安芸・賀儀城址は平忠盛ゆかりのJR忠海駅のすぐ西側にあり、安芸・浦氏によって築かれたわずか標高20mの水軍城であるが、瀬戸内海を一望できる。浦氏は小早川宣平の七男・氏実が豊田郡浦郷を所領して浦氏を称したことに始まり、代々小早川氏に従った。以下の系図でもわかるように毛利家と強く結びついていることがよくわかる。浦氏は五代・元安に嗣子がなかったため、乃美家氏の子賢勝に家を継がせた。賢勝の子が浦宗勝(乃美宗勝)で、毛利元就が厳島で陶晴賢を敗った厳島合戦において、村上水軍を味方にするべく外交をした人物として有名である。1561年には大友氏の武将伊美弾正左衛門を討ち取り、1568年には尼子再興軍や大内輝弘の挙兵によって、毛利の主力が九州より引き上げる中、少数にて立花山城に籠城、1575年には織田信長と対立する石山本願寺への兵糧補給戦でも活躍している。この活躍については和田竜著・「村上海賊の娘」のなかで詳しく描かれており、当ブログでも紹介した。ここ賀儀城址にはもう城の痕跡はほとんどなく一部に土塁が残っているだけである。また海側から見ると城の真下に豪が設けられており、こはや舟を格納していたと思われる。
乃美隆興1513-1598(小早川弘平の子として生まれ乃美を称した)
┗乃美大方?-1601
┣毛利元清1551-1597
毛利元就1497-1571
┣毛利隆元1523-1563
┃ ┗輝元1553-1625
┃ 児玉就方1513-1586
┃ ┗児玉就英1534-1612(毛利家海賊衆)
┃
┣吉川元春1530-1586
┣小早川隆景1533-1597
┃乃美家氏
┃ ┗乃美賢勝
┃ ┣?村上吉充室
┃ ┗乃美宗勝1527-1592(小早川家海賊衆:賀儀城主) 竹原忠海町豊臣秀吉の文禄の役で宗勝も朝鮮へ出陣
┃ ┗嫡男の浦盛勝
吉川国経女
村上水軍博物館にある安宅船・関船・小早