(その1からの続き)
結局、原典からして相当に微妙な話であることは間違いないと思うよ。
サン=テグジュペリは……プロの作家ではなかったんだと思う。と、他には「夜間飛行」しか
読んだことないわたしが言うのも非常にアレだが。
天性の詩人であったかもしれないが、プロとしての方法でこの作品を作ってはいない。
「大切なことは目に見えない」ということを言いたい話だとするなら、
小惑星群の話は、微妙に外れている気が。全く遠いわけじゃないけど。
キツネとバラのエピソードで充分な気がします。あと、ウワバミで話を始めるのは
少なくとも子供にはミスリードでした。
全体的に個々のパートの繋がりがすっきり感じられないので、何か不思議な話になってしまう。
むしろ不思議な雰囲気を漂わせているのが価値なのかもしれないが。
だがわたしは、子供が読むものならば、筋道がすっきりしたものを強固に求めたいので、
子供にこれを読ませるのは微妙にイヤかも。
(だから「千と千尋~」「ハウルの~」とかが大嫌い)
読み比べで確認したポイントは、読み進んでいくうちにだいたい次の5点に絞られた。
1.ねえ……さびしいときって入り日を見たく……
(44回椅子をひいて夕陽を見た時)
2.バラの花の言うことなんか聞いちゃいけなかった
(王子さまがバラと自分の関係に言及して)
3.一噛みでその(土地・大地)に返してやれる
(蛇と王子さまが最初に出会ったシーン)
4.apprivoiser
(キツネを“飼いならす”)
5.金色の小麦畑
(キツネの長台詞)
このうち、他の4点はわたしが個人的に反応した部分だけれども、
一般的に翻訳でもっとも焦点になるのは4らしい。以前そういうテレビ番組が作られていた。
このapprivoiserというのは相当にやっかいな単語のようだ。
キツネと王子さまの会話で、
「おれはあんたとは遊べないよ。apprivoiserされてないからな」
「apprivoiserって?」
「○○ってことだよ」
という流れになるのだが、
内藤訳:飼いならす→仲良くなる
池澤訳:飼いならす→絆をつくる
倉橋訳:仲良くなる→関係をつくる
川上・廿楽訳:馴染みになる→絆を結ぶ
三野訳:てなずける→絆をつくる
山崎訳:飼いならす→絆をつくる
小島訳:飼いならす→絆を創る
河野訳:なつく→絆を結ぶ
原語に忠実であれば「飼い馴らす」で決まり、らしい。
しかしキツネの台詞で「apprivoiserしてくれ!」というのがあるんだよね。
ここを原語に忠実に「飼い馴らしてくれ!」だと……わたしとしては絶対無理。
キツネって、喋っていることを聞いてると、非常に哲学者っぽい存在でしょう。
よく物がわかっているというか。そのキツネがそんな台詞を言うと、
……なんか特殊な性向の人がすがっているイメージが漂ってしまって……。
日本語で「(自分を)飼い馴らしてくれ!」とは絶対言えないと思う。
女王さまと奴隷ならいざ知らず。
不実な美女、あるいは貞淑なブス、というのも結局どちらに忠実なのか、という話だよね。
わたしは原語は全く視野に入らないので、日本語に対して忠実な方がずっと読みやすいよ。
……ただ、倉橋訳の「仲良くなる」は変。というのは特に問題なくコミュニケーションが
とれている王子さま、「仲良くなる」という言葉さえ知らないのは有り得ない。
「仲良くなる」の説明が「関係をつくる」では、説明の方が難しいぞ、ってところだし。
むしろ訳より、原典のキツネの台詞が問題なんだろうな。
あれだけ自分が見えている彼(キツネ)が、今さら「apprivoiserしてくれ!」っていうのは
ないんじゃない?あれだけの出会いで、金色の麦畑を愛せるようになる哲学者が、
そんなストレートな台詞で関係を求めるだろうか。
apprivoiserの仕方をレクチャーしている時点で、すでにapprivoiserされているんじゃないの?
