がんぶつそうし:モノをもてあそんで志を失うこと
日経の5/31日曜日の美術記事にこの言葉が出てくる。
中国清朝の景徳鎮窯が超絶の技巧を極めた後に衰亡への道をたどる様子を
描いた内容だったが、少々ゾクッとしてしまった。
官窯である景徳鎮は、こぞって北宋青磁をはじめとする古名品を、
忠実に それ以上に再現することに熱中し、
一方で、人を喜ばせるためだけに(この場合、皇帝ただ一人)
珍奇なものを 恐ろしい手間ひまをかけて作り上げたのです。
それらが意味したものは、もはや芸術的な挑戦でもなく ただの技術の誇示。
やっている本人が一番楽しいのですが、
本質を見失ったその先にあるものは衰退しかないのでしょう。
もし図書館かどこかでこの記事を見られるならば、
きれいな写真付きですので ぜひ読んでみて下さい。
後世になって振り返るとその様子がくっきりと浮かび上がってきますが
その時代その真っただ中にいる人間が、
自分の方向性の間違いに気付くのは容易ではないかもしれません。
私には当時の陶工のような技術のかけらも備わっていませんが
大なり小なりこの迷宮に迷い込む危険性とは
いつも隣り合わせのような気がします。
日経の5/31日曜日の美術記事にこの言葉が出てくる。
中国清朝の景徳鎮窯が超絶の技巧を極めた後に衰亡への道をたどる様子を
描いた内容だったが、少々ゾクッとしてしまった。
官窯である景徳鎮は、こぞって北宋青磁をはじめとする古名品を、
忠実に それ以上に再現することに熱中し、
一方で、人を喜ばせるためだけに(この場合、皇帝ただ一人)
珍奇なものを 恐ろしい手間ひまをかけて作り上げたのです。
それらが意味したものは、もはや芸術的な挑戦でもなく ただの技術の誇示。
やっている本人が一番楽しいのですが、
本質を見失ったその先にあるものは衰退しかないのでしょう。
もし図書館かどこかでこの記事を見られるならば、
きれいな写真付きですので ぜひ読んでみて下さい。
後世になって振り返るとその様子がくっきりと浮かび上がってきますが
その時代その真っただ中にいる人間が、
自分の方向性の間違いに気付くのは容易ではないかもしれません。
私には当時の陶工のような技術のかけらも備わっていませんが
大なり小なりこの迷宮に迷い込む危険性とは
いつも隣り合わせのような気がします。