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伝承上の九人の天皇

2007年04月15日 | 天皇・皇后陵

 日本初代天皇・神武天皇から第九代開花天皇までは、伝承上の人物であり実在したのかどうかは定かではない。 特に第二代からは『欠史八代』と云われ、記紀にも宮、系譜、陵の場所などが簡単に記されているだけである。 (撮影:クロウ)  

神武天皇陵 (畝傍山東北陵)

 樫原神宮の北隣にあるその御陵は圧倒的な大きさに加えて宮内庁の事務所も半端ではない。(撮影:クロウ) 神日本磐余彦尊 (かむやまといわれひこのみこと)・神武天皇は『日本書紀』の記述によると、兄の五瀬命(いつせのみこと)らと共に日向の高千穂宮を発ち、筑紫、安芸、吉備から瀬戸内海を経て難波に至りますが、生駒山を越えての大和入りは登美能那賀須泥毘古(長髄彦)をはじめとする地元の豪族に阻まれます。この戦いで兄の五瀬命,稲飯命,三毛入野命を失った神武天皇は紀州の海に逃れます。そして、今度は霊剣「韴魂ふつのみたま」と「八咫烏」に導かれながら紀伊熊野から大和入りを果たし、激しい戦いの末に大和地方を平定し、奈良・橿原宮で即位を宣して初代天皇になった言われています。

 

綏靖天皇陵 (桃花鳥田丘上陵)

 神武天皇を父とする三兄弟の末皇子である綏靖天皇は、2人の弟を殺し皇位を奪おうという野心を持った異母兄で長兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)の謀を事前に知り、すぐ上の兄である神八井耳命(かみやいみみのみこと)と共に先手をうって手研耳命を殺そうします。その際武器を持って先に部屋に入ったにもかかわらず恐れをなして長兄を殺す事ができなかった神八井耳命に代わって手を下したのが綏靖天皇でした。神八井耳命はこれを恥じ弟の方が皇位にふさわしいと述べてその地位を譲ります。 後に五十鈴依姫(いすずよりひめ)を立てて皇后(天皇の母方の叔母)とし、磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)を生んでいる。

 

 安寧天皇陵 (畝傍山西南御陰井上陵)

 安寧天皇陵は神武天皇陵の西側、畝傍山を隔ててすぐのところにあります。 綏靖天皇が即位した年に五十鈴依媛命を皇后に立て、磯津彦玉手看尊(しきつひこたまてみのみこと)を産み21歳の時に皇太子となる。8年後に綏靖天皇が崩御すると磯津彦玉手看尊が即位して安寧天皇となる。都を葛城の高丘宮から浮穴宮に移したという。即位3年後に事代主神の孫・鴨王の娘・渟名底中媛命(ぬなそこなかつひめのみこと)を皇后とし息石耳命(おきそみみのみこと)と日本彦耜友尊(やまとひこすきとものみこと(後の懿徳天皇),磯城津彦命(しきつひこのみこと)を産む。

 

 懿徳天皇(畝傍山南繊沙渓上陵)

 懿徳天皇陵も安寧天皇陵と同じくは神武天皇陵の西側、畝傍山を隔ててすぐのところにあります。  安寧天皇の第二子として生まれた大日本彦耜友尊は16歳で皇太子となり、27年後に安寧が崩御すると懿徳天皇として即位した。都を軽の曲峡宮に移し同年息石耳命の娘にあたる天豊津媛命を皇后に立て観松彦香殖稲尊(後の孝昭天皇)、武石彦奇友背命(天豊津媛命ともいう)を産んだ。

 

孝昭天皇陵(掖上博多山上陵)

 孝昭天皇陵は近鉄御所駅の近く国道沿いに位置しますのですぐに見つけることが出来ます。 懿徳天皇陵の皇子として生まれた観松彦香殖稲尊は18歳で皇太子となり12年後の懿徳天皇崩御に際に孝昭天皇として即位した。 都を掖上池心宮に移し、世襲足姫を皇后とし天足彦国押人命、 日本足彦国押人尊(後の孝安天皇)を産む。

  

孝安天皇陵(玉手丘上陵)