この辺がプロの文脈ではないと言いたい点。それともわたしのわからないフランス的感性なのか。
蛇も変だと思う。(ポイント3に関連して)
王子さまは蛇と出会う。奴は足首に巻きついて脅す。土地・土に帰してやれると言う。
王子さまが弱々しいのでかわいそうだと言う。帰る手助けをしてやれると思うと言う。
でも、なぜ王子さまは一年後に蛇に会った時、奴を怖がっているの?
塀の上に避難しているの?前回は足首に巻きついても恐怖を見せなかった人が。
最初に会った時と一年後に会った時の態度が全然違う。なぜだ。
蛇の台詞で難しいところがあるんだ。
最初に会った時に王子さまは蛇に「どうして君はそんな謎めいた話し方をするの?」と訊く。
それに対して蛇は「謎はみんな俺が解くのさ」と返す。
この台詞の意味が。わからないよ、アントワーヌ。
蛇は死を司る運命の神。(キリスト教徒のサン=テグジュペリには無い概念か?)
それならば多数派の訳し方はだいぶ軽すぎる。蛇が剣呑ないたずら者として描かれているからね。
上記の訳者で、1人だけ――たしか山崎訳が「私は謎を解く者だ」と訳していたが、
蛇には荘重さが必要であるように思う。
ポイント3なんだけど、訳者によって訳し方がはっきり違う部分。
蛇が一噛みすることで、
「そいつが出てきた大地(土)へと還すことが出来る」というのと、
「そいつが元々いた土地へ帰すことが出来る」というのとでは相当に違うだろう。
後者に訳さないと、王子さまが蛇に噛ませて星へ帰ろうとする理由にならないんだよね。
故郷と訳すのは恐らく不誠実なんだろうが、故郷と言った方が多分伝わる。
でも一般常識的には(?)「死=大地へ還す」が普通。つーか、何で蛇が一噛みで
元々いた土地に帰せる?考えるとひずみがあるんだわ。原典的疑問。
“ゴツゴツした”辺りを“花崗岩の”と訳した人もいたけれど、ここのシーンで岩の種類に
こだわる必要はないと思えるので、花崗岩は訳しすぎだと思う。
変に浮いてしまうよ。花崗岩と特定する意味はないでしょ?
特定すると、その意味を探してしまうのが大人の読み方だから、落ち着かなくなる。
ポイント1はわたしが好きなシーンなのでチェックした。
ここは内藤訳が好きだった気がするなあ。詩情が漂う。
非常にセンティメンタルな部分だけに、あまりべとっと訳してもイヤだし、
かっちり訳しても味がない。語尾の「入り日が好きになるものだろ……」の
だろ……が、けっこう気に入っている。微妙な違和感がまた魅力的。
この部分、入り日を見るのは43回説と44回説があるらしい。
ポイント2が、個人的に一番内容をアレコレ言いたい部分。
内藤訳から引くが、どうだろうねえ、この辺り。
「あの花のいうことなんか、きいてはいけなかったんだよ。人間は、花のいうことなんて
いいかげんにきいてればいいんだから。花は眺めるものだよ。においをかぐものだよ」
「あの花のいうことなんか、とりあげずに、することで品定めしなけりゃあ、いけなかったんだ。
ぼくはあの花のおかげで、いいにおいにつつまれていた。明るい光の中にいた」
内藤訳はこの部分、まだソフトな方なんだ。
他の訳者だとけっこう「女なんてきれいで可愛ければいいのだ」という意味にもとれてしまう。
そういうことを言いたいのではなかろうとは思うのだが……
ここは訳だけではないと思う。もっと注意深く書いて欲しかった。脇が甘いぜ、アントワーヌ。
……花の匂いや美しさは虚栄の象徴であるという理解も一方にはある。
引用部分では匂いや美しさをバラの本質として称揚している。それはそれで
この話の中ではわかるんだけど、それを「大切なことは目に見えない」というテーマと
組み合わせると、匂いはともかく美しさは見るものだ。内容が若干ひずむ。
「バラの存在がぼくを幸せにしてくれることを」王子さまは喜ばなきゃいけなかったんじゃないか。
それをはっきり言った後なら、香りや美しさを称揚しようが、気にならなかったのかもしれない。
わたしは、バラ=妻・コンスエロという解釈を是とするので、上記のように書かれちゃうと
