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unknowned domain

デジタル&ニュー・ドメインに突入したオレの状況

cold tornado

2008-05-07 19:25:08 | Weblog
Collaboration Project;oVdk & Bunk Data
Title;KHOLODNYI SMERCH
label;Atmoworks (eclectic ambient label)
Tracks: Dead with Kanymedes / Skogsra /
Scytahi Saka / Amphibious Decent /
Amply Your Indigestion / Final Goodbye
release year;2008/05 (description)
Ovdk & Bunk Data participated
as components of Autopoiesis.
In doing so, a system of "timbre"
gradually occurred such as a cold tornado
with all it's deconstruction. All environmental
soundscapes were edited and
incorporated with pan-tonality.
1-1, Bunk data is also known as Nathan Larson.
This Duluth-Minnesota native has created
electronic and experimental music
for over 12 years under the names Samsa,
Bunk Data, and Royal Obtuse. Nathan
is the creator and curator of
the Dark Winter net.label
which focuses on releasing
dark ambient music.
1-2, Tokyo-chiba based experimental
musician Ryuta.k aka RYU and
ovdk releases mostly freeform
ambient and leftfield muziq since 97.
He calls The genre of fishy music
he makes "Post sampling kinetic
nonhierarchical nonlinear nonequilibrium
fourth world muziq!" Or
"A post sampling kinetic quantum-reduction
dissipative system of sound in nonequalibrium..."

自分の死について

2008-04-19 06:30:24 | Weblog
あれから1ヶ月がたち、
自分の死については改めてあっけなさを感じている。
少し頭を整理しようとおもい書いている。
このサイトについては真剣に読まない
ことを薦めたい。5年前に書いた記事から
自分で読みなおしたが、意味がわからない部分が多かった。
だが全て削除しようとおもわない。これらは僕の思考がビルドアップ
されていく過程であり、たしかに僕にとっては真実を伝えているから。
このサイトでは音楽の話題が非常におおいようにおもう。
僕にとって音楽はものごころついてからというもの
一番近しい存在であり、いいメタファーだったからだ。
僕は、現在、過去、いつなんどきも
cdやカセットに収まるおよそ曲とよべるものが
大好きだ。あらゆる音を偏愛しないこと、
それが僕がワールドミュージックという言葉に込める
精神性だ。でも誤解をおそれずに言えば、
それらの音をどうしようもなくちゃちなものだと
思っている。僕のいうワールドミュージックとは
おそろしくニューエージ的でもあるから。
その両義性の間で逡巡するのが僕の役割。
また流行としてのポストモダンがはるか昔に
終わったのに、この言葉を多用したことには
後悔することはない。ボードリヤールは
エピゴーネンよばわりされたりするが、
事実ちゃちなくらいそうなのかもしれないが
彼以上の定義がしっくりくることはあまりない
ところに、いよいよすまわってしまっていないか?
僕の作った作品群はそれなりに評価されて
いるという実感もあるが、にもかかわらず
僕はただ格下げされているという皮肉。
去勢というのが抽象的な意味で一番しっくりくる。
問題を社会が強いてくるという点で、
モダンの時期に表現主義としてやってきた
世代とそれほど変わらないと思っている。
作者の死や音の脱構築もこのサイト
のテーマだが、これは僕のフロンティア
の要求の結果であると思う。
位相的な外をフロンティアとみなして、
ウルトラフラットな現在と格闘していく試み
じゃないだろうか?
だから僕のいうワールドミュージックは、
デジタル環境下における複雑系の科学
を通過しながら、内在の平面をとおりながらも
、潜在性に漸近してこうとしていく。
そして現実には否定という
形をとってあらわれる僕の作品たち。
ああ、またわかりやすく書こうとおもいながら
わいせつになってしまったろうか..........
ryuta.k/overdose kunst
(Not -communist-but-marxist/Nune yaponiska kunst)

Got hard car clash(交通事故)

