ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

最近、感動した動画(1) 「洞窟の女王」

2013年06月05日 | 好きな歌

  

  最近YouTubeにアップされている動画の中で、次の2本に感動を受けました。

(1)映画「洞窟の女王」の中の「SHE Hags Out」

(2)アンドレリウ(バイオリン奏者・指揮者)の活動記録の動画の中から、ズッペ作曲「軽騎兵序曲」

  


 映画「洞窟の女王」の中の「SHE Hags Out」
この動画については、テツの記事と重複します。 映画「洞窟の女王」

 1956年作「洞窟の女王」映画の一場面で、最高に感動的なシーンです。
SHE Hags Out 2分20秒
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=g-K58JHhM1M 

 動画のタイトル《SHE Hags Out》は 「女王は、(一瞬にして)醜い老いぼれ女になって死んでしまう」とでも訳せましょうか。
二千年も生き続けた絶世の美人女王も、若返るはずの地底の炎を再度浴びた結果、一瞬にして、老女と化し死んでゆく・・・・。 

 この動画のシーンに該当する箇所を、世界大衆文學全集第二十八卷『洞窟の女王 ソロモン王の寶窟』,改造社 (昭和三年七月一日印刷,昭和三年七月三日發行)(インターネットアーカイブ)からご紹介します。

こちらをクリックすると、上記世界大衆文學全集第二十八卷『洞窟の女王 ソロモン王の寶窟』,改造社 (昭和三年七月一日印刷,昭和三年七月三日發行)の実物を撮影したPDFが現れます。

http://archive.wul.waseda.ac.jp/tomon/tomon_19258/tomon_19258.pdf

現在テツが最近購入し読んでいる本(大久保康雄(訳)・東京創元社刊(1974年5月24日)とは別訳です。インターネットアーカイブでは検索出来ないでしょう。有料では可能かもしれません・・・。

 大久保康雄(訳)・東京創元社刊の方が(仮名使いなどの点で)読みやすいので、近いうちに引用したいと思っています。 

第二十五章 生命の精

(前半省略)

「昔一人の男がこゝに長年の間住んでゐたのだと言つたらあなたは信じなさいますか?ホリ? 土地の人々が食物と水と油とをもつてきてあのトンネルの入口に置いてゆき、 その男は十二日目に一度づつそれを取りに行つてゐたのです。」

私は疑はしさうに彼女の顏を見た。彼女は言葉をつゞけた。

「眞實《まつたく》なのですよ。その男は自分でヌートと言つてゐました。そして、 ずつと後の人でありましたけれど、コオル人の子孫として恥かしからぬ智慧をもつてゐました。 隱者で、哲人で、自然の祕密に大變よく通じてゐて、これから妾があなた方に御案内しようと思つてゐる、 自然の血であり命である火を發見したのはその人なのです。 その火を浴びてそれを吸ひ込んだ人は自然の命のつゞく限り生きられるといふ火を發見したのです。 ところがね、ホリイ、このヌートといふ人もあなたと同じやうに、 この智識を役に立てようとはしないで、人間は死ぬのが定命なのだから、いつ迄も生きてゐるのはよくないと言つて、 その火を探してゆく人がどうしても通らねばならぬ、この場所に住んでゐて、 誰にもその祕密を話さないで、アマハッガー人から仙人だとか生佛だとかいつて敬はれてゐたのです。

「ところが妾がはじめてこゝへ來ましたとき -- 妾がどうして來たか御存じですかカリクラテス?いつかそのことはお話しゝますが、それは不思議な話なのですよ。 -- 妾はこの話を土地の者から聞いて、その老人が食物をとりに來るのを待つてゐたのです。 そして老人につれられて、こゝへ歸つて來たのです。あの岩の裂け目を渡つたときはほんたうに恐ろしかつたですけれど。 それから妾は、妾の美しさと知慧とで、その老人にとり入つて、 たうとうその火の祕密を老人の口から話さしてしまつたのです。 けれど、老人がとめるものですから、火の中へははひらないで、そのまゝ歸つて來たのですが、 それから二三日たつて、あなたに會つたのですよ、カリクラテス、 あなたはアメナルタスといふ美しい埃及《エジプト》女と二人でこの土地へ彷徨《さまよ》うて來られたのです。 妾はあなたを見て、一生のうちではじめて戀を感じました。これは最初の戀でまた最後の戀でもあつたのです。 そこで妾はあなたと二人でこの自然の惠みを受けて不死の身にならうと思ひ立つてこゝへ來たのです。 埃及《エジプト》女もどうしてもあとに殘つてゐるのが嫌だといふのでついて來ました。 來て見ると、ヌート老人はこゝに死んでゐたのです。 白い髯が着物のやうに身體の上におほひかゝつてこゝに斃《たふ》れてゐたのです。」 かう言ひながら、彼女は私の坐つてゐるすぐ隣りを指さした。 「でももう老人の死骸はすつかりぼろ〜になつて風に吹き飛ばされてしまつたでせう。」

