うるしのまわり

   塗師の日々から

樂吉左衛門還暦記念展 第二期「個展「天問」以後今日まで」

2011-03-29 | うるしのまわり
前回訪問から約4ヶ月の間に、自分の中に何か進歩があったのかどうかを確かめたくて
一碗一碗、すべてにどんな茶器をあわせるか、考えました。
その茶器は、自分が作ることを大前提にしていますから、
再現しようのない個性を持った過去の大名品のいくつかはあえて除外しています。

使い手にとっては、合う合わないの好みの問題かもしれませんが
作り手にとっては、食うか食われるかの真剣勝負。
頭の中では、ありふれた茶器がことごとく敗れ去っていきます。
どの碗も あまりに強い個性を放っていますから、
隣に置いた瞬間 響きあうどころか呑み込まれてかすんでしまうのです。

個人的に思ったのが、この第二期の作品群には
真塗中棗、大棗は微妙に合わないということ。
そして、面取りしたり段を付けてみたり 細工をするのではなく、
また、オブジェのような形で張り合うのではなく
ひとつのかたまりとしてすっきりしたシルエットが必要なんだということ。

長い時間をかけて約9割の作品にひとつずつ、
これじゃないかというものをイメージしていきました。
その結果、3種類に絞り込めた気がします。
うちひとつは経験のあるもの。あと2つは木地の図面を一から検討しなければなりません。

全く案の浮かばなかったものもあり、勉強不足を痛感したのでした。
それでも、一年後かもっと先か、納得のいくものができたら
樂さんとお話ししてみたいと思います。
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樂吉左衛門還暦記念展

2010-10-29 | うつわ雑感
樂美術館へ還暦記念展の第一期「襲名から個展「天問」まで」を見に行ってきました。
樂さん17歳の初作から1990年までの代表作が並んでいます。

若い頃からの茶碗を順々に見ていくと
ある時点の作品から、心臓を軽くキュッとつかまれるような感覚に襲われたのです。

何なんでしょうねぇ。
感激でもなく闘志でもなく、ちょっと不思議な感覚が最後まで続きました。

基本的に、樂さんの作品は好きです。
茶陶展なんかを見に行くと、
自分ならどんな茶器を作って取り合わせるかということをよく考えます。
しかし、今回は何となく はじめから考えないことにしていました。

満足いくまで見た後、時間をさかのぼるように逆に見ていくと
ドキドキ前と後の境で ふと言葉が浮かんできたのです。
「まだ、早い」

自分がこれだ!というものを作ってぶつけるにはまだ力不足だって
センサーが感じたのかもしれませんね。。
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納得

2010-10-25 | うるしのまわり
最近訪れた私の好きな作家 NさんAさんの個展で伺った話の中で
共通していたものづくりへの姿勢。

 個性を出すために、自分の存在をアピールするために
 何かをプラスしてプラスして目立つものを作るのではない。

 本質は一見なんでもないような,何もしていないような仕事の中に
 動かしがたい存在感として、生命力として現れる。


飾り立てたり、変わったことをしないと注目してもらえない現実の中で
みんなこうしてるけど、原点に立ち返るとどうなんだ?と
自らに問いかける芯の強さ。
見習いたいです。




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京都の棗 その4

2010-09-09 | うるしのまわり
その昔、千利休は棗について
あまりにきれいにつくり過ぎると面白くない(茶味がない)といい、
「棗は漆の滓(かす)をまぜて ざっと塗れ」と言い残したとされています。

それがどの程度の「ざっくり加減」なのかは正直なところわかりませんが
味わいがなければつまらないことだけは確かでしょう。

ただ、利休がこう言ったから、ということを
きれいにつくれないことの口実にはしません。

木地を吟味し、しっかりと下地をし、吟味しながら丁寧に研ぎ上げる。。
「吟味」という言葉に尽きるのかもしれませんね。

しかし、手間を掛けた分 それなりのお値段になってしまうのは致し方ないこと。
そのくせ技術が未熟で 高かろう悪かろうでは元も子もないですよね。

京都の棗の影がすっかり薄くなってしまったのは
ひとえに京都の怠慢、おごり、努力不足。
他産地のせいなんかじゃない。

このお話の最初にも少し触れましたが、大事なのは、選択ができる多様性です。
手頃なのもある、シャープなものもある、やさしいものもある、豪華なものもある、
そして味のあるものもある。

