ある「世捨て人」のたわごと

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マグダラのマリア - ウィキペディア(2)

2015年12月31日 | 好きな歌

マグダラのマリア - ウィキペディア

名前の由来

 

ガリラヤ湖沿いの町マグダラの出身であるために「マグダラのマリア」と呼ばれたとするのが通説である。しかし、これには疑問も持たれている。

 

  1. ルカによる福音書』では「マグダレネと呼ばれるマリア」(8:2)とだけあり、出身地に言及していない。
  2. カトリック教会はベタニアに住むマリアと同一人物と教えていたことがあった。
  3. マグダラという地名は『マタイによる福音書』(15:39)に登場する[6]。しかし、2、3の候補地はあるものの、その位置は確定されていない。

 

  • 上記2の問題については、ウァラギネの『黄金伝説』が答えている。すなわち、当のマリアはベタニアに住み、親から譲り受けたマグダラの土地の領主であった。
  • 「ヘアー・ドレッサー」を意味するヘブル語「メガデラ・ネシャヤ」から来ており、これは身持の悪い女を暗喩すると、17世紀にJohn Lightfootが唱えた。(Yeshuのben-Stadaの項参照)
  • 「塔」を意味するアラム語「ミグダル」あるいはギリシア語「マガダン」に由来し、彼女の揺るがぬ堅い信仰のゆえに名付けられたと、4-5世紀の神学者ヒエロニムスは示唆した。

 

名前の由来ひとつ取っても、彼女のイメージがさまざまであったことが分かる。

 

娼婦だったか?

 

『ルカによる福音書』が紹介するものは次のものだけである(ルカ8:1-3, 23:55)。

 

  • イエスに七つの悪霊を追い出していただいた
  • マグダレネと呼ばれるマリア
  • そのほか多くの婦人たちと一緒に
  • 自分の持ち物を出し合って
  • 一行に奉仕していた
  • ガリラヤから付き従ってきた

 

カトリック教会では一時期、『ルカによる福音書』(7:36-50)に登場する「罪深い女」と彼女が同一人物とされた。(「罪の女」を参照)

 

この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていないが、性的不品行と説明されてきたようであり、それが娼婦とされていた原因かもしれない。彼女は(悔悛した)娼婦の守護聖人でもある。

 

いっぽうでカトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われている、と言うよりは、聖母マリアの名を取ったのであろう。諸文学で彼女の娼婦的な過去を扱うものが多いが、職業的娼婦であったとするものは、あまり見受けられない。 しかし、キリストを描いた映画の多くが、彼女がかつて娼婦であったとの設定で登場させている。

 

イエスと結婚していた?

 

さきの『最後の誘惑』で十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。1982年英国で刊行されたノンフィクション“Holy Blood, Holy Grail”(日本語版:『レンヌ=ル=シャトーの謎』)で著者らは、イエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供をもうけたという仮説を示した。マーガレット・スターバードもこれに追随し、1993年マグダラのマリアと聖杯』で、イエスとの間の娘をサラとした。2003年の小説『ダ・ヴィンチ・コード』がそれをストーリー中に使っている。

 

結婚していたとする論では、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張している。そもそも西洋美術には作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法があるのである。古くから中心的な宗派以外は、異端として迫害されたり証拠品を焼き払われたりしてきた歴史がある。迫害の対象となるような表現であれば、当然その手法を美術家たちは用いてきた。明示的なものでは、2-3世紀ごろの著作と見られる『フィリポによる福音書』の記述がある。古代社会でも国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は何度も隠蔽と書き換え、そして迫害が行われてきた。この結婚という内容もその隠蔽の1つとみられている。イエスの結婚を巡り、近年さまざまな研究書、追跡書などが出ている。

 

世論の変化より第2バチカン公会議を受けて1969年にカトリック教会がマグダラのマリアを「罪深い女」から区別するなど、その地位の見直しが始まった。20世紀の半ばに、異端の書としてこれまで姿を消していた書物がナグ・ハマディ写本の発見など、その姿を現してきた。そんな世論の中、娼婦を否定し妻とするのは「同じ見方の裏と表」と、エレーヌ・ペイゲルス(Elaine Pagels)は指摘した。ペイゲルスによれば、「男たちは、マグダラのマリアがイエスの弟子でも、リーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないかとさえ思える」と。しかし、史実の対象となる古書の中にイエスが結婚をしていないという具体的な表現もなく、重要な文書が削除され教義が歪曲されたとも解釈できる。太古の時代に地球上のあらゆる文化でリーダーとしての女神崇拝があったことの名残でもあるマグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織が「性的」や「ファンタジー」という言葉によって、逆に貶めているとも考えられる。

 

キリスト教美術における表現

 

マグダラのマリアは西欧キリスト教美術において、聖母と並ぶ重要な聖書の登場人物である。聖母は超越的な奇跡的存在であり、多くの宗教画家は最大級に理想化された聖母像をつくった。対して、マグダラのマリアはエモーショナルな存在を象徴する女性として描かれた。聖母とともにマグダラのマリアを常に重要な場面に登場させるキリスト教美術は、そうすることでキリスト教における人間の愛のありようを相互補完的に表した。但し、東方教会正教会においてはマグダラのマリアにつき西欧で伝承されたようなマグダラのマリア理解の伝統は生まれなかった。

 

西欧キリスト教美術において

 

以下、西欧のキリスト教美術における伝統につき詳述する。

  

 
16世紀に描かれた絵画

 