この時私が手を伸すと埃の中で何か硬いものが指に觸れた。それは黄色い人間の齒であつた。 私がそれを差し出してアッシャに見せると彼女は笑ひながら言つた。

「きつとしれはヌートの齒ですわ。ヌートとヌートの知慧との中で今のこつてゐるのはこの小さな齒だけなのですね! けれどもあの人は生命を自由に支配することができたのです。 ただ良心のためにそれを自分のものとしなかつたのです。 さて、その老人は死んでゐたものですから、妾たちは、これからあなたがたを案内するところまで行つて、 妾は死を賭してその焔の中へ跳びこんだのです。ところがその結果はどうでせう。妾は、不死の身になつて、 そしてこんなに美しくなつて出て來たのですよ。そこで妾はね、カリクラテス、あなたに向つて、 この不死の花嫁をおとりなさいと言つたのです。するとあなたは、妾のあまりの美しさに眼が見えなくなつて、 アメナルタスの胸へ顏を伏せて妾からかくれなさつたのです。妾は怒りのために氣が狂つて、 あなたのもつていらつした投槍をとつてあなたをつき刺してしまひました。 するとあなたは場所もあらうに生命の場所で、呻き聲をあげながら、妾の脚下《あしもと》へ倒れて死んでおしまひになりました。 妾はその時はまた妾の眼と意志の力とで人をにらみ殺す力があることに氣がつかなかつたものですから、 氣の狂つたあまり、あなたを槍で突き殺してしまつたのです。

「あなたが死んでおしまひになると妾はわつと泣き出しました。妾は不死の身になつたのに、 あなたはもう死んでしまはれたのですもの。妾は泣いて泣いて泣きくづれました。若し妾が普通の女であつたら、 心臟も破れたでありませう。するとにくい埃及《エジプト》女は、あの女の神の名を呼んで妾を呪ひました。 オシリスやイシスやネプチスやセット等の神々の名を呼んで、妾の身に災《わざはひ》のあるやうに、 永久に妾が悲運に沈むやうに呪ひました。 あゝ妾は今だにあの女が黒い髮を妾に向けて嵐のやうに呪つてゐる姿がありありと見えるやうです。 でもあの女は妾に危害を加へることはできなかつたのです。妾があの女に危害を加へることができたかどうかは妾は知りません。 で妾はあの女と二人であなたの屍骸をもつて歸つたのです。そのあとで妾は、埃及《エジプト》女を歸してやりました。 それから何でもあの女には子供が生れて、その子供のためにあの物語を書き記しておき、それを見てあなたが、 あの女の戀敵であり、あなたを殺した下手人でもある妾のところへ歸つて來られたといふわけなのですわ。

「まあざつとかういふわけなのですよ、あなた、そして、この物語りに最後の結末をつける時が近づいて來たのです。 此の世の中の事は何事でもさうですが、この話にも善と惡とが入りくんでゐます。 恐らく善よりも惡の方が多いでせう。それにこの物語は血の卷物に書いてあるのです。 妾はありのまゝを申し上げました。何一つかくしてゐません。ところで、これから、 愈々《いよ〜》あなたが試煉を受けなさる前に、いま一つのことを申し上げておきます。 妾たちはこれから死の面前に立つのです。といふのは生命と死とはほんたうに隣りあつてゐるのですからね。 これから、お互に離れて、また長いこと待たなければならぬやうになるかどうか誰にだつてわかりはしません。 妾は豫言者ではなくてたゞの女ですから、未來《さき》のことはわかりません。ですけれど、 これだけのことは妾にもわかつてゐます。ヌートに聞いて知つたのです。 といふのは妾の生命は長く伸ばされて、輝かしいものにされたといふだけのことで、 永久に不死といふわけではないといふことです。ですから、これから出かける前に、 あなたが、心から妾を許して下さり、妾を愛して下さることを妾にどうぞ誓つて下さい、カリクラテス。 妾は隨分惡いことをしました。妾は罪を犯しました。ですけれど妾が罪を犯したのも戀故です。 それに妾の心はまだ硬くなりきつてはゐません。カリクラテス、あなたの愛こそ、妾の贖罪の門です。 以前に妾の情熱が妾に罪を犯さしたやうに、あなたの愛で妾の罪は救はれるのです。 滿たされない深い戀は地獄です。しかし戀が完全に酬いられると、それは翼となつて妾たちを空に翔けらせ、 妾たちの本領を存分に發揮させます。

ですから、カリクラテス、どうぞ妾の手をとつて下さい。 さうして、妾を此の世で一番美しい一番賢い女だなどとは思はないで、まるで名もない田舎娘だと思つて、 恐がらないで妾のヴェールをとつて妾の眼を見て下さい。そして、妾を心から許す、 心から愛すると仰言《おつしや》つて下さい。」

彼女はこゝで言葉をきつた。彼女の聲にこもつた言ひしれぬやさしさは、 死者の思ひ出のやうに吾々の周圍に立ちこめてゐるやうに思はれた。 妾は[原文のまま]彼女の言葉以上にその聲に動かされた。それ程にもそれは人間味に溢れた聲であつた。 レオも不思議に感動してゐるらしかつた。これまで彼は蛇に魅惑された小鳥のやうに、 理性ではこれではいけないと考へながらも、彼女の美しさに魅惑されてゐたのであつたが、 今ではもうさうではなくて、ほんたうに、心底から、この不思議な輝かしい女を愛してゐることを彼は知つてゐたのだ。 私自身も實をいふとさうだつたのだ!いづれにもせよ、レオは兩眼に涙を一ぱいためて、 彼女のそばへかけ寄り、彼女の顏の薄紗《うすもの》をとつて、彼女の手を握り、 彼女の美しい顏をぢつと身ながら言つた。

「アッシャ、私は私の心の全部をさゝげてあなたを愛します。それから許すの何のといふことがあるなら、 私はアステーンの死について、あなたを許します。その外のことはあなたとあなたをつくつた神とのことで、 私は何も知らないのです。私の知つてゐることは、私が今までは愛したどの愛にもまさつてあなたを愛するといふことだけです。 私はこれからあなたのそばにゐようとも、あなたと遠くはなれようとも、心は永久にあなたから離れません。」

