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お母さんと読む英語の絵本

読み聞かせにぴったりな英語絵本から、米国の子どもたちの世界をご紹介
子どもをバイリンガルに…とお考えのお母さんに

たかが呼び名 されど呼び名

2010-08-09 | with バイリンガル育児


アメリカ社会では、親しい間柄になると大人同士も名前(First Name)で呼びあうことはよく知られています。家族や友人の間だけでなく、職場でも同僚はもとより上司のこともたいてい名前で呼びますので、「目上には敬語」という習慣に慣れた日本人には、これはちょっとしたショックです。例えばレストランでは、ウェイトレスが「ケイトです。私がこのテーブルを担当します(My Name is Kate. I'm your server.)」なんて明るく自己紹介してくれるし、電話での問い合わせやホテルの予約などで「念のため名前を」と尋ねると、相手は名字ではなく名前を教えてくれます。つまりアメリカでは、名前を教えることにはあまり抵抗がないのです。でも逆に、フルネームで名字までというのは一般的でなく、ですからアメリカ人は名字を聞かれることにはかなりの抵抗感があるようです。このあたり、日本とはまるで逆ではないでしょうか?

さて、では、学校では? 先生はどう呼べばよいのでしょう? 生徒はどう呼ばれているのでしょう?

日本では教師はすべて先生と呼ばれます。でも日本語の「先生」は便利な呼称で、教師だけでなく、医師も、政治家も、弁護士も、税理士も、行政書士も、コンサルタントも、評論家も、作家も、音楽家や画家も、皆が先生と呼ばれています。こうした状況を揶揄して、アジア諸国の繁華街では、日本人の男性を見たら日本語で「先生」か「社長さん」と呼べといわれているくらい。日本人も、時に「先生と呼ばれるほどの・・・」などという皮肉も言いますが、しかし実際、日本では先生と呼ばれるべき人を呼びそこなったら・・・なかなかに大変です。

さて、一方のアメリカですが、アメリカには日本語の「先生」にあたる呼称がありません。もちろん教師にあたるTeacherという語はありますが、これは職業をあらわす言葉で敬称としては使われません。小学校から高校までの義務教育の学校の先生たちは、たいてい女性は一般に Miss、Mrs、あるいは Ms を冠して姓で、男性は Mr. を冠して姓で呼ばれるのが一般的な伝統です。日本でもよく知られている小説「チップス先生さようなら」の原題は "Goodbye, Mr. Chips" ですし、明日ご紹介する絵本「Miss Nelson is Missing」のMiss Nelson(ネルソン先生)も小学校の先生です。

アメリカでは幼稚園の一年間も義務教育であることは既にご紹介しました(ブログ記事:もういくつ寝ると幼稚園)が、幼稚園では、小学校以上と違い、先生の名字ではなくて名前に Miss、Mrs、Ms あるいは Mr. をつけて呼部のが一般的のようです。たとえば Ms. Lori とか Ms. Debbie というふうに。これはプリスクールも同じです。

大学はやや事情が違います。大学になると「~先生」と丁寧に呼ぶときには姓に Prof. (Professor教授)を冠して呼びます。講義を受け持つ教授職は皆 Prof. です。一方、研究職の先生方の場合には Prof. ではなく、Dr. を冠して呼ばれる場合もあります。

でも実は大学では、教授と学生がファーストネームで呼び合うことが珍しくありません。私の勤務していた大学でも、人気のある教授ほど親しみをこめてファーストネームで呼ばれていました。世界的なベストセラー「Tuesday with Morrie(邦訳:モーリー先生との火曜日)」でも、Morrieは著者の大学の恩師。敬愛する先生だからこそファーストネームで呼んでいるのです。

