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ウタマロ代表の勝手にコラム!

プロレス者「ウタマロ代表」が想う、そして綴る!
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「おられる問題」を考える(2)

2005年04月20日 | 代表の「着眼」
ふ~ん、そうなのかぁ。仕事で四国や九州の人と電話するけど、彼らとしては全く間違っていない表現だったのだ。でもいくら「関西地方を中心に尊敬の意味でおられるが使われている」といっても、僕は東日本の人間だからやはり違和感が残る。

あと一つ気になるのは「今までは間違っているとされていても、皆が使っているから正しい敬語ということにしよう」という流れ。

その代表格が「ら抜き言葉」。本来「られる」と表現しなければならないのに、「ら」を抜くというもの。

見れる、来れる、着れる、起きれる、考えれる 食べれる、覚えれる、信じれる…など。
参考までに:あははっ 敬語 ら抜き言葉

言葉は常に時代に合わせ進化していくものなのだろう。特に日本語は2000年前(←ちょっと違うか?)の先人から「どう表現すれば美しくなるか」を考えて出来上がってきた言語。

漢字ばかりで使いにくかった今話題の国から入ってきた言葉もひらがなやカタカナを考えることで使いやすくしたし、熟語をたくさん作ったのも日本人だ。現代では横文字は使うし、カタカナ語なんてのもあって、非常に表現能力に優れている素晴らしい言語だと思う。

しかし、時代に合わせ進化していくものとはいっても「おられる」や「ら抜き言葉」がアリ!という流れはいかがなものだろう?大局からすれば小さなことなのだろうか?

あえて僕は戦わせていただく。僕自身正しい日本語なんて使えていないけど、これから学んでやるという気持ちにあふれているのだ。

「○○さん、おられますか?」なんて死んでも言わない。言ってる人がいたら、出身地を確認のうえ講義を始めたい。

誰かが愛を語ろうとするならば、僕がバックミュージックで「ラ・ラ・ラ♪ラ~ラ・ラ~ヴ・ソォーン♪」と歌ってあげる。こうなったら必要以上に「ラ」を言ってやろうと思っているのだ。

そしてもう一つ僕は「正しい敬語普及プレイ」なるものを考えた。

つづく


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「おられる問題」を考える(1)

2005年04月20日 | 代表の「着眼」
会社にかかってくる電話先でも、そして恥ずかしながら僕の上司も

「○○さん、おられますか?」 何も気にする事無くそう言っている。でもこれは絶対におかしいはずだ。

居る(いる)の尊敬語は「いらっしゃる」で謙譲語は「おる」でしょう?そして「れる」「られる」の形体にするのは尊敬表現のはずだ。

だから謙譲語を尊敬表現にする「おられる」というのは明らかな間違いなので、僕はそのような言葉遣いをする人(言い難い人は除く)がいた時は必ず「いいかい?僕の話をよく聞くんだよお馬鹿さん…」と教えてきてあげたのだが、ここに問題が勃発した。

『誤用とも正しい用法とも言える』というHPを発見したのだ。
奥義の巻~敬語の専門的知識~

勿論「おる」を謙譲語として定義すると相手側の動作に対して使うのは正しくないというのは間違いないのだが…。携帯で僕のブログを読んでくれている人も多いので、少し引用する。

【敬語は人間を対象にしか使われません。あくまでも、対人関係を表す表現だからです。ですから、「鳥がおる」「雨が降っております」は、単なる丁寧語の「おる」です。

 同じ用法の「私はここにおります」も、丁寧語の「おる」が本来の意味のはずですが、この言葉に丁寧さを超えた敬意を感じるようになり謙譲語の「おる」としても使われるようになりました。この丁寧語の「おる」から謙譲語の「おる」へと変化したことによって言葉の使い方がまだ混乱しています。

 丁寧語の「おる」に尊敬の「れる」をつけて、「おられる」と使うなら、丁寧語+尊敬語の形は語法上矛盾しないし、正しい表現だといえるでしょう。一方で、謙譲語の「おる」に尊敬の「れる」をつけて、「おられる」と考えるなら、謙譲語+尊敬語で矛盾した敬語の重なり、という点で、誤用だといえます。

 関西地方を中心に尊敬の意味で「おられる」が使われているので、もう「おられる」は尊敬表現として定着しているといえると思います。】
あははっ 敬語 おられるについて

つづく


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これは「内緒でアイアイ」とどこが違うんだ!?