2008-03-20 02:12:15 | Weblog




i got hard car clash early march.
i was carried to urgency hospital.
It is not strange that i died when i got hard car clash ,
Actually many people thougt my death.
i got head 9 stitches but body is almost safe.
But Everyone thought this clash seems dead.
Firstday brain almost dimly and had high fever.
Now i have still dull,, slowly recover.
Today i could come out of hospital,somehow.
i think this is miracle alive ,
Many thanks for overdose kunst Fan !!
It reach near 5000 downloads .
my best regards
Ryuta.k(Overdose kunst)
Japan descript;
三月はじめに車で事故にあいました。
意識がなくなりそのまま緊急病院に搬送されました。
病院で意識がもどりましたが、初日は朦朧として
なにもできませんでした。頭に9針を縫う怪我を
負いましたが、事故の大きさのわりに体は
かすり傷程度でした。ただ頭がひどく揺れたらしく
ノウシントウの状態が長くつづきました。
おとといようやく退院することができましたが、
多くの人がいうには生きていたことは奇跡
だったようです。僕のソロやカンストを聞いてくれる
ファンには本当に感謝しています
my best regards
Ryuta.k(Overdose kunst)

音色の系2007

2007-12-10 00:21:28 | Weblog
プロセスアートやインタラクティブアートへのうしろめたさからだろうか?
どうしても主体として関与せざるを得ない状況にいいわけをつけようとしていたのかもしれない。
決定不能でありながらなお参加できる系、
ルーマンの社会システム-コミュニケーションを構成素とするため個人は位相的に
分裂してしまう-にみならって音色の系に聴くという行為の構成素として参加するといわけだ。
前回の説明では音色の系を、音高の逡巡の結果音高のヒエラルキーがこわれ、
音色(ノイズ)の総調性の系としていた。虚数がいいメタファーだった。
これに聴くという行為構成素として参加すると、音色の系は内包量(強度)として定義できる。
もちろん背後には決して現勢化しない潜在性としての系があるが、
これは位相的に存在する音色の系である。
決して現勢化しない潜在性にたいしては、現実的なこととしてしめされる。
それがカストレーショニズムの否定神学だろう。Dw034やDw020などを参照されたい。
usyukuroのoverdose kunstやkol sonzlgnもここで関与してくるのだ!
処女から花嫁への移行、イルマの夢、ペンローズの状態収縮、マルチチュード

"timbre"の系

2007-02-20 04:50:54 | Weblog
前回(初め)の記事を書いて2年経た今補足をしていきたいと思う。
ポストモダンをこえる言説をモウケタイという一心で。
まずpotentialについて、これは”現実界”という言葉に置き換えてもいいんじゃないだろうか?
確率的な創発は”現実界”の三次元への写影であり、此性をもつ。
システムとしての創発は、コンピュータと我々のコミュニケーションだろう。
あくまで完璧な計算をしているコンピュータにとって
我々はエラーであり、エトセトラである。
しかしエトセトラであるはずがシステムを左右するほどになり、創発がおこる。
関与者が内部にいるようなサイバネテックな環境である。
グリッチと呼ばれている人たちは、ここに区分される。
”場”そのものに関与する場合にはコンピュータは完璧に機能している。
モーダルなスケールを使用するように、進行は弱体化され亀裂が入っていく。
”場”にたいする知覚の関与が確率的な創発を生む。
アテンションの零度、総調性にみえるケージの立場も、
知覚という行為を行っている。
この"timbre"の系(音高が2つの音程で逡巡しているとき、かさねあわせの状態)
は主体が消えゆく媒介者として象徴界を生むプロセスにかさならないだろうか?
此性をみいだすプロセスはアフォーダンスとしての象徴界をいや”意味”をみいだしていくプロセス。
ネオウィーン楽団の何人かは表象の手本になる。
あらたな秩序、決定論的でなく、完璧なる他者にたくすわけでもない。
我々の関与、主客の彼岸への転移

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