The Missing Piece
小学校に上がるか上がらないかのころ、夕ご飯のテーブルで娘が「そのお肉one pieceとって」と言い、それからあわてて、「お肉ひとつとって」と言いなおしたことがありました。
当時の我が家は、日本語交じりの英語、英語交じりの日本語の会話はしないようにしようね、というのがルールだったからです。
すかさず「one pieceのpieceって日本語でなんていうのかな?」と聞いてみました。実は、バイリンガルの子育てはいやだなと思うのはこういうときです。だって、こういう質問って、なんだか意地悪に聞こえませんか?
娘は、ちょっと考え込んでから、パッと顔を輝かせて大きな声で言いました。
「かけら!」
これには、正直、私の方が仰天しました。「かけら」なんて言う日本語、いったい、いつ、どこで憶えたの?
驚いたので、思わず「お肉は『ひときれ』っていうのよ」と言うのも忘れてしまったほどです。
そのときの娘の「かけら!」の出典が、このシルヴァスタインの The Missing Piece でした。
邦訳「ぼくを探しに」で日本でもよく知られているこの絵本は、シルヴァスタインが彼の詩に絵をつけた作品で、子どもにもじゅうぶん楽しめますが、むしろ大人向きともいえる含蓄ある一冊です。
「ぼく」は、自分に欠けている部分を埋めてくれるカケラを探して、歌いながら、旅をしています。そして、ある日、遂にぼくは自分に「ぴったりな」カケラに出会うことができました。ところが・・・、あまりにもぼくにぴったりなカケラと一緒になったら、ぼくは歌えなくなってしまったのです・・・さて、歌えなくなってしまったぼくは・・・?
ね?大人にも、示唆的でしょう?
娘は、日本語版の倉橋由美子さんの翻訳が気に入って、「ぼくはカケラを探してる、カケラもぼくを探してる・・・」と始まる冒頭からほとんど一冊丸ごと暗唱するほどに繰り返し読みました。
余談ですが、The Missing Piece大ファンの女の子の親としてちょっと残念なのは、邦訳が「ぼくを探しに」と男の子が主人公になってしまったことです。作者のシルヴァスタインが男性だから、まぁしかたないか、とは思うのですが、でも、英語には、日本語のように明確な(時に現代生活には不必要ではないかと思われるような)男女の区別がなく、その点、バイリンガル子育てでよかったなと思うことが時々あります。