「では」と彼女は誇りを失はないで、しかもへりくだつた調子で言つた。「あなたが許して下さつた以上は、 妾ももう躊躇はいたしますまい。御覽なさい!」かう言つて彼女はレオの手をとつて、それを彼女の恰好のいゝ頭にのせ、 片脚の膝がしばし地に觸れるまで腰を屈めた。「御覽なさい!妾はあなたに身をお委せするしるしに、あなたに頭をさげます!」 それから彼の脣に接吻しながら「妾の妻としての愛のしるしにあなたに接吻します。」 ついで彼女は彼の胸の上に手をおいて「妾の犯した罪にかけて、今は拭ひさられた、 妾の待ち焦れてゐたわびしい數世紀の年月にかけて、妾の大きな戀にかけて、精靈にかけて、 凡てのものゝ母なる永遠の物にかけて -- 妾は誓ひます --

「妾がはじめて女になつたこの神聖な時にあたつて、妾は今後惡を棄てゝ善をなすことを誓ひます。 永久に妾はあなたの聲に導かれて眞直な義務の道を進むことを誓ひます。 そして、時の波を横ぎつて妾の腕《かひな》へ歸つて來られたあなたを、 妾の最後の日まであがめいつくしむことを誓ひます。

「さ、妾は誓ひました。ホリイ、あなたは證人です。こゝで妾たちは結婚したのです。 このうすぐらい窟《あな》を婚儀の室《へや》として、妾たちの縁は萬物のをはりまで結ばれたのです。 こゝに妾たちは、吹く風に結婚證書を書き記します。その風はやがてそれを天上に持ちはこび、 このめぐり行く世界の周圍を永久にまはることでせう。

「それから結婚の贈物として、妾は、妾の美と、長い命と、はかり知れぬ知慧と、 數へきれない富とをあなたに差し上げます。この世の最も偉大なる者もあなたの脚下《あしもと》にひれ伏すでせう。 この世の美しい女子《をなご》たちは、あなたの美しさに眼が眩んで、眼をあけてあなたを見得ないでせう。 この世の賢者たちはあなたの前にたてば顏を赧らめてしまふでせう。

「御覽なさい、もう一度妾はあなたに接吻します。そしてこの接吻とともに、妾は海陸の支配權をあなたに差し上げます。 日光の降りそゝぐところ、水が月影を宿すところ、嵐のすさぶところ、虹の掛橋のかゝるところ、 雪におほはれた北の端より、青海原のベッドに横はる花嫁のやうに、 戀の南國が桃金孃《マートル》の匂かぐはしき吐息をつくところまで、悉《ことごと》くあなたの領土です。 あなたは神のやうに、善惡を掌握なされて、この妾でさへも、つゝましやかにあなたの前に跪くでせう。

「さあこれですみました。妾はあなたのために、妾の處女の帶を解きますが、嵐が來ようが、 光が來ようが、善が來ようが、惡が來ようが、生が來ようが、死が來ようがこの誓ひは變ることはないのでございます。」 かう言ひながら彼女は一つのランプをとつて、搖れる石が屋根のやうにかぶさつた室《へや》の端の方へ進んで行つて、 そこで足を停めた。

吾々は彼女のあとについて行つた。そして圓錐形の壁に階段があるのに氣がついた。 もつと正確に言へば階段のやうな形にこしらへた岩の瘤《こぶ》が突き出てゐたのである。 アッシャはこの階段をひらりひらりと輕やかに降りて行つた。吾々もよろよろあとにつゞいた。 五六十歩も降りて行くと、それは、漏斗形の長い岩の勾配になつてゐた。

この勾配は非常に急で、處々絶壁になつてゐたが、それでも通れないところはなかつたので、 吾々はランプの光を頼りに、難なく降りてゆくことができた。とは言へ、こんな風にして、 行先きがどうなつてゐるかも知らずに、死火山の中心に向つて降りてゆくことは、ひどく氣味のわるいものではあつた。


 
こんな風にして、かれこれ半時間も旅をつゞけてゆき、數百呎も降りて行つたと思ふ時、 吾々は漏斗の底に着いた。そこには狹い通路があつて、吾々は匍はなければそこを通ることは出來なかつた。 この通路を五十碼《ヤード》ばかりも匍つてゆくと、突然その先に途方もない大きな洞窟があつた。 その洞窟はあまり大きいので吾々には天井も側壁も見えなかつた。たゞ吾々の跫音《あしおと》が反響するのと、 空氣が重く沈んで靜まり返つてゐるのとで、それが洞窟であることがわかつた位である。 吾々は地獄の亡者のやうに、默りこくつて、白衣姿のアッシャを先頭にしてしばらくの間歩みをつゞけて行つた。 そのうちにまた通路があつて、こんどは前の洞窟よりも狹い第二の洞窟に着いた。 それからこの洞窟の奧につきあたると第三の通路があつて、そこから微《かす》かな光が洩れてゐた。

何處から發してゐるのかわからないこの光を見つけたとき、私はアッシャの口からほつと安心の吐息が洩れるのを聞いた。

「さあ、これから地球の胎内へはひつて行くのですよ」と彼女は言つた。 「そこに、人間や獸や、木や花にまで命を與へる生命《いのち》が孕んでゐるのです。さあ用意しなさい。 これからあなたがたは生れかはるのです。」

彼女は素速く通路の中へはひつて行つた。吾々もつまづきながらあとにつゞいた。 吾々の心は恐ろしさと、恐い物見たさとで一ぱいだつた、この先きにどんなものがあるのだらう? 吾々がトンネルを進むにつれて、光は益々強くなつて燈臺の光のやうな大閃光となつた。 そればかりではない。この光とゝもに、雷鳴のやうな、大木の折れるやうな、 魂の中までも震撼させる音が聞えて來た。たうとう吾々はトンネルをくゞりぬけた。すると、どうだらう!