それにしても、教授を名前でよぶなんて! 日本で教育を受けた身にはいささか驚きで、馴染むのに時間がかかりました。ある時、知り合いの教授の講義を聞きに大学院のクラスに行きました。忘れもしない午後最初のクラスでしたが、かたやフランスパンをかじりながら(!)講義する教授に向かって、かたやコーヒーカップを手にした学生が、両足をデスクに載せたまま(!!)、教授のファーストネームで呼び掛けて質問したときには、ナイーブな私は、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになりました。

でも、考えてみれば、真理の前には何びとも平等。教授も学生もお互いを対等な「学徒」とみなすことは学問進歩のためにきわめて重要なことです。大学で教授と学生がお互いをファーストネームで呼び合っているのは、単にアメリカ人がカジュアルだからというだけではありません。相手を「先生」と呼び、敬語を使わなければならなかったら、なかなか対等な議論などできません。教授と対等だと感じられなかったら、学生が教授に異を唱えたり反対したりするのはなかなか難しいからです。

お互いをファーストネームで呼びあうとコミュニケーションが民主化され、自由な議論が喚起されます。民主的なコミュニケーションができることは、学問進歩にとって、ひいては真理の追及にとって、きわめて大きな意義があるのです。これは私の解釈ではなくアメリカのアカデミアの一般通念。つまり、たかが呼び名、しかし、されど呼び名なのです。こういうことを杓子定規なまでにきちんと実行しているところに、アメリカ人の生真面目さがあります。




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子どもをあずける(1)長い長い wish list

2010-08-04 | with バイリンガル育児

Photo:health.ninemsn.com

働きながらの子育てだった私は、初めて授かった赤ちゃんを生まれて2カ月目から、よその方にあずかっていただきました。

当時の私の仕事は、複数の大学をかけ持ちして非常勤で教えながら、ポスドクの研究者として自分の研究も続け、かつ研究費捻出のためのアルバイトもするという、時間も不規則、仕事場や打ち合わせ場所も一定せず、時には出張もあるなど、およそ子育てとの両立には不向きな勤務条件。おまけに住んでいたのは夫の勤務先に近い、地方都市のさらに外れ。勤務先の大学まではいずれも片道2時間以上もかけて通勤するという住環境でした。

ですから9時から5時まで、せいぜい6時までという保育園に子どもをあずかっていただくことは最初から論外。どなたかに家に来ていただくか、個人のお宅にあずかっていただくしかないと思っていましたが、母の時代のように住み込みの人に居てもらう余裕はなく、東京都心にしかないベビーシッター派遣サービスは圏外で頼めず、さりとて夫の仕事先に近い郊外都市には知り合いの一人とていない・・・。そのうえ私の親は高齢で(我が家は母子そろって高齢出産!)、母は病弱でしたし、自営業を営む夫の両親は家をあけるのが難しかったので、いずれも最初から候補になりませんでした。

というわけで、妊娠が安定してからは、近所に子どもをあずかってくださる方はないかと探しに探したのですが、見つからないまま、出産の日を迎えてしまいました。

なかなか見つからなかった理由は私の長々したwish list(希望条件)のせいでした。
●長くこの地に住んでいて地域社会に溶け込んでいる方
●保育園の先生か看護師さんだった方
●ご自身も働きながら子育てをされた方
●一戸建てのお家に住んでいる方
●不規則な私の勤務条件に対応してくださる方
●できれば犬か猫を飼っている方

保育園に2歳の息子を預けていた親友にこのWish Listを見せたら、開口一番「ありえない!」と一喝されました。そうですよね・・・でも、それぞれの条件にはそれぞれに私なりの理由がありました。

娘を妊娠中に伊豆大島の三原山が噴火し、住民は島外に避難しなければならない事態になりました。私の住んでいた神奈川県の海沿いの町でも毎日かなり大きな余震が続き、ほぼ24時間ずっとガラス窓がびりびりと震えて音をたてていました。遠い水平線上に噴煙が上がっているのが肉眼でも見える日が続き、いやでも応でも自然災害と安全について考えさせられ、生まれたばかりの赤ちゃんを預けるなら絶対に安全なところに預けたいと毎日毎晩願っていました。

