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Learning Biblical Hebrew
ヘブライ語(ヘブライご, עברית, Ivrit, ラテン語:Lingua Hebraea)は、アフロ・アジア語族のセム語派に属する北西セム語の一つ, ヘブル語とも呼ばれる.
ヘブライ語には、古代にパレスチナに住んでいたヘブライ人(ユダヤ人)が母語として用いていた言語古典ヘブライ語(または聖書ヘブライ語)と、現在イスラエル国で話される現代ヘブライ語とがある。現代ヘブライ語はヘブライ語で「イヴリート(イヴリット)」と呼ばれ、古代の聖書ヘブライ語は Leshon HaKodesh[1] あるいは「聖なる言葉」すなわち「神の言語」という名前で知られていた。
古典ヘブライ語はユダヤ人が世界離散(ディアスポラ)したころから次第に話されなくなり、後の時代の離散ユダヤ人は、かわってアラビア語・ラディーノ語・イディッシュ語などの諸言語を日常的に用いた。そのためヘブライ語は二千数百年の間、ユダヤ教の言葉として聖書(ヘブライ語聖書)やミシュナーなどの研究・儀式・祈り、別々の言語を話す遠隔のユダヤ人共同体同士がコミュニケーションを取る場合などに使われるのみであった。しかし、20世紀にヘブライ語が現代ヘブライ語として再生され、他の言語に替わってイスラエル国に居住するユダヤ人の日常語の地位を占めるようになって現在に至っている。
ヘブライ語のティベリア式発音とは、ヘブライ語の発音方式の一つで、旧約聖書のヘブライ語の伝統的な発音方式である。もともとはイスラエルの都市ティベリアのユダヤ人社会で口承により伝えられていた、聖書を朗読する際のヘブライ語の伝統的な発音方式であった。
中世の初めに(8世紀頃)ティベリアのマソラ学者達は、子音のみで記された聖書ヘブライ語の伝統的な発音が後代に失われるのを防ぐため、子音のみのヘブライ文字からなる本文に、母音を示す符号「ニクダー」や、節回しを示す「タアメー・ハミクラー」を付加する書式を考案した。
ティベリア式発音を表記するために考案された「ニクダー」はミシュナーなどの他のヘブライ語文献でも使用され、後に様々な地域のユダヤ人社会で「ニクダー」はそれぞれの地域の伝統的な発音方式で読まれるようになった。「ニクダー」は今日、現代ヘブライ語の母音記号としても継承されている。しかし、現代ヘブライ語の「ニクダー」は、記号の形こそティベリア式のものを継承しているが、母音の発音方式自体はティベリア式発音とは異なり、セファルディムの発音方式が採用されている(詳細については“ニクダー”の項を参照)。
セファルディム式ヘブライ語(Sephardi Hebrew)とは、セファルディー系ユダヤ人が、礼拝などで聖書のヘブライ語 を朗読する際に使用するヘブライ語の発音方式の1つ。その音韻はラディーノ語やポルトガル語、ペルシア語、オランダ語、アラビア語との接触により影響を受けている。
現代ヘブライ語への影響
エリエゼル・ベン・イェフダーがヘブライ語を話し言葉として復活させるにあたり、基準としたのはセファルディム式の発音であった。これは当時、イスラエルにおいて事実上共通語として、セファルディム式ヘブライ語が話されていたのと、最も美しいヘブライ語であると彼が信じていたからである。しかし、現代ヘブライ語の音韻は、咽頭音の消滅や、/r/ 音の巻き舌音から有声口蓋垂摩擦音または口蓋垂ふるえ音への変化など、いくつかの点でアシュケナジム式の発音の影響を受けている。
参考
ラテン語(lingua latina リングワ・ラティーナ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の言語の一つ。ラテン・ファリスク語群。
元々は古代ローマ共和国の公用語として広く普及した古代言語である。西ローマ帝国滅亡後もラテン語はローマ文化圏の古典文学を伝承する重要な役をはたし、勢力を伸ばすキリスト教会を通してカトリック教会の公用語としてヨーロッパ各地へ広まり、祭祀宗教用語として使用されるようになると、中世には、中世ラテン語として成長。ルネサンスを迎えて、自然科学・人文科学・哲学のための知識階級の言語となる。さらにラテン語は、読書き主体の文献言語や学術用語として近世のヨーロッパまで発展存続。現在もバチカンの公用語であるが、ラテン語の文章は、日常ではほとんど使われなくなったとはいえる。しかし、各種学会・医学・自然科学・数学・哲学・工業技術など各専門知識分野では、世界共通の学名としてラテン語名を付けて公表する伝統があり、新発見をラテン語の学術論文として発表するなど、根強く用いられ続けている。