そのためにも、徒手でつくる人間がいなくなってはいけないのです。
そしてまだ京都にはそれができます。
でも、京都のぬりものだからといってみんながありがたがってくれる時代は
二十年以上前に終わったと思っています。

歯を食いしばってでも伝えるべきものは伝える。
その気概を持った若手は何人もいますので、茶道具の世界における選択肢の一つとして
あらためて名乗りを上げる日が来ることを楽しみにしていただけたら幸いです。



<関連記事>
受け継ぐことその1その2その3その4
美意識の集積
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京都の棗 その3

2010-08-23 | うるしのまわり
お盆を挟んで更新に間が開いてしまいました。

前回の最後に、ロクロで研いで作った棗は美しいと思えないということを書きました。
ちょっと乱暴な言い方でしたね。

世の中には蒔絵師さんや作家さんの手によって
上品で素敵な棗が数多く生み出されています。
そのところにおいて私はなんら疑問はありません。

ここでは、品と格というものを分けて考えたいと思います。

上品、品の良さはとても大事です。

一方で、格、風格、古格の有無も見逃せません。
ごくごくシンプルな姿でありながら、
そこにあるだけで場の空気が変わるような、重量感を意識させるような、
まるで意志を持っているかのような、緊張感のある力強い姿。
蒔絵が入っていても、黒漆一色でも、まとう衣を選ばない美しさ。

棗なんて、お点前で抹茶を入れておく容器に過ぎません。
だから、棗と呼ばれる形をしていて、
きちんとうるしで作られて きっちり塗りが施されていれば、いいのです。

でも、それだけで満足しないのが人間というものでしょう。

利休の頃の棗の名品のあの厳しい姿。。
ブランドに惑わされて贔屓目に見ているのかもしれません。
でも、現代の棗の姿のなんとやさしいことか。。

現在、棗の下地から仕上がりまで一貫して作っている人はかなり少ないです。
もちろん分業制が基本ですから当然といえば当然。
また、コストの問題もありますからロクロを利用して企業努力をするのも当然。
そうなれば徒手で作る人間が絶滅危惧種になるのも自然の流れ。

実は、自分もそんな絶滅危惧種の一員であることの危機感から
この話を始めたわけではありません。

どうもこのところ、商品としての棗の価値基準が
「上塗りは完璧でないとアウト」ということに極端に偏っているようなのです。
これが、京都の業界でもちょっとした問題になっています。

きれいに仕上げるために上塗りするのですから、
何がおかしいの?と思われるかもしれません。
しかし、人間が刷毛で塗っているのですから、刷毛を通した跡が
ごくわずかなうねりとなって残ることがあります。
吹付け塗装のようにはいきません。
また、目立たないところにごく小さなホコリが一粒が残っていることもあります。
それらが全て返品されて戻ってくるというのです。
しかも、返品の理由が、それだけ。

え?それの何が問題なの??
だったら完璧に塗る努力をすればいいだけじゃないの?
と疑問に思われても仕方ありません。

解決策として、回転風呂を導入すれば様々なことがクリアできます。

でも、棗ってそういうものだっけ?
どちらかといえば枝葉末節のことでダメ出しをもらっている印象です。

しかし、売り手 使い手がそちらに重きを置いているのだとすれば
こちらからも思いを発信しなければならないと考えています。
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京都の棗 その2

2010-08-01 | うるしのまわり
前回は話がそれましたが、文明の利器を活用すること自体に何か問題があるとは思いません。

うるしの作業工程だと皆さんにあまり馴染みがないかもしれませんので
陶芸を例に挙げるとよくわかると思います。
プロが使うのはほぼ確実に電動のロクロ。そして電気窯かガス窯。
その対極は、足で蹴って回す蹴ロクロ(けろくろ)と薪窯でしょう。
あくまでこれは 何を選択するか、何をつくり、何を目指したいかの問題です。
薪で焼成する窯などは、ある意味で恵まれた人しか選択できませんが
表面上は真偽と別問題です。