2005年04月13日 | 代表の「着眼」
「卓球選手」として福原愛が好きだ。

何の大会だったか忘れてしまったけど、試合後に「愛ちゃん、楽しかったですかぁ?」とバカ記者に質問された時、「別に楽しいとかでやってるワケじゃないですから…。」と言い放った彼女からプロとしての覚悟を僕は感じたし、この娘は本物だとも思った。

そんな彼女が「春の全国交通安全運動」のイメージガールに起用された。

キャッチフレーズは「愛・おもいやり・ゆずり愛」

…安易過ぎやしないか?これじゃあ細川ふみえの「スースキスー」と双璧をなす、飯島愛のかの名曲「内緒でアイアイ」(←字違ってたらすみません)とどこが違うってんだ?いや、ヘタすると「内緒でアイアイ」というネーミングの方がまだ志が高いかもしれない!?

まあ兎にも角にも愛ちゃん人気は凄いと思う。

でも上の写真を見て欲しい。な~んかニヤけちゃってるのだ。

微笑ましくていいんだけどね。でも、な~んかニヤけちゃってる。

何だかこっちもニヤけてしまう。逆に事故っちゃいそうで怖いと僕は思っているのだ。

桜と僕だけの時間

2005年04月08日 | 代表の「着眼」
昨日、今日と暑かった。勿体振ってなかなか咲かなかった桜も八分咲き…いや、満開になった。

気象庁では八分咲きの時に満開と言うように決めているのだそうだ。実際の満開の時には最初に咲いた花がもう散っているから「美しくない」というのがその理由。

僕が一年で一番好きな季節。あと一週間くらいはいつにも増して気分が良くなる。僕が女の子以外に心奪われるのはこの季節だけなのだ。

一昨日のターザン山本!のコラムに、桜とは是非一対一で向き合うことを勧めると書いてあった。

僕もそう思う。毎年この季節、僕は昼休みに会社の周りの桜たち一本一本に話しかけに行くのだ。

実際喋るわけではないけれど、雑念ばかりの僕が心をまっさらにして桜とふれ合う時間。桜に心を奪われる時間。

やがて桜は散る。そして僕らはまた一年待つことになる。

そうだ。僕が今日桜を見ていた時というのは、時間、美しさ、果敢無さ(儚さ)が一気に凝縮しているわけだ。一対一で向き合うというのはそういうことだ。

僕は明日も桜を見ようと思う。

今回の記事は一切笑いなし!だって僕がいくら何を書いたって、上の写真にかなうわけないじゃない。

もう一度マリーナで恋がしたい

2005年04月07日 | 代表の「着眼」
名倉潤&渡辺満里奈「銭金」で結婚報告 (スポーツニッポン) - goo ニュース

何を隠そう、僕は「子ニャン子クラブ」に入会していた。(←字違っていたらすみません)

とにかく高井麻巳子が好きだった。当時、僕の中では島田奈美と双璧をなしていた。

うしろゆびさされ組の歌詞にちなんだ「長い渡り廊下であの人とすれ違うたび心臓が止まるゲーム」を自ら考案。休み時間一人で楽しんでみたりしていた。

おニャン子に卒業は付き物だ。やがて高井麻巳子も涙の卒業…。

全日本女子プロレスはかつて定年制をしいていた。その選手がどんなに人気があっても、ある年齢が来たら引退させるのだ。この方法は知る人ぞ知る団体やグループの人気維持の秘訣で、上が支えている為に下が伸びないという現象がなくなる。つまり活性化するわけだ。

