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新陽明門院・笠間山陵

2007年10月26日 | 陵 古墳 墓 遺跡

新陽明門院・笠間山陵

 新陽明門院・笠間山陵は、奈良桜井と榛原の中央の岳山(長谷寺から正面に大きく見える525.5mの山)の中腹にあります。165号線を走っていると、すぐに見つけることが出来ます。 今回はかの有名な長谷寺へいったついでにこの陵に立ち寄ってみました。 この陵に眠っているのは第97代後村上天皇の中宮・源顕子こと新陽明門院(嘉喜門院ともいう。藤原勝子?-?が嘉喜門院との説のほうが有力)です。 因みに新陽明門院といえば、亀山天皇妃で関白基平の娘・近衛位子(1262~1296)もおりますが、ここで紹介する御方では御座いません。   後村上天皇には藤原勝子との間に寛成親王(第98代長慶天皇)、煕成親王(第99代後亀山天皇)を輩出しています。 そういった状況の中で、源顕子を中宮として向かえて坊雲、憲子内親王を設けていますが、中宮源顕子とその子の坊雲は、世を避けて陽雲寺雲上庵に閑居したと云います。

 1333年、後醍醐天皇の第8皇子・義良親王(当時5歳。後の後村上天皇) は、後に中宮となる顕子の父北畠親房と兄顕家に奉じられて東北鎮定のため奥州へ下向し、翌年の建武元年(1334年)、親王宣下。建武新政が瓦解した後、延元三年(1338)秋、東国経営のため再び親房ほかと共に船団を組んで出航したが、暴風に遭って義良親王の船は伊勢に漂着、その後吉野に帰還します。 同四年(1339)三月、父帝の皇太子となると、 同年八月十五日、践祚。時に十二歳でした。 正平三年(1348)正月、高師直らに吉野行宮を攻められて賀名生(あのう)に遷居。同六年、足利氏の内訌により尊氏が南朝に和議を申し入れると、翌年、南朝軍は京都を占拠。 後村上天皇は男山(八幡山)に出陣して光厳院・光明院・崇光院を捕えたが、入京を目前にして事態は急変、足利軍に京都を奪回され、結局賀名生に還幸となります。 同九年十月、河内天野山に遷幸し、金剛寺を行宮とする。 同十四年十二月、天野行宮を侵され、観心寺(大阪府河内長野市寺元)に遷御。 翌年九月、さらに摂津住吉の行宮に遷った。正平二十三年(1368)三月十一日、住吉行宮にて41歳で崩御し、河内観心寺に葬られている。陵墓は同寺境内の檜尾陵。

新陽明門院・笠間山陵(撮影:クロウ)

 

 

 

     (持明院統:足利氏が京都に擁立 北朝)━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
                                    藤原立子(東一条院)    ┃
                         修明門院藤原重子 ┣85仲恭天皇      ┃
憲仁親王80代高倉天皇1161-1181        ┣84順徳天皇         ┃
         ┃ ┣高成親王(82代後鳥羽天皇)1180-1239    平棟子      ┃     
         ┃ ┣守貞親王(後高倉院)1179-1223 ┣83土御門天皇┣宗尊親王   ┃ 
       ┃ ┃  ┣86後堀河天皇1212-1234 ┃  ┣88後嵯峨天皇     ┃
       ┃ ┃  ┃ ┣87四条天皇    ┃源通子   ┃┣89後深草天皇
       ┃ ┃  ┃ 藤原竴子       ┃      ┃┣90亀山天皇━┓
         ┃ ┃北白河院・藤原陳子     承明門院源在子 ┃西園寺姞子  ┃
         ┃ ┃持明院基家┛                          ┃            ┃
         ┃藤原殖子(七条院)               ┣宗尊親王    ┃

          ┣言仁親王トキヒト(81代安徳天皇1178-1185)     平棟子       ┃
       徳子1155-1214(建礼門院)                       ┃

 ┏━(大覚寺統:吉野朝廷 南朝)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┃                                不明 
 ┃     姈子内親王(1270-1307)後深草皇女(遊義門院)         ┣海門承朝
90亀山天皇1249-1305┣-             阿野廉子  藤原勝子 ┣世泰親王
  ┣世仁親王(後宇多天皇)1267-1324       ┣成良親王  ┣98長慶天皇
 洞院(藤原)佶子┃┣邦治親王(後二条天皇)1285-1308┣恒良親王  ┣99後亀山天皇       
 1245-1272   ┃堀河(源)基子 ┣-        ┣義良親王(後村上)1328-1368      
 (京極院)   ┃(西華門院) 藤原(徳大寺)忻子  ┣祥子内親王 ┣憲子内親王(新宣陽門院)(1343?-1391)
            ┃                ┃      ┣坊雲
        ┣尊治親王 (96後醍醐天皇) 1288-1339     源顕子?-1359
     藤原忠子 ┣懽子内親王       ┃┃┣護良親王1308-1335         
     西園寺実兼┃(光厳上皇妃、宣政門院) ┃┃源師親娘 
         ┣西園寺禧子(礼成門院)   ┃┣尊良親王
         ┣左大臣公衡        ┃┣宗良親王  
         ┣太政大臣兼季       ┃二条為子
         ┣西園寺金章子   藤原実俊┣世良親王
         ┗西園寺瑛子       ┃┣静尊法親王
                      ┗遊義院一条局

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