通勤に2時間も3時間もかかるところに仕事に行っていたら、天変地異があっても子どものところに駆けつけることができません。そんなとき、私と一緒いるよりも安全なところはどこだろう?と考えに考えた末の私の結論は「コミュニティに守られている人」つまり私が住んでいる土地の地域社会にしっかり溶け込んで暮らしている「地付きの人」。

私は団地族でした。私の団地はまだ新しく、ほとんどの住民が郊外に移転してきた企業に勤める他所からの流入組でした。新規流入組は土地勘もなく、身近な所に身寄りも親しい友人もいないのが普通。だから、本当に「もしも」の時には頼るところがない、お互いに気持はあっても、助け合いの基盤がないというのが私の実感でした。

だから、子どもは「地付きの人」にあずけたい。そうすれば、私たち親に万一のことがあっても、子どもの命だけは助かるかもしれない、そんな風に考えたのです。

保育園の先生や看護師さんだった方、という条件は、ひとつには、そういう職業経験のある方だったら、子どもの扱いに慣れているから新生児を預けても大丈夫だろう、私も安心できると考えたのと、もうひとつには、こういう職業の方なら、きっと働く女性をたくさん知っていて、だから、きっと子どもを育てながら働くことにも理解があるに違いない・・・という期待があったからです。

さらに、ご自身も子どもを育てながら働いた経験のある方を希望していたのは、そういう方は子どもに「お母さんがいなくてかわいそうね」とか「お母さんが働いていて寂しいね」とか、決しておっしゃらないだろうと思ったからです。今は知りませんが、当時は「お母さんが働いていて、お家にいないのはかわいそう」というステレオタイプな意見が珍しくありませんでした。それが世間でしたから、やがては子どもの耳に入ることは避けられませんでしたが、でも、私は身近に子どもの世話をしてくださる方の口から子どもが毎日それを聞かされるのはいやだと思っていました。

一戸建てのお家がいいなと思っていたのは、子どもが窓を開けたりドアを開けたら、そこには手の届くところに外の世界が広がっているのだ、という実感を子どもに持たせたかったからです。歩けるようになれば、このドアから歩いて外に行ける、そういう世界との「地続き」の感覚を持たせたかったからです。

小さい時、私は縁側が大好きでした。特に濡れ縁は、家の中からそのままつながっているのに、そのまま外の風や太陽にあたれて、気持ちがよくて。だから、できれば縁側のあるお家がいいなと思っていました。というのも、我が家は団地の3階だったからです。どなたかにあずかっていただくのなら、我が家では望めないものを子どもに経験させたいなと。親友に言わせれば「ありえない!」希望を抱いていました。

犬か猫を飼っている方だったらいいなと思ったのも、同じ理由です。私の住む団地ではペットは飼えませんでした。でも、私は犬や猫と一緒に育ったので、子どもは小さい時から犬や猫とと暮らせさせたいなと思ったのです。

そんなわけで、生まれてしまった赤ちゃんにおっぱいを飲ませながら、希望条件を書き連ねたwish listを手に、諦めずに赤ちゃんのあずけ先を探し続けていました。でも教壇に戻る約束の日が刻々と近づいてくるばかり・・・。とにかく降りない、最後まで諦めないだけが勝負の『焼けたトタン屋根の上の猫』の心境でした。

そんなある日、「ありえない!」と叫んだ親友から電話があり、「あなたラッキーよ!見つかったかもしれないわよ!信じられないわ!」

そう。本当にラッキーでした。私ではなく、娘がラッキーでした。娘は2月生まれですが、その年の3月で保育園を退任なさった、それも新生児クラス担当の主任でいらした、経験豊かな保母さんが娘をあずかってくださることになったのです。望み通り「地元」の方で、望み通りの「一戸建て」にお住まいで、それも望み通り「縁側」のあるお家で、「犬」がいました。しかも、私の希望通り、お子さんを育てながらずっと定年まで働いていらした方で、そのお子さんたちも立派に成人されていてお孫さんがあり、なんともラッキーなことにみなさん近所にお住まいで、そのためその後、娘は1歳年上と1歳年下のお孫さんにはさまれて、まるで三姉妹の次女のように育てていただくことになったのです。

