ある「世捨て人」のたわごと

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宗教の起源 ウィキペディア(1)

2015年09月17日 | 好きな歌

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宗教の起源とは、古代において人類が宗教観や原始宗教を最初に持った時点・事象のことである。これは精神的起源と社会的起源に分類でき、それぞれの宗教が持つ固有の逸話的な起源である様々な創世神話とは区別される。

宗教の起源を解明する取り組みでは、人類の進化の過程で現われる宗教的行動から多くの情報が得られる。人間が初めて宗教的になった時期は明確ではないが、宗教的行為の信頼できる証拠は中期旧石器時代(5-30万年前)から見つかっている。古代エジプトメソポタミアで宗教は成文化され、宗教史が始まる。

Is Religion Man-Made? How Did Religion Start? The Evolution of Belief (2006)

本記事では、人類の知能向上に伴ってはじめて宗教感が生じた時点から宗教史が始まるまでの間に関して、可能な限り多様な視点からの論説を示す。 

宗教

宗教的行為は様々な形で世界各地で見られるが、宗教は世界の全ての集団で見られるヒューマン・ユニバーサルな現象である。次のような行為はしばしば共通してみられる:

霊長類の行動

現在生存している人類に最も近い親類はチンパンジーボノボである。彼らと人類は400万から600万年前に生きていた祖先を共有している。したがって、チンパンジーとボノボはこの共通祖先のもっとも良い代理者と見なすことができる。ただし宗教の進化的発達の理解に霊長類学を用いることには幾分論争がある。バーバラ・キングは彼らは全く宗教的ではないが、宗教の進化に必要だったいくつかの特徴を持っていると主張している。その特徴とは高い知性、例えば象徴的なコミュニケーション能力、社会規範の感覚、「自己」の認識、連続性の概念などである。

道徳の進化

フランス・ドゥ・ヴァールとバーバラ・キングは二人とも人間の道徳心が霊長類に見られる社会性から発達したと考えている。道徳は人間に固有の形質であるが、霊長類、イルカクジラのような多くの社会性動物が原始的な道徳的振る舞いを見せることは良く知られている。マイケル・シャーマーによると次のような特徴が人間と他の社会性生物(特に大型類人猿)に共通してみられる。

愛情ときずな、協力と相互援助、共感と感情移入、直接および間接的な互恵関係、利他主義互恵的利他主義、対立の解消と仲裁、欺瞞と欺瞞の認識、共同体の概念を持ち、他者が自分をどう思うかを気にかけ、共同体の社会的ルールの反応を認識する。

ドゥ・ヴァールは、全ての社会的動物は価値ある集団生活のために自己の振る舞いを抑制するか変えなければならなかったと主張する。原始的な道徳感情は、個体の自己本位主義を抑制し、より協力的な集団を構築する方法として霊長類の社会で進化した。しかし個体の行動や心理が集団の利益を増大させるために働くと安易に考えることはできない。社会性生物にとって集団とは、それを作り維持することが目的ではなく、繁殖成功の手段である。いかなる社会的生物であっても利他的グループの一員であることのメリットは、独り者であることのメリットを上回らなければならない。例えばグループの結束の欠如は、構成員が部外者から攻撃を受けやすい状況を招くかも知れない。グループの一部であることは食物を見つける可能性を増大させるかも知れない。これは大きく危険な獲物を倒すために集団で狩りをする動物では明らかである。

全ての社会的動物には社会的ヒエラルキーがあり、おのおののメンバーは自分の位置を知っている。社会秩序は行動に関する一定のルールによって維持され、支配的なメンバーは罰を通して秩序を強める。しかしより秩序だった霊長類にも互恵性や不公平の感覚がある。チンパンジーは誰が好ましい行動を取り、誰が不適切な行動を取ったかを覚えている。例えばチンパンジーは以前に毛繕いをしてくれた個体に食物を分け与えやすい。

チンパンジーは50前後の個体がしばしば分裂、融合を繰り返す緩やかな繋がりの中で生きる。人類の祖先も同じような規模のグループで生きていた可能性はありそうである。現存している狩猟採集民社会の規模から考えれば、旧石器時代の人類は100-200の個体が連合して暮らしていたと考えられる。道徳は100から200人の集団で社会の統制、対立解消、集団の団結の手段として発達したかも知れない。

ドゥ・ヴァールによれば、人の道徳には他の霊長類の社会では見られない二つの洗練された特徴がある。人間はかなり厳格な報酬、罰、評判の構築で社会の道徳規範を強制する。またある程度の判断と理屈を用いる。これは動物の世界では見られない。

