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藤原旅子・宇波多陵

2007年04月07日 | 天皇・皇后陵

藤原旅子・宇波多陵 (京都府京都市西京区大枝中山町)

 京都・嵐山の南へ10kmくらいのところに、桓武天皇夫人・藤原旅子の御陵・宇波多陵はあります。 すこし狭い県道でしょうか、いけるところまで車でいき、途中の竹林からは歩くこと約5分。 暫くすると御陵が見えてきます。 (撮影:クロウ)

 

 

 

 宇合の長男・広嗣は橘諸兄に対乱して失脚し、弟の良継は大伴家持らとともに仲麻呂殺害を企てて失敗したが、後に仲麻呂追討の功を挙げ、光仁擁立に尽力して内大臣に至った。 弟の百川は北家左大臣の永手と計って光仁(白壁王)擁立、道鏡追放を実現させた。 (永手の働きが大きく、百川は中心ではないという説もある) 皇太子には第四皇子の他部親王が、聖武天皇の血筋であるがゆえになった。 しかし1年後には身分の低い山部親王(後の桓武天皇)が皇太子になる。 他部親王が廃太子となったのは母・井上皇后が夫の光仁天皇を呪詛したため、他部親王にも及んだというが、これは百川の策略による可能性が高い。 こうして百川の活躍で式家は藤原氏をリードし、桓武天皇は後に百川の娘・旅子を妃とし淳和天皇を出している。 また、百川の子・緒嗣は重用され20代で参議となっている。 尚、「日本後紀」は嵯峨天皇の勅命により緒嗣らが編纂したものである。

 
 桓武天皇は種継事件を利用して思いを叶えた。 つまり皇太子であった早良親王を廃し、安殿親王を皇太子としたのである。 しかし、これにより身に降りかかる不吉な出来事を受けることになる。 寵姫・旅子が大伴親王を産んだばかりというのに30歳の若さで亡くなったのである。 旅子は百川の娘であるだけにここまで自分を持ち上げてくれた百川に申し訳がなかった。 翌年、蝦夷征伐を目指していた大部隊は大敗を喫した。 そして桓武天皇の実母で皇后夫人の高野新笠が病死し、宮廷では女官の死が相次いでいたのである。 命婦・藤原教貴、大原室子などである。 翌年、皇后・乙牟漏が31歳の若さで亡くなると、后の坂上全子もなくなった。  この頃から、桓武天皇は悪霊・怨霊に怯えるようになる。 井上皇后、他部親王、早良親王の・・・・。 そしていよいよ皇太子・安殿親王の体調も崩しはじめていた。 桓武天皇はやむなく、早良親王の怨霊鎮めを最初に行った。 しかしその配慮を無視するかのように伊勢神宮を焼いたのである。 桓武は皇太子・安殿に伊勢参宮を命じたが、安殿親王は桓武の処置に納得がいかずに、互いの溝に亀裂が入り始める。
 
  時は流れて、801年。桓武帝に寵愛を受けた百川の子・緒嗣はあと一息で参議という鮮やかな昇進ぶりを見せているが、同じ年の真夏はかなり遅れている。 桓武の皇子は次々と元服し今はなき旅子を母とする大伴親王、多治比真宗を母とする葛原親王、安殿の弟・賀美能親王と続いた。 大伴親王に付き添うのはもちろん旅子の兄・緒嗣である。
 
  軽皇子(42代文武天皇) 701-756    縄主
   ┃ 多治比真宗769-813       ┣娘
 
  ┃    ┣ 葛原親王786-━高望王 薬子┃
 
  ┃      ┃是公娘・吉子-807  
   ┃┃
   ┃   
 ┃┣ 伊予親王 -807    ┃┃帯子(百川娘)
   ┃    ┃
┃乙牟漏皇后 760-790   ┃┃┃伊勢継子
   ┃    ┃┃┣ 高志内親王789-809 ┃┃┃┣高岳親王

   ┃     ┃┃┣ 安殿親王774-824 (51平城天皇) 
  
   ┃和新笠┃┃┣ 賀美能親王786-842(52嵯峨天皇)┣阿保親王 
  
   ┃   ┃┃┃┃ ┣業良親王    ┣正子 藤子    ┃ 

   ┃   ┃┃┃┃ 高津内親王   橘清友┣54仁明810-850 *
 
  ┃   ┃┃┃┃         ┣橘嘉智子┣55文徳帝(道康)   
  
┃   ┃┃┃┃               ┗橘安万子順子 ┗56清和天皇 
  
┃   ┃┃┃┃          藤原真作┃        ┣貞数親王
   ┃    ┃┃┃┃種継           ┣三守         ┣女
   ┃   ┃┃┃┃ ┗藤原東子-807┗美都子   *  ┏文子
 
  ┃   ┃┃┃┃  ┣ 甘南備内親王800-817 
┣在原行平818-893
   ┃    ┣山部王(50代桓武天皇)737-806     ┣在原業平825-880

   ┃    ┃  ┃┣良峯安世785-830    ┣ 伊都内親王801-861
 
  ┃    ┃  ┃永継
 ┗良峯宗貞815- 平子(乙叡娘)
  
┃    ┃  ┃ヨウキョウ
  ┣素性法師
   ┃  ┃
 ┃     ┗由性法師
   ┃  ┃ ┣ 大伴親王786-840(53淳和天皇)
   ┃   ┃百川娘・旅子 759-788
  
   ┃   ┣ 早良親王750-785(崇道天皇 大伴家持派)

   ┃  ┣ 能登内親王733-781        
 
 
┃白壁王709-781(49代光仁天皇)      
  
 
  ┃       ┣ 他部親王761-775        
  
 
 ┃県犬養広刀自┣ 酒下内親王754-829(斎宮) 
  
   ┃ ┃       ┃  ┣朝原内親王779-817(斎宮)    
   ┃ ┃     ┃ 桓武天皇  ┣   
  
 
  ┃ ┣ 井上内親王717-775  平城天皇  
  
   ┃ ┣ 不破内親王        
  
   ┃ ┃     ┣ 氷上川継782の謀反     
  
 
  ┃ ┃    塩焼王    大伴家持
  
   ┃ ┃        
   坂上苅田麻呂
   ┃ ┣ 安積親王728-744 

   ┗首皇子(45聖武天皇)701-756 
      ┣ 基皇太子727-728

      ┗ 阿部内親王(46孝謙/称徳718-770)
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