ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

かあさんの歌 その他

2016年03月09日 | 音楽

 


母(はは)をテーマにした曲を抜粋しました。

かあさんの歌 - 作詞・作曲:窪田聡(くぼた さとし)
母へ 愛をありがとう - 笠よし子
金田たつえ - お母さん 
岸壁の母 - 菊池章子
岸壁の母 - 二葉百合子
島津亜矢 - かあちゃん

かあさんの歌(歌詞付) Song of the mother

かあさんの歌 (1) 【うたごえ喫茶】~作者・窪田聡さん出演~後半に作者直々の歌い方指導もあります。
2010/4/11 第80回あづみ野うたごえ喫茶
80回記念「かあさんの歌」作者の窪田聡さんと歌おう!コーナー
 

かあさんの歌 (2) 【うたごえ喫茶】

「かあさんの歌」
 窪田聡作詞・作曲
 
かあさんは 夜なべをして
手ぶくろ 編(あ)んでくれた
こがらし吹いちゃ つめたかろうて
せっせと編んだだよ
故郷(ふるさと)のたよりはとどく
いろりのにおいがした 

かあさんは 麻糸(あさいと)つむぐ
一日 つむぐ
おとうは土間(どま)で 藁(わら)打ち仕事
おまえもがんばれよ
故郷の冬はさみしい
せめて ラジオ聞かせたい 

かあさんの あかぎれ痛い
生味噌(なまみそ)をすりこむ
根雪(ねゆき)もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞える
なつかしさがしみとおる 

窪田聡(くぼた さとし)ウィキペディア http://bit.ly/1NvPgA9

かあさんの歌 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

かあさんの歌(かあさんのうた)は、窪田聡作詞作曲歌謡曲

概要

作詞・作曲者の窪田聡は、1954年昭和29年)に開成高校を卒業した後、合格していた大学に進学せず、文学を志して家出埼玉県うたごえ運動の中心として活動した。

この歌は1956年(昭和31年)窪田二十歳の時に発表されたもので、家出当時、次兄を通じて居所を知った母から届いた小包の思い出や、戦時中に疎開していた長野県長野市の旧信州新町地区の情景を歌詞にしたものとされる。なお、歌詞はテレビ放送がほぼ全国で観られるようになった21世紀初頭の現在の情勢とは必ずしも一致しない。

うたごえ運動を通じて全国の歌声喫茶に広まったほか、劇団わらび座の舞台でも歌われた。さらに、ダークダックスペギー葉山によって取り上げられ、NHKの『みんなのうた』でも放送されてより広い層に知られるようになった。音楽の教科書の掲載されたことはない。

みんなのうたhttp://bit.ly/1LPJgqa

2007年平成19年)には、文化庁日本PTA全国協議会が選定した日本の歌百選に選ばれている。

 二木紘三のうた物語  http://bit.ly/1BW48qT 

昭和33年(1958)発表。
 作詞・作曲者の窪田聡(本名:久保田俊夫)は昭和10年(1935)東京生まれ。戦争中は長野県の信州新町に疎開していました。現在は岡山県瀬戸内市牛窓に在住。
 

 窪田聡は、進学校として知られる開成高校に進みましたが、太宰治に心酔してデカダン(頽廃的)な生き方に憧れ、授業をさぼって映画・たばこ・酒に耽溺する日々を送っていました。 

 やがて進学の時期が来ました。同級生たちのほとんどが有名大学をめざすなか、彼は文学で生きていく決意を固め、親が準備してくれていた入学金・授業料をもって家出してしまいます。
 安下宿に隠れ住んで、就職しましたが、そのかたわら、音楽が好きだったので、中央合唱団の研究生になりました。しかし、給料が少なく、食べていくのがやっとの生活で、文学に邁進するどころではありません。
 

 そのころ、共産党系の人たちが中心になって進めていた「歌声運動」に多くの若者たちが惹きつけられていました。窪田もその1人で、楽しそうにロシア民謡を歌う人びとの姿が、彼の目にはまぶしく映りました。
 とうとう彼は、文学を捨て共産党に入党してしまいます。
 

 母親から小包が届き始めたのは、そのころのことでした。両親の意を受けた次兄が、彼の下宿を探し当てたのです。小包には、彼の好きな食べ物や手編みのセーター、ビタミン剤などとともに、「体をこわさないように」といった母親の手紙がいつも入っていました。 

 高校の同級生たちの多くが有名大学に入り、高級官僚や一流企業の社員になっていきましたが、彼はアコーディオン一挺を抱えて、全国を歌声指導しながら回る生活を続けていました。この歌は、そうした生活のなかで、母親への思いと疎開時代に見た田舎の光景とが重なって生まれた歌です。
 「かあさんの歌」ではありますが、2番の「おとうは土間で藁うち仕事」の部分に、自分の勝手な生き方を黙認してくれた父親への気持ちも込められています。
 以上は窪田自身がいろいろなところで語ったり、書いたりしたことです。
 

