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神の山霧島-9 高屋山上陵

2018年03月04日 | 記紀創世紀

 高屋山上陵は、天津日高彦火火出見尊の陵。可愛山陵、吾平山上陵とともに神代三山陵の一つで、霧島山山麓(現・鹿児島県霧島市溝辺町麓)を「高屋山上陵」と治定した。

 火遠理命は豊玉姫を妻とし、鵜葺草葺不合命(神武天皇の父)をもうけ、高千穂宮で580年間生きたとある。 『古事記』によれば、ニニギ(日子番能邇邇藝命)とコノハナノサクヤビメ(木花開耶姫)との三男で、兄にホデリ(海幸彦)、ホスセリ(火スセリ命)がいる。 火遠理命は一夜で生まれたために邇邇藝命に「自分の子ではない」と疑われ、木花開耶姫がその疑いを晴らすために産屋に火をかけて、その火の中で生んだ三人の子の末で、火が消えかけた時に生まれたので火遠理命と名付けられた。 埋葬地の伝承地は南九州各地にあり、鹿児島県霧島市にある「高屋山上陵」が治定された。他に、宮崎県高千穂の古墳や鹿児島県の国見山なども神陵という伝承がある。

 神話で知られているのは兄・海幸彦との争いである。山幸彦と兄の海幸彦はお互いの道具を交換して海幸彦が狩りを、山幸彦が釣をすることになります。しかし、どちらも獲物を得ることができず、山幸彦は兄の釣針をなくします。海幸彦は怒って、釣針を返せと言います。困った山幸彦が海辺に行き、途方にくれていると、塩椎神(潮流神)が 助言をしてくれます。「ここから舟に乗って潮に流されるままずっと行きなさい。私が貴方を導きましょう。やがて宮殿が見えてきます。そこは綿津見の神の宮殿です。そこの入り口の近くの泉のそばに1本の木があります。そこに登って待っていなさい」と。山幸彦が言われた通りにすると本当に宮殿が見え、舟を降り泉のそばの木に登ります。やがて宮殿の門からでてきた女を仲立ちに、宮殿の姫・豊玉姫に出会います。豊玉姫は一目ぼれし、二人は結婚します。そして、釣り針のことを豊玉姫に相談すると、赤鯛の喉にささった釣針を見つけます。綿津見の神はこの釣針を兄上殿に返す時に 『この釣針は憂鬱になる針、いらいらする針、貧しくなる針、愚かになる針』と言ってお返しなさい。そうして山幸彦はワニに岸辺まで送られます。その後、海幸彦は貧しくなり心も荒れて、山幸彦の所へ攻めて来ようとしたので、山幸彦はもらった潮満珠を出して「潮満ちよ」と言うと、海幸彦はおぼれてしまいます。 「助けてくれぇ」と言う声に山幸彦が潮干珠を出して「潮干け」と言うと、水は引いて海幸彦は助かります。弟には海の神の守護がついていると察した海幸彦は以来大人しくなったという。 

 そのうち豊玉姫が夫を追って地上にやって来ます。 懐妊の知らせに山幸彦は喜んで、豊玉姫のために産屋を建てますが、屋根を完全に葺き終えない内に姫は臨月になり、子供が生まれたため生まれた子は鵜葺草葺不合命と名づけられた。 このお産の時、豊玉姫が本来の姿・和邇になり、夫に見られたことから、豊玉姫は子供を置いたまま綿津見の神の所に帰ってしまいます。 後に妹の玉依姫が子を育てることとなったときに、「赤玉は 緒さえ光れど 白玉の 君が装いし 貴くありけり」と歌い、山幸彦が「沖つ鳥 鴨著く島に 我が率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに」と返歌しています。

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