名古屋・清洲城址 犬山城 の次は西へ10kmほどいったところの清水山麓にある彦坐王(日子坐命)の墓・陵墓参考地である。 彦坐王は開化天皇の皇子で狭穂姫命の父であるから、是非とも行ってみたいと思っていた処でした。 夜麻登登母母曾毘売命(倭迹迹日百襲姫命)は備前の古都村の浦間茶臼山古墳に葬られたとし、岡山神社に祭られています。 第7代孝霊天皇の三人の子は箸墓古墳、中山茶臼山古墳、浦間茶臼山古墳という同様の形状の墓で一致を見ることができます。 夜麻登登母母曾毘売命は崇神天皇の代理をし、対外的な交渉は夜麻登登母母曾毘売命を通じて卑弥呼が行い、岡山県の古都の少し北のところに天皇一族が住んでいた、と魏志倭人伝は書いているとも読めるのだそうです。 開化天皇崩御の後に、ほどなくして 夜麻登登母母曾毘売命もなくなられたと推察します。 卑弥呼は、そのうちに、魏の国の玖賀耳之御笠の人質となります。この卑弥呼を助けるために、邪馬台国にいた崇神天皇の弟の日子坐王(彦坐王)が、玖賀耳之御笠を征伐します。 しかし、その前に卑弥呼は自殺を強要されて亡くなり、崇神天皇は、箸墓に古墳を造ることになります。 まず、開化天皇の墓を春日の伊邪河の坂の上につくり、 卑弥呼の墓を巻向遺跡の真中に建造したようです。 一方、孝元天皇は、河内青玉の娘・埴安媛と結婚して、建波邇夜須毘古命(武埴安彦命)を生みます。 建波邇夜須毘古命は中国人に味方をして、崇神天皇に反逆したことが古事記に書かれています。 建波邇夜須毘古命は、山城町を攻撃し、妻・吾田媛には河内から奈良を攻めさせます。 二人とも殺されますが、椿井大塚古墳と黒塚古墳の両古墳とも、30枚を越える三角縁神獣鏡が出土したことから二人の墓なのではないかと考えられています。 丹波に関係する人物で開花天皇の皇子・彦坐王というのがいる。竹野神社の祭神である。大和の春日出身の大闇見戸売との間に狭穂姫命、狭穂彦をもうけ、狭穂姫命は垂仁天皇の妃となっているが、兄の狭穂彦の反乱にさいして兄がこもる稲城に入って命を落としている。 この彦坐王の子供が丹波道主王であり、四道将軍のひとりとして丹波を制圧した。彦坐王の末裔として、治田連、軽我孫、鴨県主、日下部氏など多くを輩出していて、日下部氏が最も有力であったとしている。 ここでは日本書紀での記載「彦坐王」としたが、古事記では「日子坐王」 、つまり 「太陽の子であらせられる王」 という意味になることから注目される存在であったとみられる。 日下部氏も「ひのもと」 の意味があったために有力氏族と考えられていたことが伺える。 持統天皇がこよなく愛し、次期天皇に据えるために大津皇子を謀反の罪にまで陥れた息子に草壁皇子がいる。 草壁皇子も日下部皇子の意味があったのだろう。
┏ 玉櫛媛(溝橛媛)
溝橛耳神 ┣ 五十鈴依媛命 渟名底仲媛命┏天豊津媛命
┣ 媛蹈鞴五十鈴媛┗━━━━┓ ┣息石耳命┣5孝昭天皇(観松彦香殖稲尊)
┃(富登多々良須々岐比売命) ┃ ┣4懿徳天皇(大日本彦耜友尊)┃┃┃
大物主命 ┣ 神八井耳命 ┃ ┃ ┃┃大井媛
天照大神 (事代主神)┃ ┗・・太安万侶 ┃ ┣磯城津彦命 ┃┃
┣大国主┛ ┣ 日子八井命 ┣3安寧天皇(磯城彦玉手看尊) ┃┃
┣加夜臣奈留美┣ 2綏靖天皇(渟名川耳尊) ━┓┏━━━━━━━┛┃
スサノオノミコト ┣ 岐須耳命 ┃ ┃ ┃┃ 渟名城津媛
鵜葺草葺不合命┣ 吾平津媛 ┛糸織姫 ┃┃
┣1神武天皇(磐余彦) x ┃
┣五瀬命,稲飯命,三毛入野命 ┃┃
玉依姫命┣ 手研耳命 ━┛┃
吾平津姫(日向) ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃ 長髄彦(ナガスネヒコ) 埴安媛(河内青玉繋娘)
┃ ┏押媛命 ┣武埴安彦命
┃ ┃ ┣大吉備諸進命 ┃伊香色謎命
┣天足彦国押人命┣7孝霊天皇(大日本根子彦太瓊尊)┃┣彦太忍信命(武内宿禰の祖父)
┣6孝安天皇(日本足彦国押人尊)┃ ┣8孝元天皇(大日本根子彦国牽尊)
世襲足媛 ┃┃ ┃ 細媛命┣大彦命
┃長媛 ┏━━━━┛ ┣9開花天皇(稚日本根子彦大日日尊)
五十坂媛 ┃ ┣迹迹姫命┃┃┣彦湯産隅命
┃ ┃ ┃┃┃ ┗大筒木垂根王(山背)
┣倭迹稚屋姫命 欝色謎命(出石心命孫┃┃竹野媛 ┗迦具夜比売
┣倭迹迹姫命 ┃┃山代之荏名津比売
┃ ┃┃ ┣-
┃ ┃┣彦巫王
┃ ┃┃ ┣狭穂姫命、狭穂彦
┃ ┃┃大闇見戸売(大和の春日出身)
┃ ┃姥津姫(和爾氏)
┣吉備津彦命 ┣10崇神天皇(御間城入彦)
欝色謎命(倭国香媛) 伊香色謎命