吾々は第三の洞窟に立つてゐた。それは長さと高さとはそれぞれ五十呎もあり幅は三十呎位であつた。 下には白砂が敷きつめてあり、壁は火か水かの作用で滑らかになつてゐた。 この洞窟は他の洞窟のやうに暗くはなくて柔かい薔薇色の光に滿ちてをり、又とない美しい眺めであつた。 しかし先程見たやうな閃光も見えなければ雷鳴のやうな音も聞えなかつた。けれども、吾々が、 この不思議な光景に呆氣をとられてながめてゐるうちに、しばらくすると、恐ろしくも美しい出來事が起つた。 洞窟の遙か彼方にあたつて、轟然たる音響とともに -- それは非常に恐ろしい音で吾々はみんな慄へ上つた、 ジョッブの如きはその場にへたばつてしまつた程であつた -- 虹のやうに七色に彩られ、電光のやうに明るい、 恐ろしい火柱がかつと燃え上つた。そしてしばらくの間、さうだ約四十秒程の間、 それは音を立てゝ燃えてゐたが、そのうちにだん?音もやみ光も消えてしまつて、あとには、 吾々がはじめに見たやうな薔薇色が殘つた。

「もつとこちらへいらつしやい!」とアッシャは歡喜のために聲を張り上げて言つた。 「これが、この世界の胸の中で打つてゐる生命《いのち》の泉です。生命《いのち》の心臟です。 これが萬物の精力の源泉たる實體です。地球の輝ける精です。これが無ければ地球は生きてゆけなくて、 月のやうに冷たくなつて死んでしまふのです。もつとこちらへ寄りなさい。そしてこの生きた焔であなたがたの身體を洗ひなさい。 そしてこの焔に力をあなた方の身體の中へ吸ひとりなさい。」

吾々は彼女のあとについて薔薇色の光の中を通つて、洞窟のつき當りまで行つた。そして、大きな鼓動が脈うち、 大きな焔の燃えてゐた場所の前に立つた。そこへ進んで行くにつれて吾々は心が馬鹿に素晴らしく陽氣になつてゆき、 生命《いのち》がはちきれるやうに充ちみちて來るのを感じた。この時の氣持に比べると、 どんなに吾々の力が充實してゐた時でもお話にならない位であつた。 これは焔から發散する靈氣が吾々の身中に入つて、吾々を巨人のやうに強くし、 鷲のやうに敏捷にしたに過ぎないのだ。

吾々は洞窟のつきあたりに立つて、明るい火の光を浴びながら、互に顏を見あはして、輕い氣持で、 神々しさに醉つたやうな爽快感を覺えながら聲を出して笑つた。この數週間にこりともしたことのないジョッブでさへも笑つた。 私は人間の知力の逹し得る凡《あら》ゆる天才が私の身體の中へ宿つて來たやうな氣がした。 沙翁のやうな素晴らしい無韻詩が口をついて出て來るやうな氣がした。 まるで肉體の束縛が解けて精神が自由に解放されたやうな氣持ちであつた。

私が、この新生の自己の素晴らしい力を享樂してゐたときに、突然遠くの方でごろごろといふ恐ろしい音が聞えて來た。 その音はだんだん強くなつて、ごうごう、がらがらといふ音になり、それが結合して、此の上ない恐ろしい、 それでゐて素晴らしい音になつた。音は刻々吾々に迫つて來て、まるで光の駒に曵かれてゆく雷車のやうに轟いてゐた。 それとゝもに、眼も眩むやうな晃々たる七色の雲がまき起り、しばらく吾々の前に立つてゐたが、やがて靜かに渦をまいて、 轟然たる響とゝもに、何處へともなく消えて行つた。

この驚くべき光景を見て、吾々は皆その場にへたばつて、砂で顏を隱した。 たゞ女王だけはその場につゝ立つたまゝ火の方へ兩手をのばしてゐた。

光が消え去つた時、アッシャは語り出した。

「たうたう時が來ましたよ、カリクラテス。こん度あの大きな火焔が燃えて來たら、あなたはあの中へ跳びこまなくちやなりません。 でもその時はお召物は脱ぎなさい。あなたの身體には怪我はありませんけれどもお召物は燃えてしまひますから。 あなたは、あなたの五官が辛抱できる限りあの焔の中に立つてゐて、すつかり焔を跳びまはらせて、 焔の力をすつかりあなたのものにしなさい。妾のいふことを聞いてゐますね、カリクラテス?」

「聞いてゐますよ、アッシャ」とレオは答へた。「だけど、實を言へば -- 私は憶病者ではありませんけれど -- あの燃えさかつてゐる火の中へ跳びこんで大丈夫だらうかと思ふのです。 私もあなたもそのために滅びてしまふやうなことはないでせうか? でもやるにはやりますけれど」と彼は附け足した。

