前回(初め)の記事を書いて2年経た今補足をしていきたいと思う。
ポストモダンをこえる言説をモウケタイという一心で。
まずpotentialについて、これは”現実界”という言葉に置き換えてもいいんじゃないだろうか?
確率的な創発は”現実界”の三次元への写影であり、此性をもつ。
システムとしての創発は、コンピュータと我々のコミュニケーションだろう。
あくまで完璧な計算をしているコンピュータにとって
我々はエラーであり、エトセトラである。
しかしエトセトラであるはずがシステムを左右するほどになり、創発がおこる。
関与者が内部にいるようなサイバネテックな環境である。
グリッチと呼ばれている人たちは、ここに区分される。
”場”そのものに関与する場合にはコンピュータは完璧に機能している。
モーダルなスケールを使用するように、進行は弱体化され亀裂が入っていく。
”場”にたいする知覚の関与が確率的な創発を生む。
アテンションの零度、総調性にみえるケージの立場も、
知覚という行為を行っている。
この"timbre"の系(音高が2つの音程で逡巡しているとき、かさねあわせの状態)
は主体が消えゆく媒介者として象徴界を生むプロセスにかさならないだろうか?
此性をみいだすプロセスはアフォーダンスとしての象徴界をいや”意味”をみいだしていくプロセス。
ネオウィーン楽団の何人かは表象の手本になる。
あらたな秩序、決定論的でなく、完璧なる他者にたくすわけでもない。
我々の関与、主客の彼岸への転移
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ポストモダンをこえる言説をモウケタイという一心で。
まずpotentialについて、これは”現実界”という言葉に置き換えてもいいんじゃないだろうか?
確率的な創発は”現実界”の三次元への写影であり、此性をもつ。
システムとしての創発は、コンピュータと我々のコミュニケーションだろう。
あくまで完璧な計算をしているコンピュータにとって
我々はエラーであり、エトセトラである。
しかしエトセトラであるはずがシステムを左右するほどになり、創発がおこる。
関与者が内部にいるようなサイバネテックな環境である。
グリッチと呼ばれている人たちは、ここに区分される。
”場”そのものに関与する場合にはコンピュータは完璧に機能している。
モーダルなスケールを使用するように、進行は弱体化され亀裂が入っていく。
”場”にたいする知覚の関与が確率的な創発を生む。
アテンションの零度、総調性にみえるケージの立場も、
知覚という行為を行っている。
この"timbre"の系(音高が2つの音程で逡巡しているとき、かさねあわせの状態)
は主体が消えゆく媒介者として象徴界を生むプロセスにかさならないだろうか?
此性をみいだすプロセスはアフォーダンスとしての象徴界をいや”意味”をみいだしていくプロセス。
ネオウィーン楽団の何人かは表象の手本になる。
あらたな秩序、決定論的でなく、完璧なる他者にたくすわけでもない。
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