前回訪問から約4ヶ月の間に、自分の中に何か進歩があったのかどうかを確かめたくて
一碗一碗、すべてにどんな茶器をあわせるか、考えました。
その茶器は、自分が作ることを大前提にしていますから、
再現しようのない個性を持った過去の大名品のいくつかはあえて除外しています。
使い手にとっては、合う合わないの好みの問題かもしれませんが
作り手にとっては、食うか食われるかの真剣勝負。
頭の中では、ありふれた茶器がことごとく敗れ去っていきます。
どの碗も あまりに強い個性を放っていますから、
隣に置いた瞬間 響きあうどころか呑み込まれてかすんでしまうのです。
個人的に思ったのが、この第二期の作品群には
真塗中棗、大棗は微妙に合わないということ。
そして、面取りしたり段を付けてみたり 細工をするのではなく、
また、オブジェのような形で張り合うのではなく
ひとつのかたまりとしてすっきりしたシルエットが必要なんだということ。
長い時間をかけて約9割の作品にひとつずつ、
これじゃないかというものをイメージしていきました。
その結果、3種類に絞り込めた気がします。
うちひとつは経験のあるもの。あと2つは木地の図面を一から検討しなければなりません。
全く案の浮かばなかったものもあり、勉強不足を痛感したのでした。
それでも、一年後かもっと先か、納得のいくものができたら
樂さんとお話ししてみたいと思います。
一碗一碗、すべてにどんな茶器をあわせるか、考えました。
その茶器は、自分が作ることを大前提にしていますから、
再現しようのない個性を持った過去の大名品のいくつかはあえて除外しています。
使い手にとっては、合う合わないの好みの問題かもしれませんが
作り手にとっては、食うか食われるかの真剣勝負。
頭の中では、ありふれた茶器がことごとく敗れ去っていきます。
どの碗も あまりに強い個性を放っていますから、
隣に置いた瞬間 響きあうどころか呑み込まれてかすんでしまうのです。
個人的に思ったのが、この第二期の作品群には
真塗中棗、大棗は微妙に合わないということ。
そして、面取りしたり段を付けてみたり 細工をするのではなく、
また、オブジェのような形で張り合うのではなく
ひとつのかたまりとしてすっきりしたシルエットが必要なんだということ。
長い時間をかけて約9割の作品にひとつずつ、
これじゃないかというものをイメージしていきました。
その結果、3種類に絞り込めた気がします。
うちひとつは経験のあるもの。あと2つは木地の図面を一から検討しなければなりません。
全く案の浮かばなかったものもあり、勉強不足を痛感したのでした。
それでも、一年後かもっと先か、納得のいくものができたら
樂さんとお話ししてみたいと思います。