うるしにおける真空ポンプは、器物をコンプレッサーの力で器具に吸い付け
回転させながら下地を付けたり研いでいくための助けとなるものです。
電動ロクロは下地や塗面を研いで整える作業で使います。
人によってはうるしを刷毛で塗る時にも活用します。
同心円のラインがいとも簡単にできてしまうのは、非常に羨ましくもあります。

回転風呂はうるしを最後に上塗りして乾燥させる際に使います。
上塗りはある程度厚めにふっくらと塗って仕上げます。
固まるまでにうるしが垂れてしまうと具合の悪いことになるので、
乾燥途中何分かおきに器物を天地ひっくり返して何とか面倒を見ますが
しょっちゅう乾燥空間(風呂もしくはムロ)の扉を開け閉めしていると
ホコリが付いたり余計なところを触ってしまったりします。
回転風呂を導入すれば自動的に器物の向きを変えてくれるので
うるしが垂れる心配もホコリが付く心配もなく大量の品物を塗ることができるのです。

これらが作業の効率化とコスト削減に果たした役割は限りなく大きいです。
お椀を例にとっても
ケヤキなどの木材を挽いた木地を漆で固め、縁などに麻布を貼って補強し
うるし下地を何層にも重ね、研ぎ上げて、塗りを重ねて仕上げる。。
一連の作業が、徒手のわずか数分の一の労力でできるようになりました。
これにより、高品質の一生ものの塗椀が、作家ものでも15000円以内で供給できるのです。

これほど便利なものを活用しないのは どうかしていると思われるかもしれません。
先に申し上げた通り、これはあくまで何を目指すのかの問題です。

どんな分野であれ、同じ作業をしていても駆け出しとベテランでは
その目に見えている世界が違います。
また、便利な道具がその人の目をふさいでしまうこともあります。

たまたま自分が学んできたこと、そこで見えた何か大事なもの、
それは自らがよって立つ柱として 大切にしていいと思うのです。

そうすると、私の好きな棗に関していえば
ロクロを使用してつくられたものは数あれど、
これは美しいと思えるものに まだ出会っていないのです。

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京都の棗 その1

2010-07-25 | うるしのまわり
今日現在、茶道の茶入である「棗」を木地の状態から
一切の動力源を使わずにつくっている作家なり職人はどれだけいるのでしょうか?
ここで言う動力源とは、真空ポンプ、電動ろくろ、上塗り乾燥用の回転風呂のことを指します。

はじめに断っておきますが、徒手がホンモノで 文明の利器を使うのは邪道だなどという
狭量な意見を展開するものではありません。

いきなり余談になりますが、たまに、自分のところの商品はいかにホンモノで
他所のものはいかにロクでもないかということを声高に述べ立てる
唯我独尊としか言い様のない文章を目にすることがあります。
学生ならまだしも、何代目かの跡取りが多いですね。

こだわるなら、とことんこだわれよ。大賛成。
いいもの、いい仕事はきちんと残していくべきだから。
ただ、自分の父親や先祖が御膳立てしてくれた土台の上で仕事させてもらっているなら、
もうちょっと謙虚であってもいいんじゃないかな。
差別化表現も唯我独尊まで来ると、ただ各方面に迷惑なだけである。

確かに、自分も含めて人は易きに流れやすいし
声の大きい者、資金力のある者の都合がいいように制度が歪められていくことがある。
まともに仕事をしていてはどうしようもなくなって
漆をやめることが最良の選択になってしまう。。
そんな現状に怒りや危機感を覚えるのはもっともです。

欧米であれば、自分が、そして自分の仕事がいかに素晴しいか
他人を押しのけてでも主張しないといけない文化なのは分かります。
ここは日本なのだからなどと言っていても未来はないでしょう。

この余談の中で言いたいのは、
漆がここまで日常から乖離した現代において
生活の中で多くは要らないけど、ないと寂しいし味気ないなぁと多くの人に感じてもらえるように
小ぶりでもしっかり根を張ることを目指すのが大事だと思うのです。
そこでは漆は派手でもシックでもいい。
代々続けている仕事を、多様性の中の一つの有力な選択肢にして欲しいし
一つの憧れの存在であって欲しい。
それが跡取り達に対する 偽らざる願いです。