 1番の出だしは、一般には「かあさんが」と歌われていますが、原詞は「かあさんは」なので、それに従いました。また、各聯、真ん中の2行は母親の手紙文であることを示しています。 

 2番の「藁うち仕事」については、『もずが枯木で』の蛇足をごらんください。3番の「あかぎれ」は、冬期に手足の皮膚が乾燥して荒れ、弾力がなくなって割れ目ができる一種の皮膚病ですが、栄養状態が向上した現代では、ほとんど見られなくなりました。 

 根雪は、降り積もった雪の重みで地面に凍りつき、暖かくなってもなかなかとけない雪。
 山国信州では、根雪がすっかりとけて春になると、梅、桃、こぶし、桜、杏、リンゴなどの木の花やオオイヌノフグリ、スミレ、タンポポなどの草花がいっせいに花を開きます。梅が終わってしばらくして桜……というふうに順繰りに咲くのではなく、ほぼ同時期に先を争うかのように咲くのです。
 

(二木紘三) 


 母へ  愛をありがとう  笠よし子

母へ・・・ 愛をありがとう 

 出典→ http://bit.ly/1peLAxf

作詞・作曲 りゅうよしこ  


あなたの優しさ あなたの強さに
見守られ今日まで 歩いて来ました
さりげないことばと 温かい心に
支えられ今日まで 歩いて来ました      
  ■あんな日もあったのねと
  ■二人で笑いあえる
  ■ 幸せがいつまでも ずっと続くように
歌います この歌を 祈りを込めて
歌えば願いが 叶う気がして
  ………間奏………
2 悩める日 病める時 あなたを思います
自分に負けないで 諦めないで
  ■一筋のこの道を
  ■真っ直ぐに 生きなさいと
  ■教えてくれました 命をかけて

この歌を贈ります おかあさん あなたに
返しきれない
  ■愛をありがとう 愛をありがとう


 

新おけら歌集(10/02/10)Req:平さん / 楽譜:ビーさん(10/02)

 +りゅうよしこさんのコメント+
■この曲は毎年5月に「母の日コンサート(今年は15回目)」でここ数年母に因んだ歌を歌っていました。たとえばコスモス 無縁坂 母さんの歌 等。
 この曲は20年12月に作りました。現在94歳の母と暮らしているので、そのままを詩にしました。曲も1時間位で、仕上がり割合スムーズに出来上がりました。
 21年1月にCDに吹き込み5月の母の日コンサートで発表してからは、みんなが歌ってくれるようになりました。                  ・ 2010/02 りゅうよしこ
 


金田たつえ お母さん

作曲:花笠薫 作詞:関口義明

どなたですかと 他人のように
わたしを見上げて きく母の
笑顔は昔と 変わらぬものを
いいのよ いいのよ お母さん
やせた手をとり うなずきながら
あふれる涙が 止まらない

苦労親坂(くろうおやさか) 女手ひとつ
なりふりかまわず 五十年
働き続けて くれたんだもの
いいのよ いいのよ お母さん
淡い陽射しの 硝子戸(がらすど)越しに
今年も咲いてる 花すすき

母の背中で ねんねの歌を
きかせてもらった あの道を
今度はわたしが おぶってあげる
いいのよ いいのよ お母さん
心やさしい みんなの中で
いのちを灯して また明日も

      こちらも参照→2015年07月02日投稿のブログ金田たつえ お母さん

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花街の母。金田たつえ

 花街の母の歌詞→ http://bit.ly/1pfJOfa


岸壁の母/菊池章子

岸壁の母 - 二葉百合子

藤田まさと作詞・平川浪竜作曲・室町京之介台詞

母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて

また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない……
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか……
港の名前は舞鶴なのに何故飛んで来てはくれぬのじゃ……。
帰れないなら大きな声で……
お願い……
せめて、せめて一言……

呼んで下さい おがみます
あゝおっ母さん よく来たと
海山千里と 云うけれど
何で遠かろ 何で遠かろ
母と子に

あれから十年……
あの子はどうしているじゃろう。
雪と風のシベリアは寒いじゃろう……
つらかったじゃろうといのちの限り抱きしめて……
この肌で温めてやりたい……
その日の来るまで死にはせん。
いつまでも待っている……

悲願十年 この祈り
神様だけが 知っている
流れる雲より 風よりも
つらいさだめの つらいさだめの
杖ひとつ

ああ風よ、心あらば伝えてよ。
愛し子待ちて今日も又
怒涛砕くる岸壁に立つ母の姿を……

http://bit.ly/1LHmkYy

岸壁の母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 

岸壁の母(がんぺきのはは)とは、第二次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親マスコミ等が取り上げた呼称。その一人である端野いせをモデルとして流行歌の楽曲、映画作品のタイトルともなった。