定年制というわけではないけれど「卒業」というカタチでこれをやったのが「おニャン子」や「モー娘。」というわけ。

閑話休題。

後任と言っては失礼か?高井麻巳子が居なくなり、空っぽになった僕の心を満たしてくれた人。それが渡辺満里奈だった。デビュー当初の彼女は眩しすぎた。

そんな彼女もついに結婚だ。なんだか感慨深いなあ。

確かに急遽生放送というのはデキレースだったかも知れないけど、「銭金」での結婚報告良かったですよ。彼女幸せそうだったもの。ただ今後は「銭金」での司会は辞めたほうがいいと思う。夫婦で司会したって見てるこっちは面白くも何とも無いもの。

さて、今までの人生、海辺での恋には全く縁がなかった僕だけど、今日は妄想で一回だけ誰かと恋をしたことにしよう。

そうすれば、この記事の最後はこう締め括ることが出来る。

「もう一度マリーナで恋がしたい」

若い人には分からないかも知れない。

だけど僕らおニャン子世代にとって、それは一夏の遠い思い出なのだ…。

桜散る前にSASUKEバカ山田勝己が散るのを見た

2005年04月06日 | 代表の「着眼」
【われわれは、いま二つの文化の極端な型のまん中に立っている。われわれの心の中には、日本的な、肉体を侮蔑する精神主義が残っていると同時に、一方では、アメリカから輸入されたあさはかな肉体主義が広がっている。そして、人間を判断するのに、そのどちらで判断していいか、人々はいつも迷っている。私は、やはり男といえども完全な肉体を持つことによって精神を高め、精神の完全性を目ざすことによって肉体も高めなければならないという考えに到達するのが自然ではないかと思う。】

~ 三島由紀夫 「若きサムライのために」 若きサムライのための精神講話 肉体について ~ より原文のまま


4月4日。『春のお台場筋肉の祭典史上最大のフィールドアスレチック海筋肉王バイキングSP全世界最強王決定戦!!』を観た。

ファイナルまで進んだのは「金比羅丸船長」長野誠。どうやら今は無職らしい。でも彼にはしびれた。素直に格好良かった。

一方、嫁さんの実家の鉄工所でアルバイト!「ミスターSASUKE」…いやあえて「SASUKEバカ」と呼びたい山田勝己は1stステージクリアーならず。

そんな山田勝己を見て思う…詰めが甘い。多分SASUKE&バイキング以外の場面でも絶対に詰めが甘い。だから義父に鉄工所の「正社員」にさせてもらえないのだ。

どんな理由があろうとも1stステージリタイヤでは駄目だろう。終わったとたんに「次です次」と言っていたのもいただけない。

二人とも究極の肉体だ。肉体のポテンシャルに多少の違いはあれど、やはり長野と山田の大きな違いは精神なのだと思う。

目に見える肉体がたとえ美しく鍛えられていても、それが直ちに精神的な価値を約束するわけではないのだろう。ギリシャの諺で「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といわれているのはギリシャ語の誤訳であって、「健全なる精神よ、健全なる肉体に宿れかし」というのが正確な訳らしい。

桜散る前にSASUKEバカ山田勝己が散るのを見た。言い忘れた!これだけ貶しておいてなんだけど、僕はこの山田という男を嫌いではない。

ウチの周りでは、あともう少しで桜が満開になる。

僕自身、満開になるのはいつになるだろう?

そう思いつつ、もう少しだけ三島由紀夫を読んでから寝ることにする。皆さんおやすみなさい。

携帯電話が取り払ってしまった「壁」について

2005年03月18日 | 代表の「着眼」
携帯電話の普及率っていったいどのくらいなんだろう?