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会所の窓から

2010-07-19 | 身のまわり
祇園祭山鉾巡行の翌日、どの鉾町も一斉に解体をはじめます。
約束の朝7時前に現場へ行くと、すでに大勢の大工さんが作業を進めていました。
例年見知ったメンバーなのですが、今年は少しずつ若い人が加わって、
世代交代が始まっているのが分かります。

私たちの仕事は黒漆で塗られた部材のうち、人の目に触れる部分のクリーニングです。
会所となっている建物の2階で自分達の出番を待ちながら解体の様子を眺めていると
見学に来ている人たちの様子も目に入ってきます。
印象的だった光景を3つほどご紹介。

一眼レフを構えた愛好家が数人いるところから少し離れた場所で
フランス人とおぼしき紳士が自転車でやってきて、じっと眺めています。
時折ペットボトルで水分を補給しながら、作業が進む度にデジカメでパチリ、パチリ。
2時間以上、結局、誰よりも一番長く記録を取っていたように思います。

町内の子供だと思われる5、6歳の男の子も
友達か兄弟と一緒に現場周辺をチョロチョロしていました。
1人になったなぁと思ったら、ふと、道の真ん中に正座して山を見上げているではありませんか。
あぐらでも、足を投げ出すでもなく、正座。
神事であるということを分かっているんですよね。きっと。
「育ち」とか「教育」ってこういうところに現れるんだろうな。

解体も終盤の頃、日傘にワンピース姿の若奥様風の女性がスーッとやって来ました。
山の真下で大工さんに何か話し掛けています。
やがて縄の切れ端を一本いただいて、またスーッと帰っていきました。
山鉾は釘を一本も使わずに荒縄で部材を組む「縄がらみ」という手法で建てられますが
確か、その縄も厄除けのご利益があるといわれていたと思います。
みやこの暮らしの一端をのぞいた気がしました。
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巡行日和

2010-07-17 | うるしのまわり
昨日までの不安定な天気から一転、夏の強い陽射しが降り注いでいます。
このまま梅雨明けでしょうか。

今日は祇園祭の山鉾巡行。
ふとテレビをつけてみたら、京都テレビで生中継をしていました。
ちょうど先頭の長刀鉾が四条河原町での辻回しの最中。
そういえば数年前に、今日も鉾の中に積んでいるであろう小道具の箱を
ひとつ修理したことを思い出しました。

それから、とある山が籤(くじ)改めに使う籤箱を直したこともありました。
かなり古いもので、古い塗りの層の下に 今とは違う表記の「○○山」と描いてあったのが印象的でした。
解説の先生が、この巡行自体も昭和40年までは、
本当の主役である八坂神社のお神輿の往復(八坂さん~お旅所)の先触れとして
17日と24日の2回に分けて行われていたのですよとおっしゃっていたように
いろいろと歴史があるのでしょうね。

明日は早朝から南観音山の解体のお手伝いです。
はや18回目ですね。
今年は雨が多かったので、汚れ落とし・磨きはちょっと苦労しそうです。

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初 山中 その2

2010-07-10 | うるしのまわり
佐竹さんの工房を出てからは、山中の市街地までぶらぶら歩いて行くことにしました。
(坂道なんてないのに翌日足が筋肉痛に。日頃の運動不足にガク然。。。)
山中の町を貫いて流れる大聖寺川のきれいな景色を橋の上からのぞいてみたりしながら
いつか温泉に入りに来ようと思いました。

そして、この日のもう一つの目的は蒔絵師の谷口博山さんを訪ねることでした。
念願叶ってお邪魔した工房は、さすが明るくて整頓された仕事場でした。
いろいろなお話をする中で、すばらしいなぁと思ったことがいくつかありました。
とにかく職人さん達の意識が高い!(同業者比)