アッシャはしばらく考へてゐたがやがて口を開いた。

「あなたがお疑ひなさるのも無理はありません。ではかうしませう。妾があの焔の中に立つて、怪我もせずに出て來たら、 あなたもおはひりになりますね?」

「はひりますとも」と彼は答へた。「死んでも入ります。今も入ると言つたぢやありませんか?」

「私もはひりますよ」と私は叫んだ。

「何ですて、ホリイ」と彼女は聲を出して笑つた。「あなたは長生きしたくないといふぢやありませんか、どうしたのです?」

「私にもわからんですが」と私は答へた。「私は心の中で、あの焔を味つて生きろと呼びかけるものがあるのです。」

「ようござんす」と彼女は言つた。「あなたもまだすつかり性根を腐らしてはいらつしやらなかつたのね。 さあ御覽なさい。妾はこれから二度目に生きた焔を浴びます。ことによると妾はもつと美しく、 妾の命はもつと長くなるかも知れませんが、若しそれが叶はぬとしても、怪我をするやうなことはありません。」

「それから」と彼女はしばらくやすんだあとで言葉をつゞけた。 「妾が二度この焔を浴びようと思ふには別にもつと深いわけがあるのです。 はじめに妾がこの焔の力を味つたときには、妾の心は、 あの埃及《エジプト》女のアメナルタスに對する怒りと憎しみとで一ぱいでありました。 ですから、妾は一生懸命にそれをふりすてたいと思ひましたけれど、その時から今になるまで、 妾の魂には怒りと憎しみとの烙印《やきいん》が捺されてゐるのです。けれども今はちがひます。 今は妾の氣分は幸福な氣分です。そして今妾は此の上ない清淨な心に滿たされてゐます。 妾はいつまでも此のやうな氣持でゐたいのです。それだから妾はもう一度この焔で身體を洗ひ清めて、 あなたに似つかはしくなりたいのです。それだから、また、 あなたも焔の中へはひつた時は邪心を去つて心の平靜を保つてゐなさい。 魂の翼をゆるめて、おつかさんの接吻を念頭におき、最高善の姿を見つめてゐなさい。 と申しますのは、その恐ろしい瞬間に蒔かれた種が生長して、これからの限りない生涯の實を結ぶのですから。

「では支度をなさい!あなたの最期の時が近づいて、これから死を越へて、冥土へ行くのだと思つて支度をなさい。 光榮の門から美しい生命の國へ行くのだと思つてはなりませんよ。さあ、支度をなさい!」

第二十六章 あゝ何たる光景ぞ


それからしばらくの間沈默がつゞゐた。アッシャは、猛火の試煉を受けるために力を集中してゐるらしかつた。 その間吾々は互に身體を擦りよせてしがみつきながら、固唾を呑んで待つてゐた。
そのうちに遠くの方から、微《かす》かな音が聞え、やがて音はだんだん高くなつて來た。 アッシャは此の音を聞くと素早く薄紗《うすもの》を脱ぎすて、金色《こんじき》の蛇の形をした帶を解いた。 それから美しい髮を外套のやうに身體のまはりに振り亂して、その髮の下で白い上衣《うはぎ》を脱ぎすて、 髮を埀れたまゝ髮の上から胴體に蛇の帶をしめなほした。そして彼女は、 アダムの前にたつてゐたイヴの姿さながらの姿で吾々の前に立つた。 身につけてゐるものとては、ふさ〜した髮を金の帶で身體にまきつけてゐるばかりであつた。 その時の彼女の美しさ、神々しさは、とても私の筆では傳へ難い。焔の雷車は刻々に近づいて來た。 焔が燃え上つて來たとき、彼女は黒い髮の塊りの中から象牙のやうな腕を出して、レオの頸にまきつけた。

「おゝ、戀しいあなた!」と彼女は低聲《こゞゑ》で言つた。 「妾がどんなにあなたを愛してゐたか、いつかあなたにわかるでせうか?」 かう言ひながら彼女は彼の額に接吻し、疑ふものゝやうにしばし躊躇《ためら》つた後、 つかつかと前へ進み出て命の焔の通路に立つた。

私は今でもおぼえてゐるが、この時の彼女の言葉と、レオの額にした接吻とには、 何かしら非常に強く私の心を動かすものがあつた。それはまるで母親の接吻のやうで、 祝福がこもつてゐるやうであつた。

風が林を吹き靡《なび》けるやうな音が、ごうごうと近づいて、渦卷く火焔の柱を前觸れする閃光が、 薔薇色の空に矢のやうにひらめき、更に火柱そのものゝ尖端が現はれて來た。アッシャはその方を向いて、 兩腕をさしのべてそれに會釋をした。焔は非常にゆるやかに渦を卷いて、 彼女の身のまはりを舐めまはした。私は焔の精が彼女の身體を舞ひ上るのを見た。 彼女はまるでそれが水ででもあるかのやうに、兩手でそれを掬《すく》ひ上げて、彼女の頭に注ぎかけた。 それから彼女は口を開けてそれを肺の中まで吸ひこみさへした。實になんとも言へぬ恐ろしくも竒《く》しき光景であつた。

それから彼女はしばらく動作をやめて、兩の腕を伸したまゝで立つてゐた。脣邊《くちべ》には神々しい微笑が浮んで、 まるで彼女自身が焔の精であるかのやうに見えた。

不思議の火は彼女の黒いぢゞれ髮《け》をなぶつて、まるで金色《こんじき》のレースのやうにその間からちよろよろ燃え上り、 黒髮のしなだれてゐる象牙のやうな肩や胸を匍ひ、咽喉から頭へ燃え上つて、きらきら輝く眼のところまで來て、 所得顏《ところえがお》に燃えさかつた。

