ふ~ん、そうなのかぁ。仕事で四国や九州の人と電話するけど、彼らとしては全く間違っていない表現だったのだ。でもいくら「関西地方を中心に尊敬の意味でおられるが使われている」といっても、僕は東日本の人間だからやはり違和感が残る。
あと一つ気になるのは「今までは間違っているとされていても、皆が使っているから正しい敬語ということにしよう」という流れ。
その代表格が「ら抜き言葉」。本来「られる」と表現しなければならないのに、「ら」を抜くというもの。
見れる、来れる、着れる、起きれる、考えれる 食べれる、覚えれる、信じれる…など。
参考までに:あははっ 敬語 ら抜き言葉
言葉は常に時代に合わせ進化していくものなのだろう。特に日本語は2000年前(←ちょっと違うか?)の先人から「どう表現すれば美しくなるか」を考えて出来上がってきた言語。
漢字ばかりで使いにくかった今話題の国から入ってきた言葉もひらがなやカタカナを考えることで使いやすくしたし、熟語をたくさん作ったのも日本人だ。現代では横文字は使うし、カタカナ語なんてのもあって、非常に表現能力に優れている素晴らしい言語だと思う。
しかし、時代に合わせ進化していくものとはいっても「おられる」や「ら抜き言葉」がアリ!という流れはいかがなものだろう?大局からすれば小さなことなのだろうか?
あえて僕は戦わせていただく。僕自身正しい日本語なんて使えていないけど、これから学んでやるという気持ちにあふれているのだ。
「○○さん、おられますか?」なんて死んでも言わない。言ってる人がいたら、出身地を確認のうえ講義を始めたい。
誰かが愛を語ろうとするならば、僕がバックミュージックで「ラ・ラ・ラ♪ラ~ラ・ラ~ヴ・ソォーン♪」と歌ってあげる。こうなったら必要以上に「ラ」を言ってやろうと思っているのだ。
そしてもう一つ僕は「正しい敬語普及プレイ」なるものを考えた。
つづく
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あと一つ気になるのは「今までは間違っているとされていても、皆が使っているから正しい敬語ということにしよう」という流れ。
その代表格が「ら抜き言葉」。本来「られる」と表現しなければならないのに、「ら」を抜くというもの。
見れる、来れる、着れる、起きれる、考えれる 食べれる、覚えれる、信じれる…など。
参考までに:あははっ 敬語 ら抜き言葉
言葉は常に時代に合わせ進化していくものなのだろう。特に日本語は2000年前(←ちょっと違うか?)の先人から「どう表現すれば美しくなるか」を考えて出来上がってきた言語。
漢字ばかりで使いにくかった今話題の国から入ってきた言葉もひらがなやカタカナを考えることで使いやすくしたし、熟語をたくさん作ったのも日本人だ。現代では横文字は使うし、カタカナ語なんてのもあって、非常に表現能力に優れている素晴らしい言語だと思う。
しかし、時代に合わせ進化していくものとはいっても「おられる」や「ら抜き言葉」がアリ!という流れはいかがなものだろう?大局からすれば小さなことなのだろうか?
あえて僕は戦わせていただく。僕自身正しい日本語なんて使えていないけど、これから学んでやるという気持ちにあふれているのだ。
「○○さん、おられますか?」なんて死んでも言わない。言ってる人がいたら、出身地を確認のうえ講義を始めたい。
誰かが愛を語ろうとするならば、僕がバックミュージックで「ラ・ラ・ラ♪ラ~ラ・ラ~ヴ・ソォーン♪」と歌ってあげる。こうなったら必要以上に「ラ」を言ってやろうと思っているのだ。
そしてもう一つ僕は「正しい敬語普及プレイ」なるものを考えた。
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