ラテン語の使用・時代・地域・関係の深い言語

もともと、イタリア半島中部のラティウム地方(ローマを中心とした地域、現イタリア・ラツィオ州)においてラテン人により用いられていた言語であったが、ローマ帝国の公用語となったことにより、ヨーロッパ大陸の西部や南部、アフリカ大陸北部、アジアの一部といった広大な版図に伝播した。この過程でギリシア語から多くの語彙を取り入れ、学問・思想などの活動にも使用されるようになった。ただしラテン語が支配的な地域はローマ帝国の西半分に限られ、東半分はギリシャ語が優勢な地域となっていた。やがてローマ帝国が東西に分裂し、ゲルマン民族の大移動によって西ローマ帝国が滅び西ヨーロッパの社会が大きく変動するのに従い、ラテン語は各地で変容していき、やがて各地の日常言語はラテン語と呼べるものではなくなり、ラテン語の流れをくんだロマンス諸語が各地に成立していった。東ローマ帝国においても7世紀に公用語はギリシア語に転換された。
こうした中、今日の西ヨーロッパに相当する地域においてはローマ帝国滅亡後もローマ・カトリック教会の公用語となり、長らく文語の地位を保った。現在でもバチカン市国の公用語はラテン語である。たとえば典礼は第2バチカン公会議まで、ラテン語で行われていた。今日に至るまで数多くの作曲家が典礼文に曲をつけており、クラシック音楽の中では主要な歌唱言語の1つである。ただし、実際の使用は公文書やミサなどに限られ、日常的に話されているわけではない。また、バチカンで使われるラテン語は、古典式とは異なる変則的なラテン語である。なお、多民族・多言語国家であるスイスではラテン語の名称Confoederatio Helvetica(スイス連邦)の頭字語を自国名称の略 (CH) としている。
中世においては公式文書や学術関係の書物の多くはラテン語(中世ラテン語、教会ラテン語)で記され、この慣習は現在でも残っている。例えば、生物の学名はラテン語を使用する規則になっているほか、元素の名前もラテン語がほとんどである。また法学においても、多くのローマ法の格言や法用語が残っている。19世紀までヨーロッパ各国の大学では学位論文をラテン語で書くことに定められていた。
今日のロマンス諸語(東ロマンス語:イタリア語・ルーマニア語、西ロマンス語:フランス語・スペイン語・ポルトガル語など)は、俗ラテン語から派生した言語である。また、英語・ドイツ語・オランダ語などのゲルマン諸語にも文法や語彙の面で多大な影響を与えた。
ギリシア語(現代ギリシャ語:ελληνικά または ελληνική γλώσσα)は、インド・ヨーロッパ語族ヘレニック語(ギリシア語)派に属する言語。ギリシャ語ともいい、単独でギリシア語派を形成する。ギリシア共和国やキプロス共和国、イスタンブルのギリシア人居住区などで使用されており、話者は約1200万人。また、ラテン語とともに学名や専門用語にも使用されている。省略形は希語。
ギリシア語は、インド・ヨーロッパ語族の中で最も古くから記録されている言語であり、その歴史は3400年にわたる[4]。ギリシア文字で記されるようになったのは、ギリシアでは紀元前9世紀、キプロスでは紀元前4世紀以後のことである。それ以前では、紀元前2千年紀半ばには線文字Bが、紀元前1千年紀前半にはキプロス文字が、それぞれ使われていた。
ギリシア語は今日においても、人類史上最も強い影響力を持った文明の言語、あるいは3千年間継承されてきた史上最も偉大な文学を生んだ言語のひとつとみなされ、広く尊敬の念を集めている。その語彙は学術用語として英語をはじめとする欧米諸言語に多数借用されており、英語の語彙のうちの12%がギリシア語由来であると推定される。ギリシア語はまた、『新約聖書』原典を記すのに用いられた言語でもある。ヘレニズム時代には東地中海世界の通商語として広まり、中世には東ローマ帝国領の大半にあたる広大な地域(中東・北アフリカ・東南ヨーロッパ・アナトリア半島)に波及した。
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