あゝこの焔の中に立つてゐる彼女の美しさ!天から下つて來た天女だつてこれよりは美しくはなであらう。 今でも私は、裸體のまゝで火の中に立つて微笑んでゐたその時の彼女の姿を思ひ出すと氣が遠くなる。 もう一度あの姿が見られるなら、殘りの半生を棒に振つてもよいと思ふ。

だが突然に、何とも名状し難い變化が彼女の顏を襲つて來た。あまり突然で私にはどう言つていゝかわからない位だ。 それにその變化は私には何とも説明のしやうがないが、何しろ變化は變化にちがひない。 彼女の顏からは微笑は消えてしまつて、干乾《ひから》びた、硬ばつた容子にかはつてしまつた。 丸々してゐた顏は大變な心配事に惱まされたやうにやつれてゆき、眼の光も失せてしまひ、 品のよい眞つ直な體格はだんだん醜くまがつて來た。

私は眼を擦《こす》つた。そして何か錯覺に襲はれたのぢやないかと思つた。それとも、 あまり強い光を見たゝめに幻覺を起したのではないかと思つた。私が不思議の眼を瞠《みは》つてゐる間に、 焔の柱は徐々にねぢれて、下火になつて、やがて大地の腸《はらわた》の中へ消えてしまひ、 あとにはアッシャの姿だけが殘つた。

焔が消え去るとすぐに彼女はレオのそばに進み寄つて、手を伸してそれを彼の肩においた。 私は彼女の腕をぢつと見つめた。あの丸々した美しさはどこへ行つてしまつたのだらう? その腕は痩せてごつごつ骨ばつてゐた。そして彼女の顏はどうだらう! 彼女の顏は私の見てゐる前で、見る見る年を老《と》つていつた。レオもそれを見ただらうと私は思ふ。 彼はたしかに少し後退《あとずさ》りした。

「どうしたのです、カリクラテス?」と彼女は言つた。その聲はまたどうしたことであらう。 あの澄み渡つた鋭い響きはなくなつて、高いかすれたきい〜聲になつてしまつてゐるではないか。

「おやどうしたのです -- どうしたのです?」と彼女はどぎまぎしながら言つた。 「妾は眼が眩んでしまつたのです。火の質《たち》がかはる筈もないのに、 生命《いのち》の原質《もと》がかはる筈もないのに?言つて下さい、カリクラテス、 妾の眼はどうかしましたか?妾ははつきり物が見えないのです」 かう言ひながら彼女が手をあげて髮を觸ると -- あゝ恐ろしや! -- 髮は床の上へばさ〜拔け落ちてしまつた。 「まあ!まあ!まあ!」とジョッブは甲高い恐怖の聲で叫んだ。彼の眼は顏から飛び出し、 脣の間からは泡を吹いてゐた。「まあ!まあ!まあ!あの女が萎《しぼ》んでゆく!猿になつてゆく!」 かう言ひながら彼は發作を起して、口から泡を吹き、齒をくひしばりながら地べたにどさつと倒れた。

實際その通りであつた。アッシャは見る見る萎んで行つた。 彼女の美しい腰に卷いてあつた金蛇の帶はするりと臀を辷り拔けて地に落ちた。 彼女はだんだん小さくなつてゆき、皮膚のいろはかはつて艷々した白い色は、 古ぼけた羊皮紙のやうな薄汚ない黄褐色にかはつていつた。 しなやかな手は爪ばかりになり、保存しかたのまずい埃及《エジプト》の木乃伊《ミイラ》の爪そつくりになつてしまつた。

やがて彼女はこの變化に氣づいたものと見えて、金切聲をあげて叫んだ。 あゝ、あのアッシャが床の上を轉げまはりながら、金切聲を上げて叫んだのだ。

彼女は益々小さく凋《しぼ》んでいつて、たうとう猿位の大きさになつた。 皮膚には無數の皺が生じ、醜い顏には何とも名状できない程の老齡のあとがきざみこまれた。 私はこんなものを未だかつて見たことがない。誰だつて、生後二ヶ月の赤ん坊位の大きさで、頭だけ大人のやうに大きくて、 その恐ろしい彼に、無限の年齡をきざみつけられたこの時の彼女の顏のやうなものを見た人はないに相違ない。

たうとう彼女はぢつとしてしまつた。といふよりもほんの微《かす》かにぴくぴく身體を動かすだけになつてしまつた。 二分前までは、此の世に又とない素晴らしい美人であつた彼女が、今は、猿程の大きさになつて、 彼女自身の髮の塊りのそばに、言語を絶した醜い姿をしてぢつと横はつてゐるのだ。けれども私はその時、 それは矢つ張り同じ彼女にはちがひないと思つた。

彼女はもう瀕死の状態であつた。それは有難いことであつた。といふのは生きてゐれば感情を持つてゐることだらう。 感情をもつてをれば變りはてた自分の姿を見てどんな感じがするだらう。彼女は骨ばつた手をあげて、 かすんだ眼であたりを見まはしながら、龜のやうに、そろ〜と頭を左右に振つた。眼はもう見えないのだ。 白い眼は角膜で蔽はれてしまつてゐたのだ。何たる哀れな眺めであらう!だが彼女はまだ物を言ふことはできた。

「カリクラテス」と彼女は嗄《しやが》れた慄へ聲で言つた。「妾を忘れないで下さい、カリクラテス。 このはづかしい姿をあはれんでください。。妾は死にはしません。また來ます。もう一度美しくなります。 誓つてこれはほんたうです!おゝ --」かう言ひながら彼女はがくりと顏を伏せて動かなくなつてしまつた。

