
近江八幡を訪ねたのは、過去2回ほど。
最初は日帰りバス旅行だった。
たしか、大きな神社にバスを停めて、瓦ミュージアムの見学と少しの間の散策だった。今でも、その時作った瓦粘土の作品?を家に飾っている。
二度目は西国参りで。
お寺のことよりも、昼食を食べた琵琶湖の見えるフランス料理の店のこと、それと、息子と琵琶湖へつながる水路でバス釣りをしたことの方がよく覚えている。
この町の歴史は、
「1582年本能寺の変により、織田信長が自害すると、安土城も灰燼に帰しました。
そして、豊臣秀吉が天下をとると、近江の地には弟の秀次を配しました。
秀次は安土からもほど近い、八幡山に城を築きます。
廃城となった安土城の城下町を八幡山城下に移し、新たな城下町を形成しました。
そして楽市楽座の自由商業都市を奨励し栄えた街です。
また、城の周りに築かれた水堀は、商業輸送にも使えるように考えてつくられました。
これらのことが、近江商人が活躍する地盤になったと考えられます。」とあった。
ゆっくり舟で掘めぐりをしたかった・・・
最初は日帰りバス旅行だった。
たしか、大きな神社にバスを停めて、瓦ミュージアムの見学と少しの間の散策だった。今でも、その時作った瓦粘土の作品?を家に飾っている。
二度目は西国参りで。
お寺のことよりも、昼食を食べた琵琶湖の見えるフランス料理の店のこと、それと、息子と琵琶湖へつながる水路でバス釣りをしたことの方がよく覚えている。
この町の歴史は、
「1582年本能寺の変により、織田信長が自害すると、安土城も灰燼に帰しました。
そして、豊臣秀吉が天下をとると、近江の地には弟の秀次を配しました。
秀次は安土からもほど近い、八幡山に城を築きます。
廃城となった安土城の城下町を八幡山城下に移し、新たな城下町を形成しました。
そして楽市楽座の自由商業都市を奨励し栄えた街です。
また、城の周りに築かれた水堀は、商業輸送にも使えるように考えてつくられました。
これらのことが、近江商人が活躍する地盤になったと考えられます。」とあった。
ゆっくり舟で掘めぐりをしたかった・・・
ここのお祭りが勇壮で、お猿の好きなオイラは申年のお祭りを見に行きました。
門の屋根の上でお猿さんが守っているのも忘れてはいけません!
境内にある「たねや」と「クラブハリエ」も有名ですよね。
船巡りもおすすめですよ~♪
私も日牟禮八幡宮へ行きました。
>門の屋根の上でお猿さんが守っているのも・・・
この猿は飛騨の猿?奈良町の猿?
それとも全然違う猿ですか?