昨日、私が起居しているユーアイ久樂部(老健施設)でクリスマス祝会が行われた。
ボランティアのジャズバンドの演奏があり、キャンドルサービス、車いすダンスもあった。
行事食として、シャンメリーで乾杯し、骨付きの鶏肉料理(骨つきもも肉の照り焼き)も頂き、年に一度の楽しいひと時を過ごした。
クリスマスといえば、故郷の須賀川のキリスト教会で、私が洗礼を受けた時のことを思い出す。
アンダーソン宣教師と親しくなり始めた1949年頃である。
クリスマスの礼拝で洗礼を受けたのだが、教会からの帰りの情景を思い出すことがある。
降りしきる雪片が夜空から舞っていて、美しかった。そして、これまでにない幸福感を味わった嬉しさはたとえ様のないほどだった。
あの幸福感は宗教の魅惑であり麻薬のような作用から来るのだと思う。
その後、神学校に入ったが資金の関係で中退したが、教会との関係は持ち続けていた。
しかし、ある集会で按手を体験したことから、宗教の欺瞞性を感じ、クリスチャンを返上した。
それまでは十一献金を守っていた。収入が10万円ならば十分の一にあたる1万円を献金袋に入れた。ピアノを寄贈したこともある。それでも当時は満足だった。
- 十分の一税 - Wikipedia
http://bit.ly/2gLngix
しかし、あることから、神の存在を否定し、キリスト教のオカルト性を知るようになった。
アンダーソン宣教師のように博愛精神に終始している宗教家はごまんといる。
神を信じること(神にすがること)で、苦痛や悩みを解消したいと願う人が多いのも真実だ。
キリスト教と決別することになった経緯→ 世捨て人になった私・・・残された時間を、どのように使いたいか(3b)
マッカーサー宛に嘆願書を送ったことがある。
マッカーサー宛に送った嘆願書
終戦後、私が須賀川商業学校(現在の須賀川高等学校)に通っていた頃のこと。
同校の放課後に生きた英語に接するという目的で、英語部に米人宣教師(アイリン・アンダーソンさん)を招いていたことがある。
そのアイリン・アンダーソン師の取り計らいでアメリカのシカゴにあったMoody Bible Instituteムーディー聖書学院への入学が許可されていた。
しかし、滞在費や授業料は免除るが渡航費は自弁という条件だった。
そこでマッカーサー宛に下手な英語で、アメリカの船の船員として採用してほしいと嘆願書を送った。
暫くして日本郵船の女性から手紙がとどいた、
内容はマッカーサー宛に送った嘆願書に対する回答という意味の手紙だった
「同じような嘆願書が多いので、一人だけ許可をすることは出来ない。アメリカに渡航しなくても日本国内で道を開いて欲しい・・・」だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます