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「洞窟の女王」第三章 アメナルタスの壺・・改造社(日本語訳:平林初之輔)

2013年11月01日 | 好きな歌

 この記事は、次の電子ブックの中から、「洞窟の女王」の「第三章 アメナルタスの壺」を引用しました。 
世界大衆文學全集第二十八卷『洞窟の女王 ソロモン王の寶窟』(訳:平林初之輔 (1892-1931年)改造社 (昭和三年七月一日印刷,昭和三年七月三日發行)

洞窟の女王(英語) The Project Gutenberg EBook of She
英語の原書の電子ブック(グーテンブルグ計画)
 

インターネット・アーカイブ

「洞窟の女王」1935年製作映画の抜粋(ハイライト)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=kTi2pWzzHSU 

 


 こちらはオーディオブックです。

She by H. Rider Haggard (FULL Audiobook)
「洞窟の女王」の原文(英語)のオーディオブック 11時間36分13秒
She by H. Rider Haggard (FULL Audiobook)

オーディオブックはYouTubeサイトです。
音声は再生できますが、動く動画ではなく、静止画像に音声だけのファイルです。
Introduction(序)から最終章(第28章)まで、連続して音声を楽しむことが出来ます。再生時間:11時間36分13秒

 


 

 以下の記事は、世界大衆文學全集第二十八卷『洞窟の女王 ソロモン王の寶窟』(訳:平林初之輔 (1892-1931年)改造社 (昭和三年七月一日印刷,昭和三年七月三日發行)
の中から、
「洞窟の女王」の「第三章 アメナルタスの壺」を引用しました。 

54. 第三章 アメナルタスの壺片
レオの二十五歳の誕生日の前日、私たちは二人で倫敦《ロンドン》へ行き、二十年前に私が保管をたのんでおいた不思議な箱を引き出した。 私はおぼえてゐるがそれを出してくれたのは、前にそれを保管してくれたのと同じ事務員であつた。 この男は自分が箱をしまつたときのことをよくおぼえてゐた。さうでなければ搜し出すのに非常に骨が折れたであらうと彼は言つた。 それほどにもその箱は蜘蛛の巣におほはれてゐたのである。
55. その晩私たちは貴重な荷物を持つてケンブリッヂへ歸つて來た。その晩は昂奮して私たちはおちおち眠られなかつた。

56.
57.
私はレオの父親の可哀さうなヴィンシイが臨終の晩に私にくれた鍵を手文庫の中から取り出した。 鍵は三つあつた。一番大きいのは比較的近代の鍵で、二番目のはひどく古めかしいものであつた。 三番目のと來たら、これまでに一度も見たことのない鍵で、何でも純銀でこしらへたものらしく、 把手《ハンドル》の代りに棒がついてゐて、棒の端には幾つかの溝が彫りぬいてあつた。 どう見ても不細工な鐵道の鍵としか思へなかつた。

58. 「さあ二人ともいゝかね?」私はダイナマイトの雷管に火をつけるときに人が言ふやうに言つた。 二人とも返事はしなかつた。私は大きい鍵をとつて、鍵穴へ少しばかりサラダ油をさして、 手が慄へるので二三度しくじつた後やつとのことで鍵をさしこんだ。レオは前屈みになつて兩手で蓋をもち、 蝶番が錆びついてゐたので、うんと力をこめてやつと蓋を開けた。中には埃だらけな箱がはひつてゐた。 この箱は難なく取り出すことができた。私たちは幾星霜の間に積もつた箱の上の塵を拂つた。「ぢやこれから手紙を讀んでみよう」と言ひながら、彼は片時、猶豫もなく、封を切つて、聲をあげて讀み出した。

67. 「我が子レオよ -- お前が生きてゐて此の手紙を讀む時は、お前はもう一人前の大人になり、 自分はずつと前に死んでしまつて、殆んど凡ての人に、すつかり忘れられてゐることであらうと思ふ。 だがこれを讀むときは、おぼえてゐるがいゝ。自分はかつて生きてゐたのであり、現在でも生きてゐるかも知れないのだ。 そして、筆と紙とを通じて、死の深淵をよこぎつて、お前に手を差しのべてゐるのだ。 自分の聲が、墓場の沈默の中からお前に話しかけてゐるのだ。 自分はとつくに死んでしまつてお前の心の中には自分の記憶は少しものこつてはをらぬのだが、 それでも猶ほ、お前がこれを讀む時には、自分はお前のそばについてゐるのだ。お前がこの世に生きてから、 自分はお前の顏を殆んど見なかつた。このことを許してくれい。お前の命は、自分が此の上なく愛してゐた女の命の代りなのだ。 そのつらさが自分には今だに犇々《ひし〜》と身に沁みて感じられる。自分が長く生きてゐたら、 そのうちにこんな馬鹿げた感情に打ち克つ事ができるだらうが、自分の定命はもう旦夕に迫つてゐるのだ。 自分は、自分の肉體的、精神的の惱みにもう堪へられん。だから、お前の將來の幸福のために、 これから少しばかり後始末をつけておいて、それがすんだら、この惱みの結末をつけるつもりだ。 自分がまちがつてゐたら、神よ許したまへ。いづれにしても自分の壽命はせい〜゛あと一年しかなかつたのだから。」

68. 「やつぱりあの時自殺したんだな、さうだと思つた」と私は叫んだ。レオはそれには答へないで讀みつゞけた。

「ところで、自分のことはもうこれだけで澤山だ。これから言はねばならぬことは、とつくに死んで、 すつかり忘れられてしまつた自分のことではなくて、生きてゐるお前のことだ。自分の友人ホリイ (この男が承知してさへくれゝば自分はこの男にお前の後見をたのむつもりだ)から、お前は、 お前のひどく古い血統のことについて何事かを聞いたことであらう。この小凾の中には、 それを證明するに十分な材料を入れてある。お前の遠い先祖が、 壺片に書き記しておいた不思議な傳説《いひつたへ》をお前は見ただらうが、 それは自分の父親が臨終の床で自分に渡してくれたもので、自分はあれを見て逞ましい想像にかられたものだ。 自分はまだ十九の年に、眞相をしらべに行かうと決心した。 自分どもの先祖の一人がエリザベス朝時代に矢張りそれを企てたが可哀さうに失敗してしまつたのだ。 その時自分が遭遇した事柄を一々述べてゐるわけにはゆかないが、次のことは、自分は、 自分の眼ではつきりと見たのだ。ザンベジ河が海に注ぐところから少し北にあたるまだこれまで誰も行つたことのないアフリカの海岸に、 一つの岬があつて、その尖端に、この書類に書いてあるのと同じ、黒人の頭のやうな形をした塔がそびえてゐる。 自分はそこへ上陸して罪を犯したために仲間からすてられてうろついてゐる一人の土人から、 遙か奧地の方に、杯形の大きな山と、澤山の沼に圍まれた洞窟があるといふことをきいた。 それから又その地方の住民はアラビアの土語を話し、其��キ《かしら》は美しい白人の女だといふことも聞いた。 この女を見たものは滅多にないが、この女は生きた者に對しても死んだ者に對しても、 凡ての者に對して權力をもつてゐるといふことである。自分がこのことをたしかめてから二日目に、 この男は沼地を渡るときに熱病にとりつかれて死んでしまひ、 自分は食料品の缺乏と後に自分を斃《たふ》した病氣の兆候が見えたゝめとで、 餘儀なく歸國の途につかねばならなくなつたのである。

69. その後自分が遭遇した冐險については今語る必要はない。自分はマダガスカルんお海岸で難船して、 數ヶ月の後に英國の船に助けられて、アデンへ護送され、十分な用意ができ次第探檢を實行するつもりで、 英國へむけ出發したが、歸途��c《ギリシヤ》へたち寄つて、そこで、戀は凡てのものに勝つといふ諺のとほり、 お前の親愛なる母親にあつて結婚し、お前が生れて、お前の母は死んだのだ。 それから自分は最期の死病にとりつかれて、死ぬためにこゝへ歸つて來たのだ。 けれども自分はまだ心細い希望をすてないで、若し病氣がなほつたら、もう一度アフリカの海岸へ行つて、 自分逹の家門に幾世紀もの間傳はつてきた傳説の神祕を解きたいと思つて、アラビア語の勉強をはじめたのだ。 しかし自分の身體《からだ》はよくはならなかつた。これで自分の關する限りではこの物語はおしまひである。

70. 「だが我が子よ、お前の話はこれでおしまひではないのだよ。で自分は自分の勞作の結果と、 代々傳つて來た原物の證據品とをお前に渡すことにする。たゞ自分はお前が、 この書類に書いてある此の世に於ける最大の祕密をしらべて見やうと思ふか、 それともかそんなことは狂女の頭の中に空想されたつまらぬつくり話としてうつちやつてしまふかを自分で判斷することのできる年齡まで、 わざとお前の手にこれを渡さないやうな手筈にしておいたのである。

71. 「自分はこれはつくり話ではないと思ふ。生命といふものが存在する以上、それを永久に保存する手段が存在しないわけはないではないか。 だが自分はこのことについてお前の頭に偏見を植ゑつけたくはない。お前が讀んで自分で判斷するがよい。 若しお前が探檢をやつて見やうといふ氣になつたら、費用にこまるやうなことのないやうにしてある。 それとも、この傳説を荒唐無稽なものとして滿足するなら、壺片も書類も破毀して棄てゝしまつて貰ひたい。 そそて自分たちの一族から惱みの種を取りのぞいてほしい。おそらくそれが最も賢明なやりかただらう。 未知のものは一般に怖れられるものだ。それは諺にあるやうに、人間の内心に巣喰ふ迷信のためではなくて、 未知のものは實際に怖るべきものであることが屡々《しば〜》あるからだ。 世界を動かしてゐる廣大神祕な力に要らざる手だしをするものは犧牲となつてたふれることがありがちだ。 しかも萬一目的を果したとしても、遂にお前が試煉に打ち克つて永劫の美しさと若さとを保つことができるやうになり、 神身の腐朽に超絶する力を得ることができるやうになつたとしても、そのためにお前が幸福になれると誰が言はう? お前の欲するまゝにするがよい。 萬物を司る神の力がお前とお前が成功の曉にはその主《あるじ》となる世界との幸福になるやうに選擇を誤らしめざらんことを祈る。 さらば!」

72. これで、署名も日附もない手紙はあわたゞしくもしまひになつてゐた。

「それをどうしますかね、おぢさん」とレオは手紙を卓子《テーブル》の上に置きながら言つた。 「吾々神祕をさがしてゐましたが、どうやら一つ見つかつたやうですね。」

「どうするかつて?かはいさうに、お前さんのお父さんは氣が狂つてゐたに決つてゐるぢやないか」と私は答へた。 「二十年前に、あの男が私の部屋にはひつて來た晩から私はさいぢやないかと思つてゐた。かはいさうに、 あの男が自分の死期をはやめたんだつてことはお前にもわかつたね。こりやもう全くの囈語《たはごと》だよ。」

「そのとおりでございますとも!」とジョッブは鹿爪らしく言つた。ジョッブは實際家の中でも模範的な實際家であつた。

「では兎に角壺の破片に何が書いてあるか見よう!」と言ひながら、レオは父親の自筆の飜譯をとりとり上げて讀みはじめた。

73. 「吾は埃及《エジプト》王家の出にて、神々にいつくしまれ、惡魔を從ふる、イシスの僧カリクラテスの妻アメナルタスなり、 死するの臨みて吾が幼な兒チシステネスに書きのこす。吾は、戀のために誓を破りたるおん身の父とネクタネベス王の治下に埃及《エジプト》を逃れ、 海を渡りて南の方に赴き朝日に面せるリビアの海岸を二年の間放浪せり。そこにはとある河の邊《ほとり》に、 エチオピア土人の顏に似たる巨巖あり。大河の河口より水上に流轉すること四日にして、或る者は水に溺れ、 或る者は病の爲に死したり。されど吾等二人は、蠻人につれられ、海鳥空をおほうて飛ぶ荒野又は沼地を過ぎて、十日の後、 とある空洞《うつろ》の山に着きぬ。この山は古昔《こせき》大都市のありしあとにて世の人のいまだ終端《はし》を見しことなき洞窟あり。 蠻人等は吾等を彼等の女王の前につれゆきたり。彼等はその時異國人の頭に壺をのせゐたり。 女王は全知全能の魔法使ひにて、永劫不死の生命と美しさとをもてり、女王はおん身の父カリクラテスの戀慕の眼差を送り、 吾を殺して彼を夫となさんとしたれど、おん身の父は吾を愛して女王を恐れて、命に從はざりき。ついで女王は、 氣味惡き魔術を用ゐて、吾等を恐ろしき道をとほりて巨大なる豎穴のそばへつれゆきたり。 その入口には年老いたる仙人死して横たはりゐたり。女王は吾等にうづまき燃ゆる不死の命の柱を指し示せり。 そのうづまく響は萬雷の如く耳を聾せんばかりなりき。女王が焔の中に立ちて、 出で來たる姿を見れば身に寸分の傷もなく却つて美しさを増せるかと思はれたり。女王は、 おん身の父もし吾を殺して女王になびけば、おん身の父をも女王と同じく不死の身となさんと誓へり。 そは吾は吾が國の魔法を知りて女王の魔法に逆らひたる故に女王は自ら吾を殺す能はざりし故なり。 おん身の父は手をのばしておのが眼をおほひ、女王の美しさを見えざるやうにし、なほも命に從はざりき。 女王は怒りて魔法をもつておん身の父を殺したれど、いとしさに堪へかねて泣きふし、今は悲しみに沈みをれり。 女王は吾をおそれて大河の入口に吾を送れり。そこは船着場なりしかば、やがて吾は船に乘せられ、 船中にておん身を産み、諸方を漂流せるのち、アテンに來れるなり。吾が兒チシステネスよ、いま吾おん身に言はん。 この女を探し出して生命の祕法を學び、能ふべくんば、おん身の父のためにこの女を殺すべし。 おん身若しこれをおそおれ、或は失敗するときは、吾はこのことをおん身の後に來る子々孫々に言ひのこすものなり、 やがてその中より勇敢なる人出でゝ火に浴し、國王《ファラオ》の位置に坐すまで。吾が言ふこと、信じ難く思はるれど、 吾はそれを知れり。吾は虚《いつはり》を言はず。」

74. 「勿體ない、神樣どうぞこの女の方を許して下さるやうに」と、口をあけてこの驚歎すべき文章をきいてゐたジョッブは呻いた。

75. 私は何も言はなかつた。はじめに、私はこれは、 あのかはいさうなヴィンシイが、氣が變になつたときにすつかりこんな話をつくりあげたのだらうと思つたが、 それにしては、こんな話は誰にだつてつくれさうにないやうに思はれた。あまりにそれは竒拔だつた。 私は自分の疑《うたがひ》をとくために、壺片をとり上げて、その上にぎつしり書いてある楷書體の希臘《ギリシヤ》文字を讀みはじめた。 それは埃及《エジプト》生れ人の筆になつた文章としてはその當時甚だ立派な希臘《ギリシヤ》文であつた。それから、 なほもよくしらべて見ると、英文の飜譯は、正確な名文であることがわかつた。

79. 壺片の凸面には楷書體��c《ギリシヤ》文字のほかに、もと酒壺の口であつた一番上のところに、くすんだ赤色で、 吾々が小凾の中で見出した甲蟲形寶石にあつたのと同じ玉璽が記してあつた。但しそれは、蝋の上へおしつけたやうに、 中の象形文字或は符號が逆になつてゐた。これがほんものゝカリクラテスの玉璽であるのか、 それとも彼の妻アメナルタスの先祖の王族の誰かのものであるのか、私にはわからなかつたのみならず、 それが楷書體��c《ギリシヤ》文字を書きつけたときに描かれたものか、後に、一門の誰かが甲蟲形寶石から模寫したものかもわからなかつた。 そればかりではなく、文章の書いてある下に、同じくくずんだ赤色で、 二つの羽根をつけたスフィンクスの頭と肩との素描らしいものゝ輪廓があらはれた。 この羽根は王家のしるしであつて、神牛や神々の像によくつけてあるが、スフィンクスについてゐたのは私はまだ見たことがない。

それから壺の表面の右端の希臘《ギリシヤ》文字の書いてないところに、次のやうな不思議な文字が赤色でしるされて青い色で署名がしてあつた。

 

80. 地に空に海に
  不思議なるものぞあるなり。
     ドロテア・ヴィンシイ記す。

81. 何が何やらすつかりわけがわkらなくなつて、私は壺片を裏返して見た。そこには、上から下まで、 希臘《ギリシヤ》語や拉典語や英語で簡單な文句と署名とが一面に記してあつた。最初のは楷書體��c《ギリシヤ》文字で、表面の手蹟の宛名人になつてゐる。 チシステネスの書いたものであつた。その文句は「吾は行く能はざりき。チシステネスより、我が子カリクラテスへ」 このカリクラテス(きつと希臘《ギリシヤ》流に祖父の名を襲名したのであらう)は、何でも、探檢に出かけようとしたらしく、かすかな、 殆んど讀みわけることのできないやうな楷書體��c《ギリシヤ》文字で「吾は行くことを止めたり。神々は吾を守り給はざりき。 カリクラテスより吾が子へ」と書いてあつた。

この二つの古代文字の手記のうちで第二のものは逆しまに記してあつて、しかも、 ちようどそれの書いてあるところには長い年月の間に一番手でもたれたところなので、 ヴィンシイが清書しておいてくれなかつたら私には讀みわける事ができなかつたであらう。 此の二つの手蹟の間に、ライオネル・ヴィンシイの署名がしてあつた。 それはレオの祖父の手蹟であらうと私は思ふ。その右にJ. B. V.といふ略名が記してあり、その下には、 楷書體や草書體の樣々な希臘《ギリシヤ》文字の署名が記してあり、この破片は、 忠實に子々孫々に傳へられたものと見えて「吾が子へ」といふ文句がどれにも繰り返して書き添へてあつた。

84. 希臘《ギリシヤ》文字の署名のつぎに、讀みわけることのできた文字は、 一家はいま羅馬《ローマ》へ移住したといふ意味のRome, A.U.D.といふ文字であつた。だが、不幸にして、 移住の年代は、語尾の「……百六年」といふ文字が殘つてゐるだけであとは永久にわからなくなつてしまつてゐた。 それは、ちやうどそこの處で壺片がこはれてしまつてゐたからである。

85-1. その次に、ところ〜゛の壺の空所に、十二人の拉典文字の署名があつた。それは三つの例外をのぞくと、みな、 復讐といふことを意味するヴィンデックスといふ名前で終つてゐた。それは、 矢張り復讐といふ意味の希臘《ギリシヤ》語「チシステネス」に相當する文字として、 羅馬《ローマ》移住後、この一家の家名としたものゝやうに思はれる。そのうちに、この拉典語のヴィンデックスといふ姓は、 預期通り先づデ・ヴィンシイとかはり、ついで近代風に、だゞのヴィンシイとなつてしまつてゐた。 基督紀元前に生きてゐた埃及《エジプト》人から傳へられた、 家門相傳の復讐の義務がこんな風に英語の姓にされてしまつたことは面白いことである。

85-2. この壺片に記された羅馬《ローマ》人の名前のうち二三のものは、 歴史やその他の記録にのこつてゐる名前であることをその後になつて私は發見した。

86. この一聯の羅馬《ローマ》人の名前の次には數世紀の年代が飛んでゐる。今日となつては、誰にも、この遺物が、 この暗黒時代の間どうなつてゐたか、どうして、この一家にそれが保存されて來たかは永久にわからぬであらう。 だが記憶すべきことは、あのかはいさうなヴィンシイが、羅馬《ローマ》人の先祖は、たうとうロンバルヂイに移住し、 シャールマンの侵入のときに、この大帝について、アルプス山を越へてブリタニイに行き、 それからエドワード懺悔王の時に海を渡つて英國へ來たのだと語つたことである。 彼がどうしてそのことを知つてゐたのか私にはわからない。 この土噐にはロンバルヂイのこともシャールマン大帝のことも少しも記してないからである。 但しいまにわかることであるが、ブリタニイのことはちよつと書いてある。

87. それはさておき、 その次ぎには、血か又はそれに類する赤いものゝ長いとばしるのついてゐるのを除くと、 赤い繪具で二つの十字架がかいてあつた。恐らくそれは十字軍士の劍のつもりなのであらう。 それから、紅と青とでD.�.といふ巧みな組み合せ文字が記されてゐた。 それは、前に記したあの拙い對句を書いたドロテア・ヴィンシイの筆蹟であらう。 その左の方に、うすい青色でA. V.といふ略名が記してあり、 そのあとに 一八〇〇年 といふ日附がついてゐた。

88. その次ぎに、この大昔しの不思議な遺物に記してあるものゝ中に何れにも劣らぬ竒怪な文字が記されてゐた。 それは二つの十字架又は十字軍士の劍の上に書いたもので年代は千四百四十五年になつてゐた。 そしてなほ一層竒怪なことには、二番目の羊皮紙の卷物にその英譯がついてゐた。その文意は次のとほりであつた。

92. 「この遺物は、遠き昔我が先祖がブリタニイよりもち來りしものなるが、 そは惡魔が魔法をもつてつくりたるものなれば破毀すべしとの聖僧の言に從ひ吾が父が二つに毀したるものなり。 されど吾ジョン・デ・ヴィンシイは、紀元千四百四十五年聖母マリイの祭日の次の月曜日に、これを再びつぎあはせしたるものなり」

93. その次の、最期から二番目の手記はエリザベス朝のもので、一五六四年の日附になつてゐた。それには次のやうに書いてあつた。 「こは最も不思議にして、且つ我が父の生命を失はしめたる物語なり。我が父はアフリカ東海岸に件の場所を探檢せんとしたるが、 彼の快走船は、ロレンソ・マルケス沖にて、ポルトガルの大帆船のために沈められ、彼自らも亦死せり。--ジョン・ヴィンシイ。」

その次の、即ち最期の手記はその書體からかんがへて見ると、十八世紀の中葉に、ヴィンシイ家の代表者によつて書かれたものである。 それは、「ハムレット」の中の有名な文句の少々間違ひのある引用で 「天地には、君の哲學の夢想だに及ばざる多くのことがあるぞよ、ホレース君」 といふのであつた。

94. いま一つの書類は、壺片の希臘《ギリシヤ》文字を中世の拉典文に飜譯したものであつた。 それは英國ではじめて希臘《ギリシヤ》語を教へたエドマンド・プラットといふ學者が一四九五年に飜譯したものである。 きつと、その當時の何とかヴィンシイが、ことによると、壺片をつぎあはして一四四五年の前に記した文句を書いて、 そしてジョン・デ・ヴィンシイがプラットの高名をきいて、彼が當時��c《ギリシヤ》語を教授してゐたオックスフォードへ驅けつけ、 不思議な壺片の文字の意味を解かうと思つたのであらう。

97-1. これ等の書類、少なくもその中で判讀できるものをすつかり讀み了り驗べ了つてから私は言つた。 「さあこれですつかり樣子はわかつた。これでもうお前も、考へをきめることができるわけだ。 わしの考へはもうきまつたがね。」

「では叔父さんはどう考へますか?」と彼ははや口でたづねた。

「かうだ。この壺片は正眞正銘のものだとわしは信ずる。そして不思議なやうだが、 これは紀元前四世紀の頃から君の家に傳はつて來たものであることも信ずる。 手記が何よりの證據だ。だから、お前の遠い先祖の埃及《エジプト》の王女或はその女の指圖を受けた或る書記が、 この壺片に記してある文章を書いたのだといふことは、わしは少しも疑はんが、それと同時に、 この女はいろいろな苦しみや夫を失つた悲しみのために正氣を失つてゐて、 これを書いたときは健全な精神状態ではなかつたといふことも、わしは少しも疑はんのだ。」

「僕の親父が、あちらで見たり聞いたりしたことはどう説明するんですか?」とレオはたづねた。

97-2. 「暗合《まぐれあたり》さ。アフリカの海岸には、そりや勿論いくらか人間の頭に似た斷崖もあらうし、 アラビヤ語に似た土語を話す人間も澤山いるだらう。それに沼地だつていくらもあるに相違ない。 それから、こんなことを言つちや氣の毒だが、君の親父はこの手紙を書いたときに、 全く正氣だつたとは僕は思はんよ。あの男は隨分苦しみにあつて來たので、 この物語もたうとう空想の餌食にしてしまつたのだ。元來が餘程の空想家だつたからねえ。 いづれにしても、いま吾々の手に傳はつて來たこの傳説は取るに足らんものだよ。 自然界には吾々が滅多に遭遇しない、そして遭遇しても吾々にはわからない不思議な力がいろ〜あることはわしも知つてゐる。 だがわしは自分の眼でそれを見るまでは、そしてこの眼で見るなんてことは到底ありさうにないことだが、 たとひ束の間でも死を避ける術《すべ》があるなんてことは斷じて信じない。 又、アフリカ中心に白人の魔女が住んでゐるとか住んでゐたとかいふことも信じない。 そりや、囈語《たはごと》だよ、レオ君、囈語《たはごと》だよ! -- ジョッブ、お前はどう思ふかね?」

97-3. 「そりやもう眞赤な虚《うそ》でございますとも、それにもしほんたうだとしても、 レオ樣はそんなことに手を出しをなさらないやうにしていたゞきたいですね。何もいゝことはありつこはありませんから。」

97-4. 「多分あなた方のお考へが正しいでせう」とレオは非常に物しづかに言つた。 「僕は意見は何も申しませんが、これだけのことは言つておきます。僕はこの問題をすつかり解決してしまふつもりです。 で若し貴下《あなた》がたが一緒に來られないなら、僕は一人で行く決心です。」

98. 私はこの青年の顏を見て、彼が眞面目に言つてゐることを知つた。レオが眞面目に物を言ふときには、 口のあたりに妙な表情が浮ぶので誰にでもわかつた。それは子供の時分からの彼の癖であつた。 ところで私は、勿論彼を一人でどこへもやる氣はなかつた。それは彼のためといふより寧ろ私のためたつたのである。 私は彼にひどく愛着を感じてゐたのでとてもそんなことはできなかつたである。 私にはあまり係累もなければ、愛情をわかつ相手も多くはない。此の點では私は逆境にたつてゐた。 世間の人は男も女も私を避けてゐた。少なくも私にはそのやうに思はれた。 で私は世の中から隱退して、世間の人と親しい交りを結ぶ機會を自ら斷ちきつてゐたのである。 だから、レオは私にとつては全世界であつた。弟でもあり、子供でもあり、友逹でもあつた。 それでレオの方で私に飽きて來るまでは、レオの行くとこへはどこへでも私は行かねばならなかつたのである。 だが勿論、彼が私にとつてそれ程重きをなしてゐることをさとられては工合が惡いので、 私は何かうまい口實を設けて彼に從ふ手段はないものかと考へてゐた。

99. 「さうです、私は行きますよ、叔父さん。」と彼は繰り返した。「もし『うづまく生命の柱』とやらが發見できなくたつて、 すばらしい獵ができることは請合ですからね。」

私は、この絶好の機會を捉へた。

「獵だつて」と私は言つた。「さうさう!それにはちつとも氣が附かなんだ。 あちらにはきつと廣い人跡未踏の山野があることだらう。そして獲物が澤山ゐるにきまつてゐる。 わしは生きてゐるうちに一度水牛を殺して見たいと思つてゐたんだ。いゝかいレオ、 わしは探檢のことなどは信じてをらんが、獵のことになると眼がないんだよ。で、すつかり考へた上で、 ほんたうにお前が出かけるつもりなら、わしも氣晴らし、お伴をするよ。」

「さうでせう」とレオは言つた。「僕は叔父さんがこんな又とない機會を逃しはなさるまいと思つてゐましたよ。 だがお金はどうしませう。隨分費用がかゝるでせうからね。」

「その點についちや心配は要らん。」と私は答へた。「お前の收入の何年分もすつかり積んであるからね。 それに、お前の親父がわしにのこしといてくれた金も三分の二は貯蓄してある。 これもつまりはお前のためにのこしておいてくれたんだ。お金は正金でうんとあるよ。」

「そりや素敵だ。では、こんなものはもうしまつて、早速町へ鐵砲を見に出かけませう。 ところでジョッブ、お前も一緒に行かないかい?もうお前もぼつ〜世間を知つてよい時分だぜ。」

「よろしうございます。」とジョッブは氣のりのしない聲で答へた。 「わつしは見知らぬ異國へなどあまり行つて見たいとも思ひませんが、あなた樣方が二人ともお出かけになれば、 誰かお世話をする人もお入り用でございませうし、それにわつしには、二十年もの間使つていたゞいて、 今更らひとりであとに殘つてゐるやうな人間ではございませんから。」

「その通りだよ、ジョッブ」と私は言つた。「別に何も驚くやうなことは見つかりもすまいが、 すばらしい獵ができるぜ。それに二人ともこれを見たまへ。わしは、 こんな馬鹿げたものについては一言も世間の人に聞かしたくないね」と言ひながら私は件の壺片を指さした。 「もしこんなことが知れて、わしの身にまさかのことがあつた時には、 わしが正氣だつたかどうかつて問題で近親《みうち》の者の間に、 わしの遺言について爭ひが起るだらうし、わしはケンブリッヂの物笑ひになるにきまつてゐるからな。」

それから三箇月たつて、吾々はザンヂバル行きの船に乘つて大洋を航海してゐた。

この記事は、世界大衆文學全集第二十八卷『洞窟の女王 ソロモン王の寶窟』(訳:平林初之輔 (1892-1931年)改造社 (昭和三年七月一日印刷,昭和三年七月三日發行)
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「洞窟の女王」の「第三章 アメナルタスの壺」を引用しました。 


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