なんかすっきりしない。ミス・コーネリアじゃないけれど、
「いかにも男の言いそうなことじゃありませんか?」
しかしなー。このバラの挿絵が。バラには見えん。バラはこんな風には咲かない。
葉っぱがなぜないのだ。この辺も小学生の自分が混乱した部分。
それからバラの第一声が、「髪をといていませんの」なのもよくわからなかった部分。
“なんの身づくろいもしていない”ということを言うのに、
「髪をといていませんの」は少し遠い。
だいたいバラに髪はない。「お化粧」までの擬人化は許容出来ても、髪とか言い始めると
違和感があった。
さらにバラとの関連でちょっといいたいんだけどさ。
なんで王子さまは王子さまの星に咲く、バラ以外の……一日草に冷淡なんだ。
バラには愛情を抱くのに、「花びらが一重でたいへんすっきりした花」は関心外。
それだって花なのにねえ。同じ花なのに、顧みられない一日草が憐れだった。
王子さまが地上のバラに言うことは、理不尽だよね。
「あんたたちは美しいけど、ただ咲いてるだけなんだね」……って、言いがかりは止せ。
ほんとに失礼な王子さまだ。星のバラがどれだけあなたにとって大事だろうと、
それは地上のバラに何の関わりもないことじゃないか。
そんなことでくさされては、地上のバラもムカつくだろう。
わたしだったらムカつく。やっぱり「男のいいそうなことじゃありませんか?」
ポイント5は……
好きな個所。内藤訳が「あれを見ると、気がふさぐんだ」としているところは誤訳だろうと思う。
麦畑が自分に何も語りかけてこないということは味気ない、という意味なんでしょう、おそらく。
金色の麦畑。王子さまの金髪。どちらもさわさわ風に揺れる。
実際に金色の麦畑を見る経験が少ないからこそ、イメージがとても美しく展開する。
自然を(自然か?)何かに重ねるのは、わたしは好きなんだよ。
ああ、もう長いだけ長くなって、さっぱり話がまとまらないなあ。
これくらいの分量を書くなら、もう少しちゃんと書かないとあかん。
しかし基本、通りすがりでちょこちょこ、と思っていたので……組み立てられない(^_^;)。
ここまで長くなったということは、それは原典に書かせるものがあるということか。
やはりあなどれんな、星の王子さま。
まとめる努力をしようとしたけど力尽きたので、失礼ながらぐだぐだな状態のまま載せておきます。
まあ、壁の落書きはいつものことだしね。
内藤濯。ずっとナイトウ・カンだと思っていた。灌木の灌だと勘違いしていた。
そしたらナイトウ・アロウだそうだ。HELLOのフランス風発音であるか?
考えすぎか。
池澤訳の作りはなかなか可愛い。ロイヤルブルーの布表紙で。プレゼント向き。
(が、なぜかアマゾンで見つからない……)
池澤は絵本バージョンも出しているが、ちらっと眺めた限りにおいては、
積極的な価値は子供に読ませるということのみだな。
ところで突然ですが、ラピュタの主題歌「君をのせて」。
あの歌詞は星の王子さまと同工異曲。作詞が宮崎駿だと確信犯ですな。本歌取りの意識なのかな。
宮崎駿は何しろシュミ全開の「紅の豚」を作った人だ、サン=テグジュペリは大好きなはずだ。
メロディラインが叙情的で好きな曲。歌う分には少々高音域がつらいけれども。
結局、原典からして相当に微妙な話であることは間違いないと思うよ。
サン=テグジュペリは……プロの作家ではなかったんだと思う。と、他には「夜間飛行」しか
読んだことないわたしが言うのも非常にアレだが。
天性の詩人であったかもしれないが、プロとしての方法でこの作品を作ってはいない。
「大切なことは目に見えない」ということを言いたい話だとするなら、
小惑星群の話は、微妙に外れている気が。全く遠いわけじゃないけど。
キツネとバラのエピソードで充分な気がします。あと、ウワバミで話を始めるのは
少なくとも子供にはミスリードでした。
全体的に個々のパートの繋がりがすっきり感じられないので、何か不思議な話になってしまう。
