
長男の暮らす滋賀へ行くのに、私は“信楽越え”をする。
自宅を出て、名阪国道を東へ。
“伊賀上野”のお城を見ながらさらに東進。
毎年初詣に行く敢國神社のあるインターのその次のインターで下りて、信楽方面へ。
伊賀焼の看板をいくつか通過すると、その次は信楽・狸の焼き物の里である。せっかくだから今回も、いつもの店で“干支の置物”を購入した。
そこからが“信楽越え”。
数年前まではもの凄い山道だったのだが、第二名神高速道路の建設にともない、この山道もかなり良くなってきた。
片側は山を切った崖、反対側が急流流れる谷底で、車が対向するのに困るような箇所もいくつか残っているのだ。
昔々、この付近の山の木を切り出して平城京が出来たのだとか・・・
そのため長い間、木のない山になっていたのだという。
それが淀川の氾濫を招いたのだとか・・・
さらに先日、藤原京で運河の跡が発掘された。
藤原京の木もこの山の木だという仮説が新聞に載っていた。
この狭い山道を越えると、息子の暮らす街に着く。
我が子の顔を見るための、およそ90分間のドライブだ・・・
自宅を出て、名阪国道を東へ。
“伊賀上野”のお城を見ながらさらに東進。
毎年初詣に行く敢國神社のあるインターのその次のインターで下りて、信楽方面へ。
伊賀焼の看板をいくつか通過すると、その次は信楽・狸の焼き物の里である。せっかくだから今回も、いつもの店で“干支の置物”を購入した。
そこからが“信楽越え”。
数年前まではもの凄い山道だったのだが、第二名神高速道路の建設にともない、この山道もかなり良くなってきた。
片側は山を切った崖、反対側が急流流れる谷底で、車が対向するのに困るような箇所もいくつか残っているのだ。
昔々、この付近の山の木を切り出して平城京が出来たのだとか・・・
そのため長い間、木のない山になっていたのだという。
それが淀川の氾濫を招いたのだとか・・・
さらに先日、藤原京で運河の跡が発掘された。
藤原京の木もこの山の木だという仮説が新聞に載っていた。
この狭い山道を越えると、息子の暮らす街に着く。
我が子の顔を見るための、およそ90分間のドライブだ・・・
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