ほんの数年前までこんなに携帯が普及するなんて思ってもみなかった。このままでは「携帯の番号が国民の番号」つまり『日本国民総ナンバリング制』につながりそうな勢いだ。

高校時代に安部公房の「壁」を読んでいたく影響を受けたものだが、携帯電話の功罪の罪として「壁」を取り払ったことがあるように思う。

昔、好きな娘と電話したいときは必ずその娘の「家」に電話しなければならなかった。ここにまず「家族」という大きな壁がある。その娘が好きだというドキドキプラス「親父が出たらどうしよう…。」というドキドキ。この頃の僕らにとって電話をするという行為は「ドキドキの二重構造」だったのだ。

それが今はどうだ。本人同士が直接連絡を取れる。全く他者が介在することなく個と個がいきなり結びつく。「親父ウォール」なるものはないし、大人でさえ不埒な関係が容易に出来るようになった。だってそこに「壁」が無いからだ。

「受信拒否」なるものがある。それは「壁」というよりも「人間関係の謝絶」だろう。面倒くさかったり、うざかったりする相手に対して、一方的に人間関係を断ち切るのだ。僕にそれは出来ない。それってないよなあ。

兎にも角にも「壁」を取り払ったことで、あれば享受できたであろう「ドキドキ」が失われたし、個と個の間に他者が存在するのが当たり前だった時代はとうの昔に去ってしまった。あるべくしてある障壁を乗り越える力が養われなくなったし、他者というフィルターを通さずに人と接することが出来るようになった。

目に見えない「壁」を感じられなくなったことで、自分自身に大きな「壁」を作ってしまった。

痛かったのが、若者たちにとっては「ルールも道徳も出来上がらないまま」個と個が直接結びつくような事態になってしまったこと。

ここで問題になるのがメールの間合い。僕が今まで培って来た社会通念的な感覚の間合いが今の若い子には全く通用しないのだ。

原則メールをもらったら返事は必ず返す。僕はどんなに嫌な相手でも「礼儀」として返す。そして大事なのがなるべく「早く返す」ということ。(返事を急がないメールもあるけれど、それでも返事は書くだろう)

僕にとって「忙しい」というのは理由にならない。これは何回もこのブログに書いている。30秒あれば一言ぐらいは返せるでしょう?30秒もとれないほど、あなた方が忙しいとは決して思えない。仕事中やバイト中は勿論仕様が無いが、終わってからいくらでも書けるではないか。

となると、やはり返事が来ないというのは「超敏腕エリートビジネスマンの如く本当に忙しい」か「返事を書く余裕や能力が無い」か「悪気は無いのだけど本当に礼儀を知らない」。そしてもう一つ「その相手のことはどうでもいい」ということなのだろう。

結局はこういうことなのではないか。個と個が直接結びつくようになったら、逆に個と個が向き合うことが出来なくなってしまった。

つまり現代人は人格と人格ががっぷり四つで向かう合うという関係が出来ない、もしくは望んでいない。

いくら写メしたり絵文字をたくさん使ったりしても、ここでも結局全部が全部「フェイク」ということ。みんな嘘っぱちということなのだ。

それでも僕は人と向かい合っていたい。そこに難しい理屈は無い。僕がそういう人間というだけのことだ。

丸山ガンバレなのだ

2005年01月17日 | 代表の「着眼」
小さい頃はゴルフ番組が嫌いだった。

これは競馬番組も同じこと。やらない(興味がない)うちは観ても全く面白くないのだ。

お恥ずかしながら、発売当初にPSPを買った…今、僕は「みんなのゴルフ」に夢中である。当然ゴルフにも興味がでてきた。

彼の地で行われている、米男子プロゴルフツアーのソニー・オープンで丸山茂樹が4番(パー3)でのホールインワンを含む1イーグル、3バーディー、1ボギー、1ダブルボギーの68で回り、通算10アンダー、200で単独首位を守った。

テレビで観ていたが、彼は凄い凄すぎる!

こう言っては生粋のゴルフファンの方に失礼なのだが、まさにリアル「みんゴル」!ゲームで起こり得るようなスーパーショットを見た。4番(パー3)でのホールインワン!

鳥肌が立った!凄い凄いぃぃ!

夜のジャンクスポーツを観て思ったけど、世界に通用する男はこうでなくては駄目なのだ。カッコいいぜマルちゃん!