でも、子どもをあずけるのは、預け先が見つかった時点で終わるのでなく、実は、当然なのですが、そこから始まることだった・・・のです。続きは次回に。






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それぞれの独り立ち:スイート16

2010-07-28 | with バイリンガル育児

ティーンエイジャーに人気のマイリー・サイラスはカリフォルニアのディズニーランドを貸切でスイート16の誕生日を祝った。写真:LA Times, 2008

アメリカでは節目の年齢の誕生日をBig Birthdayと呼んで、ちょっと派手にお祝いする伝統があります。おとなでいうと、日本で『還暦』をお祝いする60歳はこちらでも大きな節目。昔流のリタイアの目安となる50歳もBig Birthdayです。

子どもは?というと、1歳のお誕生日がまずは文字通り"初めて"のお誕生日。当事者の赤ちゃんはさておき、親が大騒ぎしてお祝いする最初のBig Birthdayです。でも「親と子」という関係からみるなら、大きな変化は「13歳と16歳」そして「18歳と21歳」。13歳になると子どもは初めて「ひとりで」行動することを法律で認められ、16歳になると多くの州で運転免許が取得できます。18歳は『未成年』卒業の年で就学義務期間も終了です。21歳は日本でいう成人式。投票権を得て、お酒も飲めるようになります。

アメリカでは満13歳未満の子どもは、文字通り24時間、週7日、一年365日、誰かおとなのリアルな監督下に置かれていなければならないと法律で決まっています。日本の方は驚かれるのですが、実際、13歳未満の子どもについては、保護者が一緒にいられないときには、誰かベビシッタ―を手配しなければならない義務があります。だから、アメリカでは子どもが「ひとりで留守番」とか「ひとりで買いもの」(ブログ記事:「はじめてのおつかい」)等という状況はまず考えられません。学校の登下校も親が送り迎えするのがあたりまえ。子どもが歩いて学校から帰ってくるなんてことは「法律的にありえない」のです。

だから親が出かける時、「おうちで待ってる」と言えちゃう13歳になることは、子どもには実はかなり大きな変化です。でもティーンエイジャーが「ひとりで留守番」できたってしょうがない‥‥ですよね? でも、ひとりで行動してもよいと言われても、文字通り車社会のアメリカでは、車がなければほとんどどこにも行かれません。例えば、映画館やダンスパーティでデートすることはできるのだけれども、その映画館やパーティ会場までは親に車で送ってもらうしかないわけです。これには親子とも「やれやれ‥‥」の心境。というわけで、子どもも親も運転免許のとれる16歳が待ち遠しく、この16歳が、まさに行動における独り立ちのBig Birthdayです。

そんなBig Birthdayをアメリカのマーケットが放っておくはずがなく、あの手この手でパーティプランや特別なギフトの売り込みがあります。

ミリオネアどころかビリオネアの親がたくさんいるシリコンバレーでは、娘の同級生の間でも「さすがシリコンバレー!」と叫びたくなる派手な誕生会や豪華な贈り物のエピソードに事欠きません。

お父さんの自家用ジェットに同級生を乗せてディズニーランドに飛び、そこで16歳の誕生日をお祝いした子がいます。この日帰りパーティに招待された12人の女の子の親たちは「万一飛行中に事故があってもかまいません」という承認書に複雑な思いでサインしました。もちろん子どもたちはものすごく楽しんで無事に帰ってきましたけれど。ちなみに彼女のお父さんはエンジニアにして発明家。たくさんの特許を持っています。

