ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

現代ギリシャ語辞典が欲しい

2015年12月10日 | 好きな歌


現代ギリシャ語辞典が欲しい。
でも高価だ。
英和辞典ならば2,000円程度で手に入る。そして多くの種類がある。
しかしギ語辞典は一万円以上する。しかも2種類しかない。...
無料のオンライ辞書を利用出来るので有難いが、それでも「本」になっている辞書が欲しい。
高価だし、種類が少ないのはニーズが余りないからだろう。
ちなみに、ギリシャ語-英語辞典は新品でも、4,000円程度で購入できる。

「現代ギリシャ語辞典が欲しい」と書いた。
何故、この書物を欲しいのか。
理由は単純だ。
「現代ギリシャ語」を学びたいからだ。...
では、何故現代ギリシャ語を学びたいのか。
答えは、現代ギリシャ語聖書を読みたいからだ。

すると、何故現代ギリシャ語聖書を読みたいのかというご質問が出そうだ。
では、その答えもしよう。
その前に伝統的な「公認定本」≪民衆的ギリシャ語(コイネー)≫で書かれた聖書なら辞書を使わなくても音読が出来るし、大体の意味を掴むことができる。

ヘブライ語聖書(旧約聖書)も、少しは音読で意味が分かる。
理由は、60年もの間聖書と付き合ってきた結果なのだ。

さて、現在のギリシャでは、現代ギリシャ語による聖書のほうが分かるようだ。

一例としてギリシャ聖書協会のフェイスブック(http://on.fb.me/1XXTLNx
)には、毎日現代ギリシャ語聖書(TGV)の語句が公開されている。
もっとも、TGVはこの聖書協会が刊行した聖書である。
きょうはテモテの第一の手紙3章16節が公開されている。

現代ギリシャ語聖書を読むことで現代ギリシャ語も理解できるようになると思う。
私は終戦後間もなく、週刊ニューヨーク・タイムズを購読して読んだ。初めのうちは意味が分からなかったが次第に分かるようになった。
それと同じ方法で現代ギリシャ語を学びたいというわけだ。
聖書のストーリーは大体思い出せるので、少しでも単語が分かると、理解できるのでありがたい。
というのは、聖書には公認定本があるからだ。すなわち、言語や翻訳者が違っても、章や節で区分けしてあるので便利である。

ちなみに、この章や節はロベール・エティエンヌ(Robert Estienne、1503年頃 - 1559年9月7日)http://bit.ly/1TCllJC は、フランス、パリ大学の古典学者であり、印刷業者である。
1551年に出版したギリシア語聖書の第4版で初めて、本文が節に区切られた。


TGVのオンラインテキストはこちらで読むことが出来るし、現代式発音の朗読音声をを聴くこともできる。
Η Αγία Γραφή (Παλαιά και Καινή Διαθήκη) (TGV) オーデオ付
http://bit.ly/1NHycdy
Η Αγία Γραφή με τα Δευτεροκανονικά (Παλαιά και Καινή Διαθήκη) (TGVD)...
http://bit.ly/1OSKuRi

またオンライ辞書も利用している。
Glosbe - ギリシャ語 - 日本語辞書 http://bit.ly/1L7PY70
Glosbe - ギリシャ語 - 英語辞書 http://bit.ly/1hF5GN6

これらオンライン版は便利なので大いに活用したい。

一方、TGVの書籍版(ギリシャ聖書協会発行)を購入したので、本になった辞典も欲しい。

書籍の単語を調べるには、やはり書籍版の辞書がいい。
私は、白内障の治療手術で水晶体をした水晶体を除去して眼内に眼内レンズを挿入する外科手術を受けた。

眼内レンズを埋め込む方法があるのだが、角膜に傷が付いているので、結果は失明の恐れがあるとのことで、普段のは遠用のメガネを掛けているが、読書には近用のメガネを使っている。
パソコンの画面を見て、手元の辞書で単語を探す等の作業は、その都二つのメガネを交換するのでとても疲れる。

そのために、書籍になった辞書が欲しいのだ。

もう一つ、書籍が欲しい理由がある。
それは、現在使っているパソコンの寿命の問題もある。
いまはwindows7搭載のノート型を使っているが、時々調子が悪くなる。
マイクロソフトからwindows10へのグレードアップの誘いのメッセージが毎日現れる。
しかし、万一の場合、私の力では解決不能になる恐れがある。
新品のマシンに買い替えることは、到底不可能でもある。
また、老健施設で生活のため、ポケットwifyを使ってインターネットを接続しているので、電波の到達範囲外に移動した場合に不具合になるだろう。

以上のことから、現代ギリシャ語辞典を買いたいと思っているわけである。

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適当な現代ギリシャ語辞典が買えないことから、とりあえず「試作-TGV(現代ギリシャ語聖書)辞典」をパソコンで入力作成中である。


