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検索バーにある「Видео」はヴィデオと発音します。「Видео」をクリックして現れた画面の検索バーに、探したい動画のタイトルを入力すればOKです。
ただし日本語はだめです。ローマ字で検索できるファイルもあります。
このリストの下の「Показать еще...」は「もっと見る」という意味なので、クリックしてご覧下さい。
ロシアのサイトmail.ruの動画ビデオの検索バーに「The Ten Commandments」と打ち込んでクリックしたのがこれです。
同様に「King Solomon's Mines」と打ち込んでみましょう。
今度は「Сказание о земле Сибирской」と入力しました。
その中には、字幕付き動画もあります→ 日本語字幕付き「シベリア物語」
字幕なし→字幕なし「シベリア物語」
1947年、ソビエトで二番目に製作されたカラー映画「シベリア物語(Сказание о земле сибирской)」。ソビエトではじめてのカラー映画になった「石の花」に引き続き主役のアンドレイ役はウラジミール・ドルージュニコフが努めました。
石の花が古いウラルの民話を元につくたれた映画に対して「シベリア物語」は人々の視線をシベリア開発に向けさせるためのプロパガンダを含んだ映画でした。
当時のソ連は東への強制移住を推し進めていたために、シベリア賛歌のプロパガンダが背後にあるものの、愉快で面白い映画です。
背後にレーニンの肖像画がありますが、アンドレイをめぐってナスチャ(ベーラ・ワシリーエバ)とナターシャ(マリーナ・ラディニナ)の女の駆け引きや、ナスチャに恋するコサックのいかつい男ブルマーク(ボリス・アンドレーエフ)とアンドレイの約束など、愉快な恋物語も繰り広げられます。
何よりこの映画挿入歌から「さすらい人(バイカル湖のほとり)」が日本に広まったり、私の大好きなロマンス「君知りて」が歌われたり、軽いミュージカルとしても楽しめる映画です。
アンドレイがモスクワに残してきた恋人ナターシャ
驚くなかれ、この映画が作られたときにナスチャ役のベーラ・ワシリーエバ(上の写真)は22歳、ナターシャ役のマリーナ・ラディニナ(下の写真)は既に39歳でした。
ドイツとの戦争で腕を負傷したアンドレイはピアニストの道を諦めます。音楽祭で賞を受賞したソプラニストのナターシャが、会場でラフマニノフの”ヴォカリーズ”を歌う(スキャットです)中、モスクワをひっそりと去り、シベリアに向かいます。
シベリアの大河を渡し舟で遡上していく中、音痴でへたくそな青年が奏でるガルモニ(アコーディオン)があまりに下手で船頭から苦情を言われます。
アンドレイが代わりにアコーディオンを弾き「さすらい火と」を歌います。
シベリアの田舎町の食堂に下宿したアンドレイは、この店の店員の中に、ドイツとの戦いで衛生兵だったナスチャと再会します。
かねてからナスチャを恋い慕っていた運転手のブルマークはアンドレイの出現が疎ましくてなりません。
そんな時、音楽祭の受賞者を乗せてアメリカに向かう飛行機が、悪天のためにシベリアに緊急着陸し、アンドレイが下宿する食堂に一行が泊まりに来ます。その中にはナターシャがおり、2人は再会します。
ナターシャとアンドレイが古い知り合いだった事を知ったナスチャはショックを受けます。食堂のステージでアンドレイの弾くガルモニにあわせて「君知りて」を歌うナターシャ。その光景を見て恋に破れた事を知り、泣きながら雨の降る外に出るナスチャ。
そのナスチャを追って雨の降る外に出たブルマークはナスチャを慰めます。「同志ナスチャよ泣く事はない、君を愛さない男なんてこの世にいないさ。あいつはきっとこういうさ。ナスチャ、苦労を共にした君よりも大切な人はこの世にはいない。」
「そんな、嬉しいこと言わないで!」「今のは俺が言いたかった台詞だ。」
その後どうなったのか?見てください。おそらく現代ロシアの若い人たちはほとんど見た事がない映画だと思います。
ナスチャを追いかけるブルマーク
ヒロインのナターシャを演じたマリーナ・ラディニナは1908年生まれ、帝政ロシアの時代に生まれています。
ソビエトを代表する美人女優でしたが、2003年3月10日に95歳で亡くなっています。 ウラジオストクで入手した雑誌にマリーナ・ラディニナがなくなった記事が出ていましたが、下の写真の晩年の姿しか出ていなかったので気がつきませんでした。 1998年、90歳のときにロシア政府から賞を受賞したときの写真だそうです。 |
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