さうだ。かうして、二千年以上前に、彼女が僧侶カリクラテスを殺した同じ場所で、 アッシャは自分から倒れて死んでしまつたのだ。

極度の恐ろしさに打たれて、吾々も、砂の床の上に打ち倒れて、そのまゝ氣を失つてしまつた。

 

私はどれ位の間氣を失つてゐたのか知らない。多分數時間もたつたのであらう。 私が眼を開いた時には、あとの二人はまだ床の上に横はつてゐた。薔薇色の光はまだ曙の空のやうに輝き、 生命《いのち》の精の雷車はまだその軌道を走つてゐた。私が眼醒めた時はちやうど火柱が消えてゆくところであつた。 かつては光榮に包まれた女王であつた彼女の干乾《ひから》びた皺だらけの皮膚におほはれた醜い猿のやうな屍骸もまだそこに横はつてゐた。 あゝこれはいやな夢ではなかつたのだ。嚴肅な、前代未聞の事實であつたのだ!

どうして一體この樣な變化が起つたのであらう?命を與へる火の性質が變つたのであらうか? ことによると、この火は、時々�カ命《いのち》の精のかはりに死の精を吐き出すのではあるまいか? それとも、この火を二度浴びると中和して前に得た力が相殺されてもとのとほおりになつてしまふのであらうか? かう考へれば説明のつかぬことはない。といふのはアッシャの死んだ時の有樣は、 何か異常な方法で、二千二百年も女が生きてゐたら、これ程にも年を老《と》るだらうと思はれる姿だつたからだ。

だが、この時何が起つたかは誰にだつてわかりつこはない。それは事實であつたのだ。 今までのアッシャは、生きながら墓所の中に閉ぢこもつて戀人の來るのを待つ外は世界の秩序に大した變化も起さずにゐたが、 若しこのアッシャが戀を得て幸福になり、不滅の若さと、神のやうな美と力と、 數千年の知慧をもつてしたら、社會に革命を起したかも知れはしない。人類の運命を變へたかも知れはしない。 かやうにして自然の大法に逆つた彼女は、どれ程強かつたにしても、遂にその自然の大法にはね返されて、 醜骸をさらすことになつてしまつたのだ。

しばらくの間、横になつたまゝ、ぼんやりと心の中で恐ろしかつたことを囘想してゐるうちに、 その場所の浮き〜した雰圍氣のせゐか間もなく私の體力は恢復して來た。 私は外の者のことを思ひ出したので、二人の正氣を恢復させることができるか、どうかを見るために、 よろよろと起ち上つた。だが私は先づ第一にアッシャの下着と薄紗《うすもの》のスカーフを拾ひ上げた。 このスカーフこそは、彼女が彼女の眼も眩む美しさを人々の眼からかくすためにつかつてゐたものだ。 それから私は彼女のかはりはてた姿を見ないやうに顏をそむけて、それを彼女の屍骸の上にはふりかけた。 レオが正氣に返つてそれを見やしないかと思つて私は大急ぎでそれををへた。

それから砂の上に散らばつてゐた香の高い黒髮の塊りを踏んで、うつ伏せになつて横はつてゐるジョッブのそばへ行き、 彼の身體を仰向けにひつくり返した。私が彼を抱き起すと彼の腕は氣味惡くだらりと下つた。 私はそれを見るとぞつとして、けはしい眼をして彼の顏を見た。一目見たゞけで十分だつた。 吾々の忠實な老僕は死んでゐたのだ。これまで隨分恐ろしいことを見て來て、極度に傷けられてゐた彼の神經は、 この最後の物凄い光景を見て、すつかり打ち碎かれてしまひ、恐怖のために、 或は恐怖から生じた發作のために死んでしまつたのだ。

これも大變な打撃であつたが、吾々はもう次から次へと恐ろしい目に遭ひどほしだつたので、 その時は格別ジョッブの死には驚かなかつたと言つても讀者は理解してくれることゝ思ふ。 この男の死んだのは當然だつたのだ。それから十分程たつて、レオが呻きながら、そして四肢を震はしながら、 正氣づいた時、私は彼にジョッブの死んだことを話した。すると彼はたゞ「はあ」と答へただけだつた。 だが記憶しておいて貰ひたい。これは彼が無情な人間だからでは決してないのだ。 彼とジョッブとは非常に愛しあつてゐた仲だし、 それにその後屡々《しばしば》彼はジョッブのことを可哀さうだ可哀さうだといつて話す。 その時は彼の心がもう堪へられなかつたのだ。豎琴の出す音には、いくら強く打つたといつて一定の限度があるものだ。

さて私はレオを正氣に返した。嬉しいことには彼は死んでゐなかつたのだ。そして前に言つたやうに、 彼はその場に坐り直つた。その時私はまた恐ろしいことを眼にした。 こゝへ來たときにレオの髮は美しく金色《こんじき》に光つてゐたのが、 今ではすつかり胡麻鹽になつてをり、外氣に觸れるまでには雪のやうに白くなつてゐた。 それに彼は急に二十も年を老《と》つたやうに見えた。