漆器業界は仕事が激減しているといわれて久しいですが、山中もその例に漏れません。
そんな中で、ただ手をこまねいていてはいけないと次々と行動を起こします。

一流の漆芸修復の専門家を招き、たった一度の講演ではなく
実物の美術品を多数使っての実践学習を集中的に行っています。

また、これまで分業が当たり前だった世界で(木地、下地、塗り、加飾)、
下記の公共施設を会場に互いの専門分野を学びあう講習会を定期的に開いていらっしゃるそうです。
何か新しいものを生み出そうとする きっかけを育てる試みに、
4、50代はもちろん、上は70代まで意欲的に加わっていらっしゃると聞き
感動してしまいました。

こういうことって、なかなかできそうでできないんですよね。

奥様に見送っていただいた後、
谷口さんに山中温泉の湯元・菊の湯に隣接されたホール「山中座」へ連れて行っていただきました。
平成14年にオープンした建物には格天井や柱、扉、そこかしこに
山中の工芸、挽きもの、塗り、蒔絵の装飾が贅沢に施され(贅沢だからといって下品じゃないです)、
職人集団としての山中の底力を見せていただきました。

また、普段は関係者しか入れない県立山中漆器産業技術センターもご厚意で案内していただきました。
この中には石川県挽物轆轤技術研修所も併設されているのですが、
圧巻の設備充実ぶりでした!!
それぞれ2年制の基礎コース、専門コースがあり、木地から塗りから加飾まで
ここにいたら何でもできてしまいます。ここで勉強できる人がうらやましい。。
特に ある程度下地や塗りができる人が、挽きものを中心に学び直したいという時には
最高の施設かも知れません。

ちょっと興奮を引きずったままの帰宅になりましたが、本当に山中へ行ってみて良かったです。
貴重なお時間を割いて下さった谷口さん、本当にありがとうございました。

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初 山中 その1

2010-07-09 | うるしのまわり
ぬりものの大産地、石川県の山中へ初めて行ってきました。
木地師 佐竹康宏さんの工房千樹へ親子3人展を見るためです。
幸い梅雨の晴れ間で、緑豊かな山間の町は気持ちのいい所でした。

工房へたどり着くと、先着していたお客さんと一緒に
まずは工房内を見学させていただきました。
木材の乾燥部屋からロクロの作業部屋、うるしの作業部屋まで
長男の功充(かつみ)さんの案内で拝見したのですが
工房の隅々にまで「真っ当な仕事をする」という意識が満ちていることが感じられました。

粗挽きした木地を燻して乾燥させる昔ながらの手法は
山中でもほとんど行われなくなってきているそうです。
なにも他の木地師が真っ当でないというのではありません。
乾燥手法の違いによる木材のわずかな感触の違いなどを身をもって理解した上で
うちでは「ここは絶対に譲れない」というものを数多く持ち続けている、
そういうことなんだと思います。

案内して下さった功充さんがこれまた明晰な好青年で、
名工のお父さん、弟の泰誌さんと共に
これからの家業を発展させていくのではないでしょうか。

展示は母屋の襖を外した広間が会場で
ていねいな拭漆とシンプルな塗りに彩られた作品が、ずらりと数えきれないほど並んでいました。
挽きものの各部位の形というのはそれぞれ呼応していて
美しい形というのは自然に決まってくるものという解説の通り
無理のない、過不足のない、手取りの軽い、ちょっと都会的な空気のある造形です。

約2年ぶりにお会いした佐竹さんにもご挨拶できました。
最終日でお疲れのところ長時間お邪魔し、
いろいろな話にもお付き合いいただきましてありがとうございました。
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細川護光 陶展 2010

2010-04-01 | お知らせ
今日、京都の桜が満開との発表がありました。
ぐずついた天気ですが、この週末はきっとお花見日和でしょう。

さて、来週のイベントですが
細川護光さんの個展のご案内が届きましたのでご紹介します。
京都のぎゃらりー思文閣での個展は今年で3回目。
信楽、唐津、粉引を中心に、ということで今年も拝見するのが楽しみです。

細川護光 陶展
平成22年4月10日(土)~18日(日)(会期中無休)
10:00~18:00

ぎゃらりー思文閣 東山区古門前通大和大路東入る
TEL:075-761-0001
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TASK卒業展

2010-02-06 | お知らせ
京都文化博物館にて、現在、京都伝統工芸大学校《通称「TASK」タスク》の
卒業修了制作展が開かれています。

縁あって昨年6月から蒔絵科2年生の実技講師を週1日務めてきました。
講師陣の一人として指導をしてきましたが
たった2年の積み重ねの結果としては信じられないくらいの作品が並んでいます。

