリスタル・パレス Crystal Palace

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)クリスタル・パレス (ロンドン)

  

 

ロンドン

マダム・タッソー館

マリー・タッソー


大英帝国と古代エジプト展 ~エジプシャン・ホール

<<   作成日時 : 2011/09/28 00:10   >> 

「エジプシャン・ホール」と名前のつく建物は現代日本にもあるが、元祖というべきか、本家エジプシャン・ホールは19世紀のロンドンに建てられた展覧会場である。もしかしたら日本のそれは何となくノリでつけたもので本家は意識していなかったのかもしれないが、何となくその名前を聞くたびに本家を思い起こしてしまう。
 


ロンドンのピカデリーに1812年に建てられたエジプシャン・ホールの外観。

画像
といっても、1904年の解体まで時代ごとに少しずつ外観が変わっていったようなので、この写真は開業当時とは異なっているはずだ。写真はフリンダース・ピートリがここでエジプト展を開催した末期の頃のもの。

初期の頃や途中の頃の写真とかは…、まあ、まあ、Wikipedia先生に聞くなりGoogle先生で探すなりすれば色々出てくるはずだ。


このホールがエジプトの外観をしているのは、ほかでもない、イギリスで熱狂的なエジプト熱が呼び覚まされようとしていたまさにその時代に建てられたからである。時のエジプトは、フランス人とイギリス人、そしてある程度はそれ以外の国の旅行者たちが荒らしまわっている時代。自ら盗掘し、または盗掘されたものを買い込み、ばんばん国外に持ちだしていたわけだが、持ちだされたものは遠く離れた彼らの故郷で展示され、人々にエジプトへの関心を呼び覚ましていた。

興味を持たなければ知識は得られず、知識と好意がなければ遺跡や遺物の保存をしようという思いは生まれない。
大盗掘時代は、学術的な古代エジプト研究が始まる、入口となる時代でもあった。

エジプシャン・ホールでは、エジプト発掘史を語る上で避けては通れない二人の人物が展覧会を開いている。1822年にジョバンニ・ベルツォーニ、1888年にはフリンダース・ピートリ。彼らの展覧会は、日本でのツタンカーメン展と同じく大きな反響を呼び、ともに大成功をおさめた。展示されたものに対する理解が十分だったとはいえず、また彼らが遺物を持ちだした方法は現代からすれば略奪に等しいものだったが、イギリス国民にエジプトを知らしめる上で果たした役割は大きかった。

やがてこれらの展示会とエジプト熱の高まりから、世界ではじめて大学にエジプト考古学を学ぶ学科が作られ、発掘基金が作られていくのである。


イギリスにおけるエジプシャン・ホールは、かの国においてエジプト熱が高まり、人々の興味が頂点に達する、その過渡期を象徴する建物だったのだと思う。
それが解体されたあとも、熱は決して冷めたわけではない。今でもロンドンの本屋に行くと、歴史コーナーはビッシリとエジプト本で埋まっているし、大英博物館でもエジプトコーナーは大人気だ。ただ、かつてのような単純な好奇心と興味から、より深い理解へと、形を変えたのだろう。表面を真似ただけのエジプシャン・ホールではなく。


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