シリコンバレーの雄ともいうべき企業のCEOの息子たちは親の専用ジェットでマイアミに飛んで、これまた親のヨットでクルーズしながらシェフやバンド付きで派手なパーティをしているともっぱらの噂。招かれた子が語る体験談は、まさにタブロイド紙のパーティゴシップのようです。

ラスベガスのシャネルのお店に行き、彼女のサイズのお洋服と靴、それにハンドバッグや帽子、香水からアクセサリーまで欲しいもの全部を買ってもらったという子もいました。お父さん?この方は謎の人物でお仕事がよくわかりません。カジノ経営だと言う説もあれば、マフィアだという説もあって、映画のようです。

車体に赤い大きなリボンのかかった真っ赤なスポーツカーが、誕生日のちょうど下校時刻に学校に配達された子もいました。もちろんサプライズギフト。これには、本人も友達も大興奮! そりゃ、そうでしょう。

車といえば駐車場。上級生たちは自分で運転してくるので、高校の駐車場はいつも満杯。スペースが足りず、たいていの生徒は学校周辺に所狭しと路上駐車しています。ある時、娘の学校で、資金調達の寄付集めイベントに、校舎に一番近い駐車場のスポットがオークションに出品されました。一年間、その駐車スポットを専有する権利を売り出したのです。その年16歳になった学生のために親が競り落としましたが、落札価格は$6,000でした。どんなに寝坊しても、路上駐車のスペースを探してウロウロする必要がなく、いつでも校舎に一番近い駐車場にゆうゆうと車を停めることができるなんて、若葉マークの16歳のドライバーには最高のプレゼント!

それにしても、あまりにも贅沢!

もちろん皆がみんな、こんな風に派手なわけはありません。娘の幼なじみの親友に私があげたプレゼントはエステティックサロンのギフトカード。その名も”スイート16パッケージ”といい、ヘアカットでもネイルでもマッサージでも、お好きなメニューを友達と二人でおしゃべりしながら楽しんで!というもの。女の子にはこのあたりが平均的なプレゼントです。豪華絢爛ではないけれど、それでも16歳の女の子二人は、日曜日の日がな一日、近所のサロンでプロにマニキュアをしてもらい、思う存分おしゃべりに興じて満足したようでした。




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こどもの偏食 おとなの偏食

2010-07-14 | with バイリンガル育児


食卓はとにかく楽しい場でなければ‥‥と思うので、私は子どもに嫌いなものを無理に食べなさいと言ったことはありません。ピーマンが嫌いでもブロッコリーが食べられればいいわけだし。だからわが家では、誰かが嫌いなものは、みんな一緒の食卓にはあまり登場しません。よく野菜が嫌いな子どものために、その子の好きなハンバーグに野菜を刻み込んで(あるいはすりおろして)食べさせるという話も聞くのですが、それではハンバーグまでまずくならないか‥‥と心配になります。せっかくの好物なら、とびっきりおいしいハンバーグを食べさせてあげる方がいいんじゃないかしら?

そんなことを考えるのは、日本の子どもとはケタ違いのアメリカの偏食を見なれているせいでしょうか。「なんでも食べましょう」と言われ、学校ではそろって給食を食べて育つ日本の子どもに比べると、アメリカの子どもたちははるかに好き嫌いが激しい気がします。親もとくには矯正しようとしないせいもあって、むしろ伸び伸び(?)偏食していると感じるほど。食べられない食べ物がたくさんある人を、英語では「Picky Eater」と言います。