さて最終日。どうなることだろう。

きっと彼なら勝つ。絶対に勝つ。僕はそう思う。

【結果は3位でした。詳しく知りたい方は、左のTB:マルちゃん何でやねん。(ローマ帝国すぽーつ120円) でご確認ください】

年賀状について思う

2005年01月03日 | 代表の「着眼」
僕は毎年「自分全開」の年賀状(セルフヌード)を皆に送っている。それは僕が僕らしく今年も元気にやっていくよというメッセージなんだよね。

でもこの齢になると皆から送られてくる年賀状はほとんどが「お子さん中心」の年賀状ばかり。

はっきり言わせてもらう。僕は子供が居ないから気持ちが全然分からないのだけど、全くもってこれらのつまらない年賀状はなんなのだ!というか、恥ずかしくないかい?笑いのエッセンスなんてゼロだよぉ。子供が元気で育ってますとか、ウチの家族は円満ですなんてアナウンスはどうでもいいのだ。

「俺とお前との付き合いなのだ。」

僕は友達に「友達の名前のみ」で年賀状を出す。奥さんと連名にしたって仕様がない。だって奥さんとなんか付き合いがないからだ。奥さんやご子息なんて知ったこっちゃないや。

今年の僕の年賀状はインリン・オブ・ジョイトイのM字開脚を演じさせていただいた。僕は子供が居たとしても「自分全開」の年賀状を出し続ける。ちなみにこのままいけば来年は熊田曜子の予定。

「僕の人生だから、僕が主役なのだ」

こんな記事を書くと来年は彼らから年賀状が来ないかもしれないけど、若い頃から僕と付き合ってて「笑いってのはさ…」なんて熱く語ってた連中がこんなつまらない年賀状を送ってくると非常に腹が立つ。

皆こうやって大人になっていくのか?僕から言わせればそんなの大人でもなんでもないやい。ただつまらない人間になっただけなのだ。

年賀状が無理ならそれでもいい。ただ、たまには連絡してきて欲しい。君が君であることを確認できれば僕はそれでいいのだ…。

奥深い時計の世界を垣間見る

2004年12月27日 | 代表の「着眼」
前にも書いたと思うけど、僕は毎月車雑誌を大量に買う。

特にお気に入りなのが「ENGINE」と「NAVI」なのだけど、この二誌が車以外の記事で頻繁に特集を組むのが「時計」なのだ。

クルマ好きには時計好きが多いのだろうか?たぶん相通じるものがあるのだと思う。NAVIの今月号に山田五郎推薦!「七人の時計師」という特集があった。

関係ないけどタモさんとコラボる時の山田教授はとても素敵だ。特にお尻について話すときの教授ったらもう最高!僕もああいうふうにおっぱいについて語りたいと日々精進しているくらいだもの。

山田教授は物凄い時計マニアなのだ。今まで何回か登場していたのを目にしていたけど、僕が時計の記事に目を通すことはなかった。

最初に断っておくけど、僕は時計のことは全く分からない。ズブの素人。しかし今回ちょっとだけ記事を読んでみた。そして「かっこいいなあ」と思った上記写真の時計の値段を見てビックリ!なんと651万円也…

この時計、フランソワ・ポール・ジュルヌという「時計師」が作ったらしい。僕は「時計師」なんて言葉も初めて聞いた。なんでも、ミハエル・シューマッハはジュルヌのコレクターなんだそうな。やっぱり僕ら庶民とは住んでる世界が違うのね…

機能やこまかいウンチクは素人の僕にはよく分からないのだけど、実際カッコいいし、値段を見たからかも知れないけど何だかオーラみたいなものも感じるよなあ。

とにかく時計の世界は物凄く奥深そうだ。でもこんな値段の時計は絶対に買えない。腕時計だけに「手が出ない」というところか。価値観は人それぞれだから別に構わないのだけど、僕だったら絶対に車を買うかキャバクラに行く。

買わない理由をもう一つ。ナイーブな僕はなんと金属アレルギー持ち。その辺で千円くらいで売っている時計から今回の651万円の時計まで、僕にとってはあっても仕様がない無用の長物なのでした。(しかし651万円の方は誰かくれるのなら貰いたい)