むしろ不思議な雰囲気を漂わせているのが価値なのかもしれないが。
だがわたしは、子供が読むものならば、筋道がすっきりしたものを強固に求めたいので、
子供にこれを読ませるのは微妙にイヤかも。
(だから「千と千尋~」「ハウルの~」とかが大嫌い)
読み比べで確認したポイントは、読み進んでいくうちにだいたい次の5点に絞られた。
1.ねえ……さびしいときって入り日を見たく……
(44回椅子をひいて夕陽を見た時)
2.バラの花の言うことなんか聞いちゃいけなかった
(王子さまがバラと自分の関係に言及して)
3.一噛みでその(土地・大地)に返してやれる
(蛇と王子さまが最初に出会ったシーン)
4.apprivoiser
(キツネを“飼いならす”)
5.金色の小麦畑
(キツネの長台詞)
このうち、他の4点はわたしが個人的に反応した部分だけれども、
一般的に翻訳でもっとも焦点になるのは4らしい。以前そういうテレビ番組が作られていた。
このapprivoiserというのは相当にやっかいな単語のようだ。
キツネと王子さまの会話で、
「おれはあんたとは遊べないよ。apprivoiserされてないからな」
「apprivoiserって?」
「○○ってことだよ」
という流れになるのだが、
内藤訳:飼いならす→仲良くなる
池澤訳:飼いならす→絆をつくる
倉橋訳:仲良くなる→関係をつくる
川上・廿楽訳:馴染みになる→絆を結ぶ
三野訳:てなずける→絆をつくる
山崎訳:飼いならす→絆をつくる
小島訳:飼いならす→絆を創る
河野訳:なつく→絆を結ぶ
原語に忠実であれば「飼い馴らす」で決まり、らしい。
しかしキツネの台詞で「apprivoiserしてくれ!」というのがあるんだよね。
ここを原語に忠実に「飼い馴らしてくれ!」だと……わたしとしては絶対無理。
キツネって、喋っていることを聞いてると、非常に哲学者っぽい存在でしょう。
よく物がわかっているというか。そのキツネがそんな台詞を言うと、
……なんか特殊な性向の人がすがっているイメージが漂ってしまって……。
日本語で「(自分を)飼い馴らしてくれ!」とは絶対言えないと思う。
女王さまと奴隷ならいざ知らず。
不実な美女、あるいは貞淑なブス、というのも結局どちらに忠実なのか、という話だよね。
わたしは原語は全く視野に入らないので、日本語に対して忠実な方がずっと読みやすいよ。
……ただ、倉橋訳の「仲良くなる」は変。というのは特に問題なくコミュニケーションが
とれている王子さま、「仲良くなる」という言葉さえ知らないのは有り得ない。
「仲良くなる」の説明が「関係をつくる」では、説明の方が難しいぞ、ってところだし。
むしろ訳より、原典のキツネの台詞が問題なんだろうな。
あれだけ自分が見えている彼(キツネ)が、今さら「apprivoiserしてくれ!」っていうのは
ないんじゃない?あれだけの出会いで、金色の麦畑を愛せるようになる哲学者が、
そんなストレートな台詞で関係を求めるだろうか。
apprivoiserの仕方をレクチャーしている時点で、すでにapprivoiserされているんじゃないの?
この辺がプロの文脈ではないと言いたい点。それともわたしのわからないフランス的感性なのか。
蛇も変だと思う。(ポイント3に関連して)
王子さまは蛇と出会う。奴は足首に巻きついて脅す。土地・土に帰してやれると言う。
王子さまが弱々しいのでかわいそうだと言う。帰る手助けをしてやれると思うと言う。
でも、なぜ王子さまは一年後に蛇に会った時、奴を怖がっているの?
塀の上に避難しているの?前回は足首に巻きついても恐怖を見せなかった人が。
最初に会った時と一年後に会った時の態度が全然違う。なぜだ。
蛇の台詞で難しいところがあるんだ。
最初に会った時に王子さまは蛇に「どうして君はそんな謎めいた話し方をするの?」と訊く。
それに対して蛇は「謎はみんな俺が解くのさ」と返す。
この台詞の意味が。わからないよ、アントワーヌ。
蛇は死を司る運命の神。(キリスト教徒のサン=テグジュペリには無い概念か?)