娘のダンスチームにいた男の子は、中学生になっても、ほとんど2-3種類のものしか食べないのでは、という印象でした。レストランに行ってもバターをつけたパンだけしか食べない。ピザはチーズだけで具が載っているのはダメ。彼がトマトを食べた時には仲間うちでニュースになったくらい。でも彼のお母さんは「これでもマシになったのよ」と平然としていました。”産まれてすぐから食べることに興味がなかった” 彼は、離乳食も「魚の形をしたクラッカーしか食べなかった」のだそう。なんとか食べさせようと、彼を連れて病院を尋ね廻ったお母さんの方がストレスで痩せてしまい、ある日、経験豊富な小児科ドクターに『なんでもいい、本人が食べるものだけ食べさせておきなさい。それで元気なら気にする必要はない』とアドバイスされて、ようやく肩の荷が降りたと言います。「以来、ずっと気にしないようにしてきたの。でもご覧の通り。だからって彼の偏食が治ったわけじゃないんだけどね」と笑っていました。

その男の子? その後ニューヨークのジュリアードに進み、立派に研鑽を遂げて、この夏、無事に卒業してプロデビューしました。招かれてイスラエルのダンスカンパニーに行くことになっています。卒業公演で見た彼は素晴らしく成長し、身体もしっかり出来上がって美しいダンサーになっていました。

うちの娘は赤ん坊のころから健啖でした。まだ歯もはえそろわない生後5-6カ月のころに、ゆでたアスパラガスを丸ごと手に持ってしゃぶりついているビデオや、モリモリと素麺を食べて(?)いるビデオが残っていて、あんなもの食べさせて母親としてどうなの?と我ながら苦笑。でも、おなかもこわさなかったし、今は昔、時効です。振り返ってみれば親として至らなかったことばかりという私のような母親からみると、子育ては『結果オーライ』ならそれでいい‥‥というところが救いですね。

でも娘は、およそ既製品の『ベビーフード』が大嫌いでした。食べるものと食べないものがあったとか、あまり好きでなかった‥‥などという生易しいものではなく、文字通り、何ひとつ、まるっきり食べませんでした。働きながらの子育てだった私は、離乳食に既製品を利用できないかと、ありとあらゆるメーカーのいかにもおいしそうな(実際、親の口には悪くない味の)ベビーフードを次々と買ってきては試しましたが、何故か娘は全然食べませんでした。よその赤ちゃんがベビーフードの瓶からスープだの野菜のペーストだのをおいしそうに食べているのを見ると、いつも羨ましかったものです。

ベビ―フードだけではありません。私の手からは哺乳瓶のミルクも一切飲みませんでした。ベビーシッターさんが飲ませると飲むのですが、私が哺乳瓶を持っていくと「おっぱいがあるのに何バカなことしてるの?」って感じにニヤッと笑うだけで、吸いつきもしないのです。実に、見事に、頑固でした。

ですから、生まれて半年ほとんど体重が増えず、6カ月健診の時には保健師さんに「お母さん、ご心配じゃありませんか?」と聞かれた(保健師さんの聞き方はいかにも「心配した方がいいですよ!」と聞こえました)ことは、以前にも書きました。新米母親としては(できあいの離乳食を食べないような好き嫌いが原因かしら?)と内心ではいたく自信喪失。でも、娘は幸い大きな病気もせず普通に成長しました。

人のことは言えません。自分では「ほとんど好き嫌いはない」と自負している私も、実は日本人のくせに”国際標準”の日本食があまり食べられません。お寿司はその典型で、トロもカツオもイクラもウニも、ほとんどのネタが特に『好き』ではありません。お刺身が食べられないわけでも、お寿司がダメもなく、魚がダメというわけでもないのですが‥‥。「実はウナギも食べられないのよ」と言って「あなたホントに日本人?」とからかわれています。

「食べ物に好き嫌いがあってはいけません」という考え方はどこから来たのかな‥‥?と長く疑問に思いながら、調べる機会がなく過ぎています。確かに、近代栄養学はバランスの良い適切な量の食事を規則正しくとることの重要性を指摘しています。が、栄養学は「バランスよく」とは言っていますが、「なんでも食べられなくてはいけない」とは言っていません。でもこれが日常会話になると、とくに教育やしつけの場面では「好き嫌いはいけません」となります。不思議ですね。特に日本では、食べ物の好き嫌いはもっぱら「躾の問題」と考えられている印象があり、何かが食べられないと「わがまま」だと見られがち。だから、好き嫌いの激しい子を育てている母親は、なんとなく肩身が狭かったり‥‥。

