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青山忠成公の徳碑

2010年04月13日 | 戦国時代

 丹波篠山城跡にある青山神社には、篠山藩主・青山忠成1551-1613の徳碑が立っている。 青山忠成は江戸時代初期の徳川氏の重臣で、常陸国江戸崎藩初代藩主で青山家宗家初代である。 青山氏の祖は藤原北家花山院流で、花山院堀川師賢という後醍醐天皇の忠臣である。 青山氏は三河国出身の国人で、青山忠成の父・忠門が松平広忠と家康に仕えていた。 1572年、父・忠門が武田信玄との戦いで討死したために家督を継ぎ家康の信任を得ると、家康の一子秀忠の傅役に命じられた。 1588年には秀忠に従って上洛し、豊臣秀吉によって従五位下常陸介に叙され、徳川家康が豊臣秀吉の命で関東に移封されると江戸町奉行に任命され、原宿村を中心に赤坂の一部から上渋谷村にかけて5千石を受け、広い屋敷地を賜った。 これが現在の東京・青山の地名となっている。 しかし青山氏が改易されると、屋敷地も没収され、広大な土地には大名屋敷が林立することとなる。 関ヶ原の戦いにおいては秀忠の軍に従軍し常陸江戸崎1万5,000石の所領を得、江戸開府後も本多正信・内藤清成とともに幕政において重きを為した。 

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