 孝安天皇陵は孝昭天皇陵の東に1.5kmのところ玉出に位置し日本武尊命陵のすぐ北側にある。 後陵は小高い山の上にあり車ですぐ近くまで行ったものの御陵の前まで行く元気がなくなっていたため今回は断念。 孝昭天皇の皇子として生まれた日本足彦国押人尊は皇太子となった15年後に孝昭天皇が崩御すると、孝安天皇として即位し都を室の秋津嶋宮に移した。後に押媛命(兄の天足彦国押人命の娘)を皇后とし大日本根子彦太瓊尊(後の孝霊天皇) 、大吉備諸進命を産んだ。

  

孝霊天皇陵(片丘馬坂陵)

 孝安天皇の皇子として生まれた大日本根子彦太瓊尊は皇太子となった26年後に孝安天皇が崩御したがすぐには即位せず皇太子のまま都を黒田の廬戸宮に移し、その後孝霊天皇として即位した。翌年細媛命を皇后とし大日本根子彦太瓊尊を産んだ。また欝色謎命との間に四道将軍のひとり吉備津彦命や倭迹迹日百襲姫命をもうけている。 

 

孝元天皇陵(剣池島上陵)

 孝元天皇陵は橿原神宮のすぐ東、甘樫丘に挟まれた石川池の横に位置する。 孝霊天皇の皇子として生まれた大日本根子彦国牽尊は19歳で皇太子となり40年後に孝元天皇崩御に際して孝元天皇として即位し都を軽の境原宮に移した。欝色謎命を皇后として大彦命や稚日本根子彦大日日尊(後の開花天皇)を産んだ。 また妃・伊香色謎命との間に彦太忍信命(武内宿禰の祖父)をもうけている。

 

開花天皇(春日川坂上陵)

 孝元天皇の皇子として生まれた稚日本根子彦大日日尊は16歳で皇太子になり35年後に開花天皇として即位した。都を率川宮に移した。孝元天皇の妃であった伊香色謎命を皇后とし後の崇神天皇である御間城入彦を産む。これより先、天皇は丹波の竹野媛を妃とし、彦湯産隅命をもうけます。次の妃、和邇臣の遠祖・姥津姫は、彦坐王をもうけます。

 

      ┏  玉櫛媛(溝橛媛)                
 溝橛耳神 ┣   五十鈴依媛命   渟名底仲媛命┏天豊津媛命
      ┣ 媛蹈鞴五十鈴媛┗━━━━┓ ┣息石耳命┣5孝昭天皇(観松彦香殖稲尊)
      ┃(富登多々良須々岐比売命) ┃ ┣4懿徳天皇(大日本彦耜友尊)┃┃┃
 天照大神 事代主     ┣ 神八井耳命 ┃ ┣磯城津彦命        ┃┃大井媛
    ┣  オオクニヌシ      ┃      ┣3安寧天皇(磯城彦玉手看尊)  ┃┃ 
      ┣  加夜臣奈留美 ┣ 2綏靖天皇(渟名川耳尊)━┓━━━━━━━┛┃
  スサノオノミコト            ┣ 岐須耳命  ┃ ┃      ┃┃      渟名城津媛
     鵜葺草葺不合命┣ 吾平津媛  ┛糸織姫   ┃┃
                  ┣1神武天皇(磐余彦)       x ┃
                  ┣五瀬命,稲飯命,三毛入野命    ┃┃
                玉依姫命┣ 手研耳命        ━┛┃
                    吾平津姫(日向)          ┃
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 
 ┃ 長髄彦(ナガスネヒコ)              埴安媛(河内青玉繋娘)
 ┃       ┏押媛命                 ┣武埴安彦命
 ┃        ┃  ┣大吉備諸進命                ┃伊香色謎命
  ┣天足彦国押人命┣7孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊)┣彦太忍信命(武内宿禰の祖父)
 
 ┣6孝安天皇(日本足彦国押人尊)┃     ┣8孝元天皇(大日本根子彦国牽尊) 
 世襲足媛
  ┃┃        ┃   細媛命┣大彦命
        ┃長媛  ━━━━┛      ┣9開花天皇(稚日本根子彦大日日尊)
       五十坂媛 ┃           ┣迹迹姫命┃┃┣彦湯産隅命
            ┣倭迹稚屋姫命 欝色謎命(出石心命孫┃┃竹野媛
            ┣倭迹迹姫命                ┃姥津姫━彦巫王 
            ┣吉備津彦命           ┣10崇神天皇(御間城入彦)
  
         
欝色謎命(倭国香媛)       伊香色謎命

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