蘆山寺陵
蘆山寺は、京都御所の東隣にあり、紫式部が源氏物語を執筆したのがこの地であるとされています。
・紫式部の曾祖父堤中納言 藤原兼輔(877-933 百人一首 権中納言)の寓居跡
・紫式部が宣孝との結婚後に住んだところ
これを機に源氏物語の執筆を始める
・この近辺には藤原道長の法成寺( 藤原道長(966~1027)が建立した寺で、
晩年阿弥陀信仰に傾倒した道長は,法成寺内に九体阿弥陀堂の建立を発願,その後次々と堂舎が建てられた。
・康平元(1058)年悉く焼失したが,息子頼通(992~1074)は直ちに再建に着手,孫師実(1042~1101)に引き継がれた。
紫式部は法成寺の敷地内に邸宅を構えていたものと思われます。
・法成寺跡の石碑が 鴨沂高等学校の荒神口通りにあるはずなのですが、見つかりませんでした。
・本堂前の「源氏の庭」は白砂を敷き、苔を配して、そこに紫式部にちなんで桔梗が植えられていています。
・938年に慈恵大師によって船岡山に創建されましたが、1571年に織田信長の焼き打ちをまぬがれ、現在地に移されました。
・また、皇室の帰依が厚く、皇室関係の陵墓も多くあり、盧山寺陵として祀られています。
・本堂の尊牌殿は、光格天皇の勅命により、仙洞御所から移築されたものです。
盧山寺陵・紫式部邸宅跡で知られる盧山寺
蘆山寺陵には慶光天皇及び祖父・東山天皇の皇子達が眠っています。慶光天皇は明治になって与えられた尊号で、江戸時代には閑院宮典仁親王といい、閑院宮第二代当主です。因みに父・直仁親王は初代当主であり東山天皇の第六皇子になります。
慶光天皇盧山寺陵
東山天皇後宮・藤原賀子 光格天皇・皇子 園鏡院
奥には御陵墓が数多く並んでいますが残念ながら中には入れません
103後土御門天皇(成仁1442-1500)
┗104後柏原天皇1464-1526
┗105後奈良天皇1497-1557
┗106正親町天皇1517-1593
┗誠仁親王(陽光太上天皇)
107後陽成天皇┛ 櫛笥隆子(逢春門院)
┣聖興女王 ┣光子内親王
┣清子内親王 ┣良仁親王(111後西天皇)
┣政仁親王(108後水尾天皇)1596-1680
┣尊英女王 ┃┃┣興子内親王(109明正天皇)
┣近衛信尋 ┃┃┣昭子内親王
┃ ┃┃┃ ┣近衛基熙(左大臣) ━┓
┃ ┃┃┃ ┣好君(伏見宮貞致親王妃)┃
┃ ┃┃┃┏近衛尚嗣(関白・左大臣) ┃
┃ ┃┃┃┗泰姫君(水戸藩主・光圀室) ┃
┣高松宮好仁親王┃┃┣高仁親王 ┏━━━┛
┣一条昭良 ┃┃徳川和子(東福門院) ┃
┣貞子内親王 ┃┣紹仁親王(110後光明天皇┃
┣庶愛親王 ┃┣守澄法親王 ┃
┣尊蓮女王 ┃園光子(壬生院) ┃幸子女王(承秋門院)
近衛前子(中和門院)┣常子内親王 ━┛┣秋子内親王 成子内親王1729-1771
┣識仁親王(112霊元天皇) ┃ 讃岐(伊藤一中娘) ┣-
園国子(新広義門院)┣栄子 ┣朝仁親王(113東山天皇)┣典仁親王1733-1794┓慶光天皇
┃ 松木宗子(敬法門院)┣直仁親王閑院初代1704-1753 ┃
鷹司房子(新上西門院) ┃ ┣治子女王1720-1747┃
┃ 近衛脩子 ┃
┣慶仁親王(114中御門天皇) ┃
櫛笥賀子(新崇賢門院) ┃ ┃
┣昭仁親王━┓ ┃
近衛尚子 ┃ ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃
┃姉小路定子(開明門院) 近衛維子(盛化門院) ┃
┃ ┣遐仁親王(116桃園天皇) ┣欣子内親王(光格天皇中宮) ┃
┗昭仁親王(115桜町天皇) ┣英仁親王(118後桃園天皇) ┃
┣智子内親王(117後桜町天皇) 一条富子(恭礼門院) ┃
二条舎子(青綺門院) ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃大中臣祐智女 鷹司吉子
┃ ┃ ┣致宮
┃ ┣美仁親王1757-1818 ┣愛仁親王1818-1842
┃ ┃ ┣- ┣孝仁親王1792-1824
┃ ┃近衛因子随願院 欣子内親王1779-1846
┗典仁親王1733-1794 ┣温仁親王 鷹司繁子(新皇嘉門院)1798-1823
┃ ┣悦仁親王 ┣安仁親王1820-1821
┣兼仁親王(119光格天皇) 1771-1840┣慈悲心院宮 九条夙子(英照皇太后)
大江磐代┣治宮1822┃┃ ┣恵仁親王(120仁孝天皇) ┣122睦仁親王(明治天皇)養子
(蓮上院)┃ ┃┃ ┣多祉宮1808┃┃ ┣鎔宮1825-1826 ┣順子内親王1850-1852
富小路明子?-1828┃┃ 勧修寺婧子 ┃┃ ┣統仁親王(121孝明天皇)1831-1866
┃┣俊宮1793-1794 ┃┃正親町雅子(新待賢門院)1803-1856┣寿万宮1859-1861
┃葉室頼子1773-1846┃┣摩尼珠院宮1829-1831 堀河紀子1837-1910
┣猗宮1815-1819 ┃鷹司祺子(新朔平門院)1811-1847
高野正子1774-1846 ┣胤宮1844-1845
橋本経子1826-1865
源氏の庭
平安朝の庭園の「感」を表現したものであり、白砂と苔の庭です。 源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことであり、紫式部に因み、紫の桔梗が6月から8月末まで静かに花開きます。 紫式部が住んだ 「平安京東郊の中河の地」すなわち現在の廬山寺の境内にあったといわれる邸宅は紫式部の曽祖父、権中納言藤原兼輔(堤中納言)が建てた邸宅であり、この邸宅で育ち、結婚生活を送り、一人娘の賢子を産んだといわれています。 また、「源氏物語」の花散里の屋敷もこのあたりであったろうといわれています。 花散里は明石・須磨へ都落ちする直前に、光源氏の心を安らげることの出来る女人でした。 橘の香りの懐かしいその住まいに源氏が訪ねていったのは心の憂いさに耐え兼ねてのことでした。 亡き桐壷院の女御のひとりだった麗景殿女御の妹であり、のちに源氏の子「夕霧」や後に出てくる「玉鬘」の養母となります。
源氏物語絵巻 三十八帖鈴虫