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出雲王朝35-卑弥呼は天照大神説

2017年07月26日 | 記紀創世紀

 古代邪馬台国の君臨した卑弥呼は記紀には登場しない。しかし魏志倭人伝に載っていることで謎となった。起源270年頃、卑弥呼はシャーマンとしての特性を活用にて収集をはかって倭国を統率した。この卑弥呼は日の巫女という職名だったのではないかと言われる。すると記紀に登場する天照大神がそれらしき神ではないかとなる。出雲を建国したのはスサノヲであるが神話の世界にすぎない。しかし天照大神が実在の人物・卑弥呼であるならば、スサノヲと出雲王朝を実際のものとして考えられる。

 素戔嗚命と天照大神に関する記述には不可解な点が多い。根っからの乱暴者であった素戔嗚命は高天原の水田を破壊したために天照大神によって追放された。そして地上に降りると八岐大蛇を退治して櫛稲田姫を娶って出雲を建国する。そしていつのまにか根の国、つまり死の国に去っていった。素戔嗚命の死後、天照大神は素戔嗚命の子孫に国譲りを強要し、出雲を乗っ取るとともに地上界の支配に成功した。両者は密接な関係にあるが、寺社にはその伝承が少なく、素戔嗚命所縁の八重垣神社に残された素戔嗚命、天照大神にかかわる6柱が仲睦まじく描かれた像が残るのみである。

 不思議なことに古来より天皇家は自らの祖である天照大神とその一族よりも出雲の神々を重視してきた。三輪山に祀られているのが出雲系だったり、伊勢神宮には近年に至るまでほとんど誰も行幸した気配がなかったり、明治天皇が東京に遷都したしたとき真っ先に行幸したのは出雲系の大宮氷川神社であった。この事実はスサノヲに対する畏敬の念の現れなのである。

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