それならば多数派の訳し方はだいぶ軽すぎる。蛇が剣呑ないたずら者として描かれているからね。
上記の訳者で、1人だけ――たしか山崎訳が「私は謎を解く者だ」と訳していたが、
蛇には荘重さが必要であるように思う。
ポイント3なんだけど、訳者によって訳し方がはっきり違う部分。
蛇が一噛みすることで、
「そいつが出てきた大地(土)へと還すことが出来る」というのと、
「そいつが元々いた土地へ帰すことが出来る」というのとでは相当に違うだろう。
後者に訳さないと、王子さまが蛇に噛ませて星へ帰ろうとする理由にならないんだよね。
故郷と訳すのは恐らく不誠実なんだろうが、故郷と言った方が多分伝わる。
でも一般常識的には(?)「死=大地へ還す」が普通。つーか、何で蛇が一噛みで
元々いた土地に帰せる?考えるとひずみがあるんだわ。原典的疑問。
“ゴツゴツした”辺りを“花崗岩の”と訳した人もいたけれど、ここのシーンで岩の種類に
こだわる必要はないと思えるので、花崗岩は訳しすぎだと思う。
変に浮いてしまうよ。花崗岩と特定する意味はないでしょ?
特定すると、その意味を探してしまうのが大人の読み方だから、落ち着かなくなる。
ポイント1はわたしが好きなシーンなのでチェックした。
ここは内藤訳が好きだった気がするなあ。詩情が漂う。
非常にセンティメンタルな部分だけに、あまりべとっと訳してもイヤだし、
かっちり訳しても味がない。語尾の「入り日が好きになるものだろ……」の
だろ……が、けっこう気に入っている。微妙な違和感がまた魅力的。
この部分、入り日を見るのは43回説と44回説があるらしい。
ポイント2が、個人的に一番内容をアレコレ言いたい部分。
内藤訳から引くが、どうだろうねえ、この辺り。
「あの花のいうことなんか、きいてはいけなかったんだよ。人間は、花のいうことなんて
いいかげんにきいてればいいんだから。花は眺めるものだよ。においをかぐものだよ」
「あの花のいうことなんか、とりあげずに、することで品定めしなけりゃあ、いけなかったんだ。
ぼくはあの花のおかげで、いいにおいにつつまれていた。明るい光の中にいた」
内藤訳はこの部分、まだソフトな方なんだ。
他の訳者だとけっこう「女なんてきれいで可愛ければいいのだ」という意味にもとれてしまう。
そういうことを言いたいのではなかろうとは思うのだが……
ここは訳だけではないと思う。もっと注意深く書いて欲しかった。脇が甘いぜ、アントワーヌ。
……花の匂いや美しさは虚栄の象徴であるという理解も一方にはある。
引用部分では匂いや美しさをバラの本質として称揚している。それはそれで
この話の中ではわかるんだけど、それを「大切なことは目に見えない」というテーマと
組み合わせると、匂いはともかく美しさは見るものだ。内容が若干ひずむ。
「バラの存在がぼくを幸せにしてくれることを」王子さまは喜ばなきゃいけなかったんじゃないか。
それをはっきり言った後なら、香りや美しさを称揚しようが、気にならなかったのかもしれない。
わたしは、バラ=妻・コンスエロという解釈を是とするので、上記のように書かれちゃうと
なんかすっきりしない。ミス・コーネリアじゃないけれど、
「いかにも男の言いそうなことじゃありませんか?」
しかしなー。このバラの挿絵が。バラには見えん。バラはこんな風には咲かない。
葉っぱがなぜないのだ。この辺も小学生の自分が混乱した部分。
それからバラの第一声が、「髪をといていませんの」なのもよくわからなかった部分。
“なんの身づくろいもしていない”ということを言うのに、
「髪をといていませんの」は少し遠い。
だいたいバラに髪はない。「お化粧」までの擬人化は許容出来ても、髪とか言い始めると
違和感があった。
さらにバラとの関連でちょっといいたいんだけどさ。
なんで王子さまは王子さまの星に咲く、バラ以外の……一日草に冷淡なんだ。
