昭和44年の阪急対近鉄戦でのことです。とてもめずらしいホームランの代走がありました。
元大リーガーのジムタイルは、ホームランを打ちました。
ところが、足首をいためて、走れなくなりました。
代走をした伊勢選手がホームインしても、だれもあく手をしませんでした。
アメリカのロン・ハント選手は、1971年に50回も死球をうけました。そのため、救急車で10回も運ばれましたが、1年に10試合休んだだけです。
昭和29年・東急の新人・塩瀬選手は、ホームランを打ちました。しかし、その後出場しなかったので、一打席、一安打の10割打者なのです。他にオリックス・ブレーブスのドン・ジュルジー選手(1991年5月29日に日生球場で行われた対近鉄バファローズ戦)。
昭和49年の日本ハム・南海戦でのことです。
日本ハムの高橋博士選手は、一回ごとに守備位置をかえました。1回のファーストからスタートして、2回キャッチャー、3回サード、4回ショート、5回セカンド、6回レフト、7回センター、8回ライト、9回のピッチャーまでです。9回、最初のバッターを打ちとると、スタンドのファンは大喜びしました。他にロッテの五十嵐章人(1995年5月7日のオリックス戦)。
1958年(昭和33年)9月19日の巨人・広島戦(後楽園)でのことです。
巨人入団1年目の長島茂雄選手はホームランを打ったのに、一るいをふまないでホームインしてしまいました。ホームランは取り消されて、ピッチャーゴロでアウトということになりました。
三角ベースの野球みたいですね。