「どうしませう叔父さん?」と彼は少し頭がはつきりして、 今までのことを心の中に思ひ出して來ると、氣の拔けた死んだやうな聲で言つた。

「一かばちか逃げ出して見るんだね」と私は答へた。「お前がこの中へはひりたくなければ」 と言つて私はまた燃え上つて來た焔を指した。

「死ぬにきまつてをれば跳び込んで見てもよいのですがね」と彼は少し笑ひながら言つた。 「僕が躊躇したもんだからこんなことになつたのですよ。 僕が疑ひさへしなければアッシャは跳びこみはしなかつたかも知れないのです。 だけど僕がこの中へ跳び込んでどうなるかはつきりわかりませんからね。 僕の身體には此の火が反對の作用を及ぼして、僕が不死の身になるかも知れません。 その時には、僕はあの女のやうに二千年もあの女の來るのを待つてゐる忍耐が僕にはありませんからね。 僕は壽命がなくなつた時に死んでしまつて、アッシャを探しに行きます。 あなたこそどうです。あの中へはひつて見たら?」

だが私はたゞ頭を振つたゞけだつた。私の昂奮はもう溝《どぶ》の水のやうに死んでしまひ、 またもとのやうに、生きてゐる苦しみを長くするなどは眞つ平になつてしまつてゐたのだ。

「ところで、レオ、吾々は、こんな風になるまでこゝにのこつてゐるわけにもゆかないから」 と言ひながら、私は白い着物に被はれた小さな塊りと、固くなつたかはいさうなジョッブの屍骸とを指さして 「もう行かうではないか、だが、ランプはもう燃えきつてしまつたか知ら?」 私は一つのランプを取り上げて見た。たしかに油はからからになつてゐた。

「油壺にまだすこしのこつてゐますよ、油壺がこはれてさへゐなければ」とレオは氣のない返事をした。

私は油壺をしらべて見た。有難いことにこはれてはゐなかつたので、私は手を慄はしながら油を注いだ。 幸にも麻のしんの燃え殘りがまだあつたので、私は蝋マッチを擦つてそれに火をつけた。 そのうちにまた火の柱の近づいて來る音が聞えた。

「もう一度あれを見てゆきませう」とレオは言つた。「もう此の世ではあんなものは二度と見られんでせうから。」

私はレオの意見に從つた。そして、火が消え去るのを待つて吾々も踵《きびす》を返して出發の用意をした。

けれども出かける前に、吾々はめいめいジョッブの冷い手に握手した。隨分氣味の惡い儀式だが、この際、 それが吾々の忠僕に對して敬意を表する唯一の手段だつたのだ。白い着物の下の塊りは吾々は開けて見なかつた。 あの恐ろしい姿を二度と見たくなかつたのだ。けれども、あの恐るべき變化の刹那に拔け落ちて、 床の上に散らばつてゐる艷々した黒髮を吾々はめいめい一束づゝ拾ひあげた。 今でも吾々はこの髮束を保存してゐる。それがアッシャが吾々に殘してくれた唯一の記念《かたみ》なのだ。 レオは香ひの高い髮を彼の脣におしつけながら嗄れ聲で言つた。

「あの女は、僕に決して忘れてくれるなと言ひましたね。そしてまた會ふと誓ひましたね。 僕は誓つてあの女を忘れはしません。僕は誓ひます。僕たちがたとひこゝから逃げおほせることができても、 僕は一生、他の女には關係しません。そしてあの女が僕を待つてゐてくれたやうに、 どこへ行つてもあの女を忠實に待つてゐます。」

「さうだ」と私は獨りで考へた。「若しあの女が以前のやうな美しい姿で歸つて來たら。 だが若しあんな姿で歸つて來たらどうだらう!」

それから吾々は二人の屍骸と、それを包む薔薇色の光とに最後の一瞥を投げて、重い重い、 何とも言ひやうのない氣持を抱いてこゝから這ひ出たのであつた。

 SHE Hags Out 2分20秒 


 この原作についての解説はこちらをご覧下さい。
「ファンタジーノベルズガイド」の電子版『 洞窟の女王』・解説(略解)からの部分引用です。

「洞窟の女王・ SHE」 : A HISTORY OF ADVENTURE by Henry Rider Haggard
 
 アメナルタスの壺

  妖女背の低い、ほとんどゴリラのような外見をした醜い青年、ルードヴィッヒ・ホレース・ホリーは、その醜さゆえにケンブケリッジ大学で孤独な学究生活を送っていた。
ある日彼は、死を予感して訪ねてきた大学でのただ一人の友人から、謎めいた遺言の言葉とともに、五才になる彼の息子と鉄の箱を預かった。
 病がちだった年上の友人は、その夜自殺とも取れる謎の死を遂げた。
ホリーは、養育係として雇い入れた青年ジョブとともに、友人の子供レオ・ヴィンシーを育てることになったのだ。
  
 二十年の歳月が流れ、レオ・ヴィンシィは“ギリシャ神”と称されるほどの飛び抜けて美しい青年に成長した。
そして、レオの二十五才の誕生日、彼らは友人の遺言によって二十年間封印されていた鉄の箱を開く。
そこに入っていた古代の壺の破片に記されていたのは、レオの祖先であるエジプト人カリクラテスの次のような不思議な物語であった。
 紀元前の昔、カリクラテスとその妻アメナルテスは、リビアの海辺でさまよううちに不思議な不死の女王の国にたどり着き、そこで彼は女王の愛を拒んだために殺され、アメナルテスは追放されてしまったのである。
 彼女は復讐を子孫に託すため、顛末(てんまつ)を記したこの壺を子孫に残したのであった。
レオの父親は、若かりし頃、この壺の謎を探るためアフリカへ探検に出かけ、美しい白人の女王の支配する国を見つけたというのである。

 続きは「ファンタジーノベルズガイド」の電子版『 洞窟の女王』・解説(略解)をご覧下さい。

 



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