本項では、この流行歌についても解説する。

 概要

ソ連からの引揚船が着くたびにいつでも見られた光景であったが、時間の経過とともに、毎回、同じような顔ぶれの人が桟橋の脇に立つ姿が見受けられるようになり、これがいつしか人々の目に止まり、マスコミによって「岸壁の母」として取り上げられ、たちまち有名になった。

モデル・端野いせ

流行歌、映画「岸壁の母」のモデルとなったのは、端野いせ1899年9月15日 - 1981年7月1日)。

明治32年(1899年)9月15日、石川県羽咋郡富来町(現在の志賀町)に生まれ、函館に青函連絡船乗組みの夫端野清松、娘とともに居住していたが、昭和5年(1930年)頃夫と娘を相次いで亡くし、家主で函館の資産家であった橋本家から新二を養子にもらい昭和6年(1931年)に上京する。新二は立教大学を中退し、高等商船学校を目指すが、軍人を志し昭和19年(1944年)満洲国に渡り関東軍石頭予備士官学校に入学、 同年ソ連軍の攻撃を受けて中国牡丹江にて行方不明となる。

終戦後、いせは東京都大森に居住しながら新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ。昭和29年(1954年)9月には厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年(1945年)8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書(舞鶴引揚記念館に保存)を発行。

しかしながら、帰還を待たれていた子・新二(1926年 - )は戦後も生存していたとされる。それが明らかになったのは、母の没後、平成12年(2000年)8月のことであった。

ソ連軍の捕虜となりシベリア抑留、後に満州に移され中国共産党八路軍従軍。その後はレントゲン技師助手として上海に居住。妻子をもうけていた。

新二は母が舞鶴で待っていることを知っていたが、帰ることも連絡することもなかった。

理由は様々に推測され語られているがはっきりしない。 新二を発見した慰霊墓参団のメンバーは平成8年(1996年)以降、3度会ったが、新二は「自分は死んだことになっており、今さら帰れない」と帰国を拒んだという。旧満州(現中国東北部)の関東軍陸軍石頭(せきとう)予備士官学校の第13期生で構成される「石頭五・四会」会長・斉藤寅雄は「あのひどい戦いで生きているはずがない」と証言し、同会の公式見解では「新二君は八月十三日、夜陰に乗じて敵戦車を肉薄攻撃、その際玉砕戦死しました」と述べられている(北國新聞社平成18年(2006年)10月4日)。

端野いせは新人物往来社から「未帰還兵の母」を発表。昭和51年9月以降は高齢と病のため、通院しながらも和裁を続け生計をたてる。息子の生存を信じながらも昭和56年(1981年)7月1日午前3時55分に享年81で死去。「新二が帰ってきたら、私の手作りのものを一番に食べさせてやりたい」と入院中も話し、一瞬たりとも新二のことを忘れたことがなかったことを、病院を見舞った二葉が証言している。

平成12年(2000年)8月に慰霊墓参団のメンバーが、新二が上海市で生存していたことを確認。京都新聞が新二の生存を報道。中国政府発行、端野新二名義の身分証明書を確認。だが、その人物が本当に新二であるかについてはいまだに疑問がある。平成15年文藝春秋に「『岸壁の母』49年目の新証言」が掲載。

 端野新二 http://bit.ly/1Rz26P4


島津亜矢 ★かあちゃん

 歌詞 http://bit.ly/1SyevHK

作詞:増田空人
作曲:増田空人

 最後にかあちゃんと 話しをしたのは
木枯らし吹き荒れる 二月半ばの寒い夜
 小さなかあちゃんが ひび割れた手で
背中丸め寒い中 おれに酒買うて来てくれた
 そんな優しいかあちゃんが
風邪を引くなと 寝る前に
湯たんぽ入れてくれたのに
口を閉じて冷たくなったのは
粉雪ちらつく 夜明け前だった

 いつもかあちゃんは 素顔のままだった

通夜(さいご)の夜はおれの手で 薄化粧させてくれ
 いつもかあちゃんに 苦労かけてきた
最後に紅をつけた時 優しい笑みを浮かべてた
明日には旅立つ かあちゃんの
側に今夜は いたいのさ
 かあちゃん聞こえるかい 最後のわがままを
 おれとかあちゃんの 思い出話しを
 いっぱいいっぱい 話すから聞いてくれ

 いつかおれも 天国へいったなら
親孝行するからそれまで のんびり暮らしてな

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島津亜矢「かあちゃん」 - 恋する経済→http://bit.ly/1URdwD5 

島津亜矢「かあちゃん」を聴きながら・2 - 恋する経済→http://bit.ly/1URdHyf 

 



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