聖書への批判 - Wikipedia http://bit.ly/1Mrrq9t
聖書への批判の項目ではユダヤ教・キリスト教の聖典である聖書への批判について記述する。
並行記事の矛盾について
聖書には同じ対象を書いたものでも矛盾した記述が存在する。イエスの生涯を描いた四福音書でもしばしば並行記事が食い違っており、創世記にある二通りの創造も字義通りにとれば矛盾してしまうと思われる場合もある。信者にはこれらを矛盾と考えず調和化しようとする人もいる。堀尾幸司は自著のなかで、ユダの二通りの死に方をつなぎ合わせ、首を吊って自殺した後に紐が切れ、死体が落ちて裂けたのだとした。久保有政は聖書記事の矛盾を説明したサイトに福音書に矛盾はないというメールを送っているが、これは福音書の記述を取り除いたり加筆した上でのものであった。
このような立場に対し、たとえば矢内原忠雄は、2つの創造説が字義通りには矛盾するが、創造における神の目的や被造物の位置付けを表現したものとして象徴的に解釈する。青野太潮は神ならぬ人間が解釈し、記録した聖書が無謬であることはありえないとして矛盾があることを認め、そこから導き出した信仰的意義を述べている。
科学的間違いについて
聖書もまた古代の神話的世界観のもとに書かれた文書であり、そこには字義通りに読むと科学と矛盾する文章も見られる。現に、字義通りに聖書を解釈する立場から進化論や地質学を攻撃する人々が存在している。科学主義者や合理主義者もまた章句を直解した際に起こる齟齬をもって聖書を無知蒙昧の書と非難している。
これに対し、当時の科学的知識が不十分であることが宗教的価値を損ねることはないと主張するキリスト教徒もおり、聖書をもとに科学的知識を否定することに対しても批判を加えている。こうしたスタンスは4世紀の教父アウグスティヌスにもみられる。アウグスティヌスは、非キリスト教徒が持つ自然界についての知識を、キリスト教徒が聖書を元に否定することで聖書そのものまで嘲笑されることを懸念し、学問上の知識と矛盾する場合には聖書を象徴的に解釈することをすすめた。
現代のエキュメニカル・リベラルな教団レベルでは聖書は科学の教科書ではないとし進化論などを否定しないことが少なくない。
聖書の倫理性について
アブラハムがイサクを神に捧げようとしたこと、妻サラ及びヤハウェも共謀した美人局行為、モーセやヨシュアが行った聖絶、エリシャによる熊を使った子供達の殺害(子供達に自らのハゲ頭をバカにされたことによるものである)、ヤハウェによる狭量で理不尽かつ気まぐれな残虐行為の数々、同性愛差別などが批判される。
また、これらのエピソードに対するキリスト教徒による正当化も併せて批判されることが多い。
例えば、バートランド・ラッセルは幼少時に牧師からエリシャの行動を正当化する話をされたが受け入れることはできなかったと語り、アブラハムやエリシャのエピソードは遠い昔の人間が陥った残酷さや邪悪さを説明するものとして語られなければならないとした。
他宗教の立場から
イスラム教
イスラム教では聖書のうち、タウラート(『モーセ五書』)、 『ザブール』(ダビデの『詩篇』)、『インジール』(イエスの『福音書』)を啓典と認めているが、ユダヤ教徒やキリスト教徒によって本来の形から改変・改竄されたとみなしており、『クルアーン』と矛盾する部分があれば否定される。イスラム教徒の中には本文批評の研究成果を援用して、自教の立場を裏付けようとする立場もある。
脚注
関連項目
神は妄想である http://bit.ly/1EPfyOR
神は妄想である
『神は妄想である』(かみはもうそうである、原題: The God Delusion)は2006年に出版された、生物学者のリチャード・ドーキンスによる、科学的精神の普遍性と反宗教を説く啓蒙書。一部の国ではベストセラー化し、2007年に売り上げは100万冊を越えた。その過激ともいえる主張内容については賛同・批判ともに多くの議論がなされている。
ドーキンスの友人で、2001年に亡くなったSF作家ダグラス・アダムズに献呈された。
本書にも引用されているアリスター・マクグラスが後に、自著『神は妄想か? 無神論原理主義とドーキンスによる神の否定』(教文館、原題はドーキンスは妄想か?)の中で、本書の妥当性について科学的な視点から検証している。
内容
ドーキンスはこの本の中で、科学的精神こそが唯一真に普遍的且つ合理的なものだとする見解を開陳し、キリスト教を筆頭にあらゆる宗教はそれに反する邪悪且つ人類の進歩にとって有害なものであるとして、全ての宗教と神秘主義に批判的になることそして科学的に考えることが重要なのだ、と訴えている。この点において、スティーヴン・ジェイ・グールドの唱える「科学と宗教との相互不可侵」(NOMA。Non-overlapping magisteria。非重複教導権の原理)の考え方とは一線を画している。
ドーキンスは、同時多発テロに衝撃を受け、宗教上の信念というだけで尊重するならば、ウサマ・ビン・ラディンらの原理主義テロリストの信念を批判できなくなると訴えている。また、この本はアメリカ合衆国におけるキリスト教原理主義を意識したものとなっており、反進化論や中絶反対派による産婦人科医の殺害などを例に挙げて繰り返し批判している。
批判の俎上に挙げられているのは、主に一神教、多神教を問わず超自然的な人格神および原理主義、宗教教育であり、各民族の文化的・文学的伝統や結婚、葬式などの儀礼、仏教や道教などの哲学的な側面までは否定していない。
原書
- Richard Dawkins『The God Delusion』( Mariner Books; Reprint版、2008年 ISBN 978-0618918249)※ペーパーバックの最新版
日本語版
- 垂水雄二訳『神は妄想である-宗教との決別』(早川書房、2007年 ISBN 4152088265)
関連項目
- 科学主義
- 無神論
- 反宗教主義
- 懐疑主義
- トーマス・ジェファーソン:彼の反宗教的な発言を、ドーキンスは多く引用している。
- ロバート・M・パーシグ:ドーキンスは、彼の発言「ある一人の人物が妄想にとりつかれているとき、それは精神異常と呼ばれる。 多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる」を本書で引用している。
- 隙間の神
- パスカルの賭け