まじめに作品と向き合う個性豊かな生徒たちとの7か月間は
トラブルに見舞われたり、作業をぐるっと巻き戻してやり直したり
作業の成功に喜びあったり、なんとも楽しい日々でした。

展示1週間前の最後の追い込みの途中で担当授業が終了してしまい
完成を見届けないままだったのですが、一世一代の晴れ舞台に、
それぞれ最高と言っていいくらいの仕上がりを見せてくれました。
それを示すように、学校全体の中で与えられる各賞を相当数いただいています。

締切に間に合うかどうかの不安の中で、よくぞ頑張ったなぁと感慨深いものがあります。
ひとえに生徒自身の努力、そしてベテランの先輩講師の的確な指導があっての結果です。

よく、作品には先生方の手が入っているんでしょう?と聞かれますが
プロ予備軍を育成する学校において、そんなことをしても本人のためになりませんので
生徒のありのままの力だと思って鑑賞して下さい。

会期は明日7日までですが、お近くへいらっしゃる御用がありましたら
ぜひ御覧下さい。

会場:京都文化博物館5階 (地下鉄 烏丸御池駅下車)
会期:2月7日(日)まで 午前10時~午後6時(7日は午後3時まで)
主催:京都伝統工芸大学校 HP

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引っ越しました

2009-12-31 | うるしのまわり
この年末のさなかに、新しい借家に引っ越しをしました。
昨日30日に旧居の明渡しを終え、段ボールの積み上がった新しい環境で書いています。
また今度も古い町家を改装した家です。


引っ越しの一番の理由は、数のあるものや少し大きな品物を扱うことが増えてきたことと
これまでの 狭さ故の効率の悪さを改善するためです。

陶芸も全く同じですが、漆芸も設備こそがモノを言うことは間違いありません。

 作業スペースは物どうしがぶつからない程度に広く、
 仕事内容によって他の作業に影響が出ないようにブースを変えられ
 仕掛かり品の保管場所が手近にあるか。
 そこに、工夫の詰まった道具や設備類が揃っているか。

たったそれだけのことですが、これがなかなかどうして うまく整わないものなんです。
地方から都市に出て来て 一代で仕事を始める人間の宿命ですが
だからこそ同じような境遇の若い人にはこの経験を伝えていけたらなぁと思っています。

こと 漆芸に関しては陶芸と違って仕事のサイクルもペースもかなり回転が遅いので
なかなか機敏に動くことが難しい工芸です。

どんなお商売でも、最初は小さく始めるのが基本かもしれませんが
あえて、交通の便を犠牲にしても、居住スペースがかなり狭くなってでも
自分の工房を立ち上げる時には 少しでも広く工房を確保して下さい。
はじめはガランとしても、いつか必ず発展の役に立つでしょう。

これまで4畳半だと思っていた工房は、
掃除をしてみるとわずか4畳しかなかったことにビックリ。
今度は倍くらいに広がりましたので、
もうちょっと仕事のスピードがアップするはず(?)と考えています。
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「根来」私感

2009-12-11 | うるしのまわり
大倉集古館へ根来展を観に行ってきました。
根来の美というのは、漆芸を志す者にとっての憧れのひとつというか
無視できない大きな存在です。

紀州の根来寺でつくられた朱塗りの器群を筆頭に、平安~桃山期に寺社で使われた
厳かで気品のある 力強い造形のぬりものです。
そして、実際に使われる中で朱塗りが少しずつ擦れてはげていき、
下塗りの黒漆が見えているその様子が えも言われぬ景色となっています。
遥かな時の流れと人間の営みを感じさせてくれる名品たちです。

現在のつくり手が手掛けている根来(風)の品物は、
はじめから朱塗りを研いで黒漆を見せていますので、
人為的なものとしてやはり低く見られがちです。
何百年という時間がうるしの塗膜に与える作用には
どう逆立ちしてもかなわないかもしれません。

さて、会場に並ぶ作品を観て「是非行くべきだ!」と勧めて下さって方達の
感動がひしひしと伝わってきました。
まさに古格。それでいて軽やか。実に面白い。
行って良かったと思います。