躾はさておき、食べることは生きることの基本で、だから子育ての重要テーマ。でも子育て中のお母さんの中にも、激しい偏食家はいるようです。 ノースキャロライナ州で3人の子どもを育てる39歳のへザーはそんな母親の一人。彼女が食べられるのはフライドポテト、パスタ、ベジタリアンピザ、トウモロコシなど。クッキーやケーキはナッツが入っているとダメ。その他のものはほとんど食べられないと言った方がよいそうです。「子どもの頃、私の偏食は『可愛い』ですんだのだけど、大人になったら『恥ずかしい』ことになったの」と語るへザーは、「子どもには偏食になってほしくないので、私の食事は別にして見せないようにしています」と懸命の努力。でも3人の子どものうち「2人は偏食はないけれど、1人は私と同じような偏食傾向があって‥‥。偏食って生まれつきではないかと思います」と残念そう。("Picky Eating Knows no age limit" The Wall Street Journal 2010年7月6日) でも、ここで注目すべきは、同紙の見出しにある『偏食は大人になっても治らない』っていう事実よりも、偏食家でも健康な子どもを産んでお母さんになって子育てできるという事実。人間のもつ冗長度はけっこう大きいのではないでしょうか?

食べ物に好き嫌いがあって困るのは、実は食事ではなく『社交』。私も、寿司やウナギが嫌いでも普通に生きる上では支障ないのですが、人と食事をする場では「困った!」という経験が一度ならずあります。

社交好きのアメリカ人にとって、また社交が暮らしの大事な要素となっているアメリカ社会では、『食べること』も社交の一部。子ども時代のまま食べられないものがたくさんある(というより、食べられるものが限られている、と言うべき?)偏食家の大人にとっては、時に大変な試練です。

そんなPicky Eater達に集いの広場と実用的/実践的な支援を提供しているウェブサイトもあります(たとえばpickyeatingadults.com http://www.pickyeatingadults.com)。好き嫌いの激しい大人たちを「偏食だからって引っ込み思案になることはない」と鼓舞し励まし、「場の雰囲気を壊さずにいかにして『ノ―』と言うか」の実践的なアドバイスまでしています。こういうサイトや周辺のリンクを読んでいると、どうしようもなく偏食を通さざるをえない人というのがいるのだということがわかります。人間って不思議ですね。



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『バイリンガル絵本』のおすすめ

2010-07-01 | with バイリンガル育児

今月7月は、3月にひきつづき、英語に翻訳出版されている日本オリジナルの絵本を中心に、日本語と英語で併読できる『バイリンガル絵本』をご紹介します。

すでに繰り返し書いてきたように、バイリンガルの子どもの語彙を豊かにするには、日本語と英語の併読、すなわち同じ本を日本語と英語の両方で読むことが効果的。併読の目的は何と言ってもまずはそこにあります。

でも、”日本の絵本を英語で読む”ことには、実は、もっと積極的な意味があると、私は思います。とくにお子さんが海外で育っている場合には、日本にはこんなに素晴らしい絵本があるのよ、こんなにクリエイティブなアーティストがいて、こんなにきれいな本を印刷できる技術があるのよ、日本の絵本は世界中の子どもたちに読まれているのよ、と伝えることができるからです。海外で育つ子どもたちが母国を誇らしく思えることはとても大事なことです。

バイリンガルで育つ子どもはバイカルチャラルであることを強いられる場合が多いですね。バイリンガルといい、バイカルチャラルといい、いずれも言うは易し、聞こえもよいのですが、でも、生身の子どもにとっては、幼い時から、時には拮抗することもある二つの文化の間で、ともすればすり減りそうになる自我を保ちつつ、なお自己形成してゆくこと。決して楽しいばかりではありません。