バラには愛情を抱くのに、「花びらが一重でたいへんすっきりした花」は関心外。
それだって花なのにねえ。同じ花なのに、顧みられない一日草が憐れだった。
王子さまが地上のバラに言うことは、理不尽だよね。
「あんたたちは美しいけど、ただ咲いてるだけなんだね」……って、言いがかりは止せ。
ほんとに失礼な王子さまだ。星のバラがどれだけあなたにとって大事だろうと、
それは地上のバラに何の関わりもないことじゃないか。
そんなことでくさされては、地上のバラもムカつくだろう。
わたしだったらムカつく。やっぱり「男のいいそうなことじゃありませんか?」
ポイント5は……
好きな個所。内藤訳が「あれを見ると、気がふさぐんだ」としているところは誤訳だろうと思う。
麦畑が自分に何も語りかけてこないということは味気ない、という意味なんでしょう、おそらく。
金色の麦畑。王子さまの金髪。どちらもさわさわ風に揺れる。
実際に金色の麦畑を見る経験が少ないからこそ、イメージがとても美しく展開する。
自然を(自然か?)何かに重ねるのは、わたしは好きなんだよ。
ああ、もう長いだけ長くなって、さっぱり話がまとまらないなあ。
これくらいの分量を書くなら、もう少しちゃんと書かないとあかん。
しかし基本、通りすがりでちょこちょこ、と思っていたので……組み立てられない(^_^;)。
ここまで長くなったということは、それは原典に書かせるものがあるということか。
やはりあなどれんな、星の王子さま。
まとめる努力をしようとしたけど力尽きたので、失礼ながらぐだぐだな状態のまま載せておきます。
まあ、壁の落書きはいつものことだしね。
内藤濯。ずっとナイトウ・カンだと思っていた。灌木の灌だと勘違いしていた。
そしたらナイトウ・アロウだそうだ。HELLOのフランス風発音であるか?
考えすぎか。
池澤訳の作りはなかなか可愛い。ロイヤルブルーの布表紙で。プレゼント向き。
(が、なぜかアマゾンで見つからない……)
池澤は絵本バージョンも出しているが、ちらっと眺めた限りにおいては、
積極的な価値は子供に読ませるということのみだな。
ところで突然ですが、ラピュタの主題歌「君をのせて」。
あの歌詞は星の王子さまと同工異曲。作詞が宮崎駿だと確信犯ですな。本歌取りの意識なのかな。
宮崎駿は何しろシュミ全開の「紅の豚」を作った人だ、サン=テグジュペリは大好きなはずだ。
メロディラインが叙情的で好きな曲。歌う分には少々高音域がつらいけれども。
王子様は星に帰るために重過ぎる肉体を捨てる必要がありました。蛇はその毒で王子様の体を魂から切り離すことが出来るためです。
>女なんてきれいで可愛ければいいのだ
薔薇=女ではありません。
薔薇の花のような虚栄的で不器用で純粋な美女がいて、王子様はそういう女を愛しただけの話です。すべての女は薔薇ではなく、薔薇のような美しいけれど滑稽な、はかない女はその言葉ではなく行いと影響を愛すればよかったと言っています。
>一日草に冷淡
王子様は人格者でも博愛主義者でもありません。子供です。
>あんたたちは美しいけど、ただ咲いてるだけなんだね
失礼ですが、文学にモラルやマナーを求めていたら道徳の教科書みたいでつまらなくないですか?王子様の幼さや脆さ、ひどさ、理不尽さが物語の情緒を生み出してると思います。
>飼い馴らしてくれ
いっちょまえの人間のような口を利くけど行動は動物な感じでいいんじゃないでしょうか?ウサギを追い回すのと小麦畑で安らぐのが好きなキツネが子供に飼い馴らされたがっても何の不思議もないと思います。
ではでは
この作品でいうところの『目には見えないもの』に心の目をやれば、もう少し理解できるはずです。
すぐれた翻訳者は、語彙力や知識だけでなく、豊かな想像力と感受性を備えています。
子供に読ませるのはいやだと考えておられるようですが、おそらく子供のほうが本質を読み解けると思いますよ。