そして、ここからが本題なのですが、
「根来=作為のない用の美」という図式は本当にそうなのでしょうか?
細かく丹念に見れば見るほど、私には「加工」のあとが見えてきてしまうのです。

昔から大事にされてきた品物ですから修理痕もあります。
それはそれとしてわかるのですが、
「使って、洗って、拭いて、しまって、また出す」という一連の営みは
什器としても、のちの茶道具としての利用であっても基本は変わりません。
その動きの中ではあり得ない朱のはげ方、古び方をしていてはいけないはず。

お寺では食事も修行のうちと聞きます。
そこで使っている食器をきれいに洗って拭わずにおくでしょうか?
また、廃寺となって長い間放置されてきたのならともかくとして
普段、煮炊きのススをかぶったままにしておくでしょうか?

あるいはお坊さん、雲水さん達が朱漆のはげ方を競うように
無理矢理に近く 拭きまくったらあんな表情になるでしょうか?
いやいや、朱塗りの塗膜の強さを馬鹿にしちゃいけません。
もし30年間拭き続けたら、まず先に器の角がトロトロに丸まって
木地や下地の布が見えてしまいます。

そして、5枚組のお盆やお膳は、
同じような調子で朱塗りがはげていくものでしょうか?
そこまではげるなら、朱だけでなく黒漆の層も一緒にはげ落ちたりする
個体差があるのが自然というものです。
花入や香炉、陶器をのせる面や重ね置きで触れあう部分ならともかく
側面や内ワキ面までもが見事にはげていますね。

しっかり朱塗りの層を削り落とすには
木炭か砂(金剛砂や研磨用の粉)を使うしかありません。
その証拠に大半の品物の朱漆のはげ方は
「はがれた(剥離した)」のではなく「研ぎおろされ」ているのです。
朱と黒の境目を見れば一目瞭然です。

ただし、これは看板に偽り有りと告発する問題提起ではありません。
この程度のことを先人や研究者が気付かないわけがない。
なのに、なぜ通説が通説のままで今日に至っているのかが不思議です。

では、何のためにわざわざ朱漆を研ぐのでしょう?

これは仮説ですが、
製作当時からさほど経っていない時期に
大事に使ってきた器の朱漆が やけてしまったり傷が付いたり
一部はがれたため見栄えが悪くなってしまったとします。

修理や塗り直しのために塗膜を研ぎおろしていたら
その人は途中で 朱と黒のコントラストが
思いがけず美しい景色をつくっていることに気付いてしまったのかもしれません。

唐物のお盆などで 朱がはがれ落ちて黒がのぞいているのを
味わいのある景色として珍重されていることを知っていた彼は塗り直しをやめて、
簡単な手当と堆朱で使われている古色付けの加工をして
新たに美術品として生まれ変わらせることに成功したのではないでしょうか。
もちろんそこに目利きや指導者がいたかもしれません。

そう考えれば、根来は偶然から生まれた「変り塗の一種」ともいえるのです。
そしてそれが小さく流行したというのも考えられます。
自分でつくっていてもわかるのですが、
朱一色ではどうにもつまらないというケースがあるのです。

では、加工がなされたのは いつか?
ものによって違いますが、ヒビの入り方などの表面の状態から
明治以降ではなさそうだなぁというものや、いつでも可能だったものもあり、
それぞれの品物の来歴を知らない私には全く分かりません。

加工があったとすれば、それは
面白いもの、美しいものを求める純粋な心か、道具好きの遊び心か
はたまた入手した朱塗りの品をより高く売らんがための「神の手」か。。
真相はもう誰にも分からないのかもしれません。

今回並んでいるものの大半に人為的な古色付けがなされていると推定できるのに
なぜこれまで根来は無作為の美と賞賛されてきたのか、その疑問は残るのですが
とにもかくにも
「美しいものを観た!!」という満足感は 充分過ぎるほど得られたのです。

だからこそ、これからは
 「 根来 = 自然と作為、善意と欲とが生み出した 偉大なオブジェ群 」

と捉えるべきなのかもしれないと思うのですが いかがでしょうか。
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