心理学者マット・J・ロッサーノは宗教が道徳から派生し、個人の行動の社会的監視を代行する超自然的存在を含むまで拡張されたと主張する。絶えず監視する祖先、精霊、神を社会領域に含むことで、利己性を抑制し、より協力的な集団を構築する効果的な戦略を発見した。彼は宗教の適応的価値は集団の成功にあったと考えている。

有史以前の宗教の証拠

旧石器時代の埋葬

ホモ・サピエンス以前の宗教的行為の証拠は明確ではない。宗教的な思考のもっとも初期の証拠は死者の儀式的な埋葬である。大部分の動物は同種個体の死にさりげない関心を向けるのみである。したがって人間の死へのこだわりはユニークである。儀式的埋葬は人間行動の進化において重要だと考えられている。儀式的埋葬は生と死の認識、来世や死後の生命の信念を意味している。フィリップ・リーバーマンは「副葬品を伴う埋葬は明らかに宗教的習慣と日常生活を超えた死への関心を意味している」と述べる。もっとも初期の死者の処理の証拠はスペインアタプエルカから発見されている。この場所でホモ・ハイデルベルゲンシスと思われる30人分あまりの人骨が洞窟内で見つかった。ネアンデルタール人は意図的に死者を埋葬する初のホモ属である可能性がある。彼らは石の道具、動物の骨と共に仲間の遺体を浅い墓に埋めたかも知れない。これらの副葬品の存在は埋葬者への感情的な繋がりを示し、もしかすると死後の生命に対する信念を示している可能性もある。ネアンデルタール人の埋葬跡はイラクのシャニダール、クロアチアクラピナイスラエルのケバラ洞窟で見つかっている。しかし一部の研究者は非宗教的な理由で埋められたかも知れないと考えている。他の何人かの研究者は、(恐らく宗教的な)埋葬に加えてネアンデルタール人のような中期旧石器時代の人類がトーテム信仰や動物崇拝を行っていたかも知れないと主張する。エミール・ベヒラーは中期旧石器時代の洞窟から見つかる証拠に基づいて、当時のネアンデルタール人がクマ信仰を持っていたのではないかと主張している。同様の人類の証拠は10万年前のものが知られており、ベンガラで着色された人骨が見つかっている。また様々な副葬品が埋葬地跡で発見された。イノシシの下顎骨が人骨の腕にはめられているのが発見されている。フィリップ・リバーマンはこう述べる:

副葬品を取り入れた埋葬儀式は10万年前にアフリカから中東に移住した解剖学的現代人によって発明されたかも知れない。

シンボルの使用

 
フランスドルドーニュ県で見つかった半獣半人の洞窟壁画。旧石器時代のもの

宗教的シンボルの使用はヒューマン・ユニバーサルな現象である。考古学者スティーブン・ミズンは、創造神話や超自然的な存在、超自然的アイディアの象徴として宗教的習慣はシンボルを含むのが一般的だと考えている。超自然的存在は自然の摂理に反するために、他人に伝えたり共有するのは常に困難である。この問題は芸術に代表される物質的な手段を用いることで克服できる。物質の形に変換されれば、超自然的概念は伝えられ理解されるのが容易になる。

宗教と芸術の繋がりを考慮すれば、発掘されたシンボルの証拠は人の心が宗教的思考を行う能力があった可能性を示していると考えられる。芸術とシンボルは宗教的思考に必要な抽象概念と想像力の存在を示す。ヴェンツェル・ヴァン・ヒュイスティーンは、不可視な存在をシンボルを通して解釈することで人類の祖先は抽象的な信念を持つことができたと考えている。

シンボルを用いた行動の初期の証拠のいくつかはアフリカ中期旧石器時代の遺跡から発見されている。すくなくとも10万年前からベンガラのような顔料を用いていた証拠がある。顔料狩猟採集にはほとんど実用的な意味をなさない。したがって彼らが顔料を用いていたのは儀式的な目的があったためだと考えられている。現在でも、世界中で残存している狩猟採集民の多くはベンガラを儀式的な用途に用いている。赤い色はどの文明でも普遍的に血、セックス、生と死を表していると主張されている。

ベンガラの使用をシンボルの代用と見なすことはあまりに間接的すぎるとしばしば批判される。リチャード・クラインとスティーブン・ミズンのような科学者は芸術の明白な存在は抽象概念の典型と認めるだけである。前期旧石器時代洞窟芸術は石器時代における宗教的思考の明白な証拠を提供する。ショーベの洞窟壁画には半身が人間で半身が動物の生物が描かれている。このような神人同形の例はふつう、シャーマニズム的習慣と関連している。

 


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