バイカルチャラルがどうの……と言ったって、むずかしい話ではありません。たとえば、アメリカでは、幼稚園でも学校でもたいてい朝の最初の時間はサークルタイムといって床にみんなで車座に座ってホームルーム活動をします。床に座るときは女の子も男の子も胡坐をかきます。胡坐!です。いまはどうか知りませんが、実は、娘とアメリカで暮らし始めた20ン年前には日本では女の子は、少なくとも公衆の面前で(ましてや先生の前でなど!)胡坐などかかないものとされていました。それは、日本的にはひどく”お行儀の悪い”ことでした。それなのに、日本の不作法がアメリカではお行儀のスタンダードだなんて……これが身についちゃったら困るなぁ……日本の祖父母にいったい何と言われることか……やれやれ……娘には何と言って説明すればわかることやら……。

胡坐に限りません。たとえば、アメリカでは「会話するときには相手の目を見て話しなさい」と教わります。そう、アメリカでは、会話している相手の目を見つめているのが礼儀。目をそらすことは、時には失礼にあたります。叱られている時も真剣なまなざしで相手の目を見て聞いているべきものなのです。でも、一方の日本では会話の時に終始相手の目を見ている人は少ない。時には、直視しないで目をそらす方が礼儀にかなっている場合もあります。とくに叱られているときなどは俯いているくらいがちょうどよく、真剣な目をしてじっと見つめ返していたりすると、「なんだ、その目は!生意気な!」なんて、かえって叱られてしまうことも。このマナーの違いを日米で使い分けるのは、おとなにも至難の業です。

そう、バイカルチャラルって、日常生活の問題なのです。そして、だからこそ大変なのです。文化の問題ですから、どちらが正しいとか間違っているとかと決めることができず、要するに『正解』がない。なんとも困りものです。要はTPOの問題なのですが、子どもというのは「正しいか間違っているか」という二次元の問題はわかるのですが、「場違い」という三次元のコンセプトはなかなか理解できません。そうなると、バイカルチャラル子育ての親は、ちょっとした注意やお小言で済むはずのことに二倍も三倍も説明を重ねなければならないことになります。この、いつもいつも注意しなければならない、おまけにその都度いちいち説明しなければならないというのがイヤでイヤで、私は娘が小さい頃は、いつも憂鬱でした。

でも、大変なのは子どもであって、親ではありません。自己形成は苦しくても子どもが自分で成し遂げなければならない孤独な作業。そんな子どもに、せめても親がしてやれることは、ふたつの国の文化にできるだけ豊かに接する機会を創り、バイリンガルであり、バイカルチャラルであることが、半分・半分ではなく、二倍に豊かであることを意味するようにと祈ることくらい。

そうは言っても、子どもが小さい時にできるのは、せいぜい美味しい日本食を食べさせることや、日本の優れた絵本に触れさせることくらい。私の手料理はどうだったか知りませんが、でも、娘のために読んだ日本の絵本は、どれをとってもアメリカの絵本に遜色がないどころか、実に掛け値なしに素晴らしかった! 大いに助けられました。感謝しています。

来週からは、素敵な日本の絵本のなかから、3月に引き続き、すでに英語で翻訳・出版されている『バイリンガル絵本』をご紹介していきます。

今日のイラストは、娘と私が初めて日本語と英語の両方で読んだ「はらぺこあおむし」です。この絵本は、ちょっと大げさに言えば、私にとって「子どもをバイリンガルに育てる」と決心するにあたっての試金石とも、記念碑ともなった絵本です。言わずもがな、日本でもポピュラーなエリック・カールの傑作。このブログでもすでに何度かご紹介してきました(にほんごえいご 併読のパワー 2)。どうぞ改めてご参照、お楽しみください!



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