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村上海賊の娘-9 因島村上水軍衆 

2014年05月16日 | 戦国時代

 毛利水軍による大規模兵糧輸送を護衛した村上水軍の中心となった村上因島水軍、これを率いたのは党首・村上吉充である。因島は「しまなみ海道」の向島と生口島に挟まれた大きな島で、因島北ICを降りて南東に1kmほど走ると因島水軍城(青影城ともいう)が現在も残されている。ただし昭和になって再建されたものである。城主・村上吉充は小早川家海賊衆の党首・乃美宗勝の妹を娶っているから、毛利庶流の小早川家とは結びつきが深い。兵糧輸送船団を率いるのは小早川家海賊衆の党首・乃美宗勝が中心人物であるから、乃美宗勝と村上吉充は最高のコンビといえる。数年前に訪れた因島の村上水軍城は、再建されたというものの立派である。城への登城はかなり急な坂道をかけあがる必要があり体力に自信がないと楽にはのぼれない。また村上水軍の菩提寺ともいえる金蓮寺には多くの墓所が並んでおり、因島村上水軍の勢いが強かったことが偲ばれる。党首・村上吉充は乃美宗勝の妹を娶ったが子供には恵まれなかった。そこで弟の村上亮康の子景隆を養子にした。こういう背景があったためだろうか、村上海賊の娘では主人公・景と村上吉充は結婚するのかな?という描かれ方もなくはなかった。景は男勝りの戦士である。そんな景が考えていた結婚相手は、海賊のなかの海賊である。したがってこのような男として描かれてはいるが、少し物足りなさを村上吉充に感じていた。一方村上吉充は嫁に景を考えるなど眼中にない。景のような当時の姫には似つかわしくない女は村上水軍の海賊からは相手にされない状況である。そのような描写を挟みつつ、村上吉充の描写は海賊の勇士であった。なんだか、今気づいたが歴史の状況を淡々と記載するのに比べると、男女の人間模様を書くのはダメな自分に気づいた。

金蓮寺(村上家の菩提寺)にある因島村上水軍の墓 

因島水軍城二の丸にある展示館

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