完成して印刷すれば自前の現代ギリシャ語聖書辞典が出来あがる。
ただし、単語の数が多いので施設のコピー機を有料で借りて印刷するので、高いものになるだろう。

適当な現代ギリシャ語辞典が買えないことから、とりあえず「試作-TGV(現代ギリシャ語聖書)辞典」をパソコンで入力作成中である。

試作-TGV(現代ギリシャ語聖書)辞典(目次)http://bit.ly/1OT027D

 

  • 織田昭編「新約聖書ギリシャ語小辞典」(大阪聖書学院1976年版・本文391ページ)の単語(見出し語)の数は5645語である。
    1990年ころ、私は同書のCD版(日本コンピュータ聖書研究会・J-ばいぶる)作成時にボランティアとして入力させて頂いたが、約1年を費やしたのも、今となっては懐かしく想う。

ロベール・エティエンヌ→ウィキペディア→ http://bit.ly/1TCllJC

ロベール・エティエンヌ(Robert Estienne、1503年頃 - 1559年9月7日)は、フランス、パリ大学の古典学者であり、印刷業者である。公認底本 (Textus Receptus) と呼ばれたギリシア語聖書に元になったギリシア語聖書を出版した一人であり、16世紀以降のプロテスタント圏における聖書の翻訳・出版の自立、その黎明期を支えた人物の一人。ラテン語名ではステファヌス(Stephanus)と称した。

父である初代アンリ・エティエンヌに始まる、高名な印刷業一族であるエティエンヌ一族の一人であり、弟のシャルル・エティエンヌも名を馳せた印刷業者であった他、息子のアンリ・エティエンヌは、現在でもプラトン全集の共通底本となっている「ステファヌス版」を出版した人物として有名。

生涯

1503年、ユマニスト印刷業者として有名な初代アンリ・エティエンヌの次男としてパリに生まれ、ギリシア語、ラテン語といった古典言語に親しみながら育つ。

1520年、父アンリが死亡した後は、義父シモン・ド・コリーヌが印刷工房を支える。

1526年、シモンが自身の印刷工房を開設したのに伴い、父の印刷工房を継ぐ。

1550年、ウルガータの出版を巡るカトリック聖職者たちとの軋轢を避けてジュネーヴへ亡命。

1559年、ジュネーヴにて死亡。

業績

パリの印刷業者であったエティエンヌはギリシア語聖書を、1546年に第1版、1549年に第2版、1550年に第3版と、3つの版でパリにおいて出版した。特に、第3版はフランス政府の費用であつらえた活字を用いた高級なフォリオ版の印刷であり、批評資料欄(アパラタス)を備えた最初のギリシア語聖書であった。エティエンヌは各ページの内側の余白に、ベザ写本を中心にして、14のギリシア語の異読とコンプルトゥム・ポリグロットの読み方を多数記入した。

その後、ジュネーヴに移り、ギリシア語聖書の第4版を1551年に出版した。この聖書はギリシア語本文の両側に、ウルガータとエラスムス訳の2つのラテン語訳聖書を配置した。この第4版で初めて、本文が節に区切られた。これは、今日ほとんどの聖書で用いられている節区分である。エティエンヌの息子の証言によると、パリからリヨンの旅行中に節区分をした。ステファヌスはジュネーヴでプロテスタント教徒として晩年を過ごした。

1553年には、ジュネーヴのフランス人印刷業者ジャン・クレパン(フランス語版)が、エティエンヌのギリシア語聖書の第3版(フォリオ)を6箇所変更して、小さな体裁で出版した(クレパン聖書)。1557年にイングランドから亡命したプロテスタント神学者によるジュネーヴ聖書は、エティエンヌの第3版(フォリオ版)かクレパンの聖書を底本に用いている。

死後の影響・評価

1559年にエティエンヌは死去するが、そのギリシア語訳聖書は多くの神学者や聖書翻訳者に影響を与えた。カルヴァンの後継者であるテオドール・ド・ベーズがエティエンヌのギリシア語訳聖書の第4版とほぼ同じのギリシア語聖書を、1565年から1604年[2]にかけて、9つの版を出版した。ベーズのギリシア語聖書は1611年のイングランド王ジェームズ1世の欽定訳聖書 (King James Version) の底本になった。

1624年にネーデルラントのライデンの印刷業者エルセフィル兄弟が小型のギリシア語聖書を出版した。これは、ベーズのギリシア語聖書を基本にしている。1633年には、「すべての人に受け入れられた本文 (Textus Receptus)」と書かれた。エティエンヌ、ベーズ、エルセフィル兄弟たちのギリシア語聖書が「唯一かつ真正の本文」になり、公認定本(テクステトゥス・レセプトゥス)という名称が生じた。以降1881年の欽定訳聖書の改訂版発行まで、プロテスタントの主要なヨーロッパ語訳は公認定本を底本にしている。

 


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