  • 宗教画においてルネサンス以降の宗教画では、聖書の人物によって衣服の色がおおむね定まっており、聖母が青や紺色の衣やマントを着るのに対し、マグダラのマリアは緑色の下衣、朱色のマントを身につける事が多い。多くは豊かな金髪を見せ、高価な油壺を手にする。時代にもよるが、古い15世紀の絵画などでは聖母が赤い衣に暗濃色のマントであることもある。
  • 画題はイエスの受難、すなわち『十字架の道行き』や『磔刑』、『降架』、『ピエタ』、『埋葬』、『磔刑図』、『イエスの復活の場面』の各場面の情景で聖女マグダラのマリアが多く描かれる。
  • 多くの宗教画おいては聖母マリアがイエスに近い構図に、マグダラのマリアはイエスの足もと近くの構図へ配置される。
  • 『イエスの復活の場面』ではマグダラのマリアがイエスと共に画面に描かれる。宗教画家に好んで描いた主題に『ノリ・メ・タンゲレ 我に触れるな』(Noli me tangere)がある。復活したイエスに気付き、マグダラがすがろうとするのをイエスが台詞とともに制する様子(ヨハネ20:17)である。
  • 聖人群像画である『聖会話』などでも他の聖女らの中でそれと判るように、マグダラのマリアはトレードマーク(アトリビュート)である香油壺を手に持つことが多い。幼子イエスを抱く聖母マリアを中心とする聖人群像画『聖母子と聖会話』での主な人物は洗礼者ヨハネであり、周囲の人物にマグダラのマリアが描かれることもある。

 

 
『マグダラのマリアの浄化』(ホセ・デ・リベーラ

 

  • マグダラのマリアのみを描く宗教画は、とくにルネサンス以降の西欧を中心に『マグダラのマリアの悔悛』という主題で多く制作された。晩年の苦行、隠修生活を描いたものでは西欧キリスト教の聖女の中では珍しく肌を露出し、ときに裸身で描かれる(正教会ではエジプトの聖マリアも肌をある程度露出した姿で描かれる)。隠修生活中でしばしば天国に昇り、天使の歌声を聞いていたとして『マグダラのマリアの昇天』という主題でも描かれる。

 

絵画・最後の晩餐

 

最後の晩餐』(さいごのばんさん、伊:Il Cenacolo o L'Ultima Cena) はレオナルド・ダ・ヴィンチが彼のパトロン、ルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描いた巨大な絵画。これはキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日、最後の晩餐の情景を描いている。ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した時の情景である。

 

小説『ダ・ヴィンチ・コード』はレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でキリストの右隣には女性らしき性別の人物が座っており、マグダラのマリアではないかとする説を紹介している。

 

しかし、使徒ヨハネと解釈されてきたこの人物を、髭の無い青年もしくは女性的に描き、金髪で衣装もマグダラのマリアと同じ朱色とするのは、ダ・ヴィンチに始まらず、それ以前からの伝統であり、小説『ダ・ヴィンチ・コード』の記載は適切な解釈ではない。 『最後の晩餐』の絵にはキリストと12人が描かれているので、件の人物が使徒ヨハネとして描かれたことはほぼ確かである。

 

この絵は『ヨハネによる福音書』をもとに描かれている。同福音書には、イエスの愛しておられた弟子がイエスに寄りかかっていたと書かれている(13:23-26)。 この「イエスの愛しておられた弟子」(この表現は別の箇所にもみられる)が他の人物である仮説、あるいはマグダラのマリアではないかとの仮説は、ダ・ヴィンチの絵画よりも以前から囁かれていており、最近になって明らかになったものでもない。

 

東欧の正教会美術において

 

 

東方のキリスト教におけるマグダラのマリアを巡る事情は西欧とはかなり異なる。

 

そもそも東方教会・正教会において、イコン以外の美術としての宗教絵画がまとまった形で生まれたのは近世以降にほぼ限定される。イコンにおいては当然の事ながら性的表現・感情的表現は(たとえ技法に西欧的なものが導入されているものであっても)抑制され、マグダラのマリアについてもこれは例外ではない。また、確かにマグダラのマリアは正教会でも篤く崇敬されてはおり、これを元にした世俗絵画も無い訳ではないものの、「生神女(聖母マリアのこと)に続く第二の聖人」と称されてマグダラのマリア以上に崇敬されるのは、エジプトのマリアである。

 

西欧における聖女に因む名前

 

  • 聖女マグダラのマリアに因んで女の子にその名が付けられることも多い。したがって同名の別人も多い。英語では 「メアリ・マグダレーン」(Mary Magdalene)。映画にもなったジューン・ゴールディング著『マグダレンの祈り』は聖女の名を冠する修道院を舞台とする。
  • フランス語では「マリー・マドレーヌ」(Marie Madeleine) となる。ヴェズレーサント=マドレーヌ大聖堂、パリのマドレーヌ寺院はこの聖女を祭る。お菓子のマドレーヌもこの名に由来する。
  • 愛称は「マルレーン」もしくは「マレーネ」(Marlene)。マレーネ・ディートリッヒもこの名前である。イタリア映画『マレーナ』もこの名前を持つ、美しくも運命に翻弄されるヒロインを描き、モニカ・ベルッチがその役を演じた。イタリア語では「マリア・マッダレーナ」(Maria Maddalena)。ちなみにモニカ・ベルッチは映画『パッション』でもマグダラのマリア役を演じている。
  • マリリン・モンローの「マリリン」もこの愛称。
  • 現スウェーデン国王カール16世グスタフの末娘であるマデレーンはファッション雑誌の表紙モデルを務めるなど、その美貌が人気となる。
  • ノルウェーの女性シンガーソングライター、レネ・マーリン(Lene Marlin Pedersen)もこの名前。すなわちレネもその愛称。彼女のデビュー・シングル『Unforgivable Sinner』(邦題:天使のように...)のSinnerは聖女の異名「罪の女」を意味する。
  • 聖女の名は教会だけでなく教育機関などにも冠されることが多い。また地名も多くある。

 

関連項目


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