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戦後の日本人の生活は変わった

2014-06-15 15:34:19 | 社会科
第二次世界大戦後まもなくのころ、各家庭では、手づくりのパン焼き器をつくることがはやりました。ブリキの板を両はしにおき、それぞれに電線をつないだかんたんなものでした。手づくりのものはこれだけではありませんでした。タバコ巻き器もつくったし、鉄カブトをなべに利用した人もいました。なにしろ、家庭用の道具がほとんど売られていなかったので、こうするよりしかたなかったのです。
道具の不足よりももっとひどかったのは、食料の不足でした。都会の人たちは、農村へさかんに買い出しに出かけ、自分が身につけていた衣料品を、米やいもなどととりかえてきました。また、野山や川原へ行っては、食べられる野草を集めてくる人や、庭の植木をきりたおして畑にし、野菜やいもをつくる人もたくさんいました。
しかし、昭和三十年前後になると、工業生産がさかんになり、品物が豊富に出まわるようになりました。そして、このころになると、食料の心配もほとんどなくなっていました。人々は、テレビ、電気そうじ機、電気せんたく機、電気冷ぞう庫などの電気製品をとくにほしがるようになりました。当時、このような品物を持っていたのは、よほどの金持ちだったのです。なにしろ、白黒の十七インチのテレビでおよそ十七万円もしました。
ところが、工業がさかんになり、大量生産が進むとともに、ねだんがどんどん下がり、たちまちのうちに、さまざまな電気製品がわたしたちの家庭に入りこむようになってきました。また、インスタントの食品の普及もめざましいものがありました。それとともに、人々の楽しみがふえ、家事においまくられていた主婦のくらしにもゆとりがでてきました。わずかの間に、人々のくらしのようすが大きく変わったのです。(光文書院)
2014/6/15(日) 午後 3:34

選挙のようす

2013-11-17 16:08:00 | 社会科
 

今の日本は、国会議員をはじめ、都道府県議会議員、都道府県知事、市町村長、市町村議会議員はすべて、国民の選挙によって撰ばれることになっています。つまり、選挙は国民が政治に参加するたいせつな機会なのです。ここでは、衆議院議院選挙の投票所のようすを見ながら、たいせつな選挙がどのようにおこなわれるかを考えてみましょう。
まず、投票日は一日だけで、投票時間は午前七時から午後八時までときめられています。(投票日にどうしてもつごうのわるい人は、前もって投票できるようになっています。これを「不在者投票」といいます。)そして、投票所としては、小学校の体育館など、公共の施設が使われます。
さて、投票日です。この日は午前七時に投票所があけられ、係の人の合図とともに投票する人々が入ってきます。この人々は、つぎのような順序で投票します。
・まず、それぞれの人のところへ届けられた「入場整理券」のはがきを持って、上の絵の①のところへ行きます。ここでは、「名簿対照係」の人が、「選挙人名簿」でその人の名前をさがし、本人であることをたしかめます。「選挙人名簿」というのは、満二〇才以上で、その地域に一定期間住んでいる人を書き出したものです。この名簿に名前がのっていなければ投票できません。
・「選挙人名簿」と対照して、まちがいのないことがわかると、つぎに上の②の人のところで、衆議院議員の投票用紙と最高裁判所裁判官の国民審査の用紙をもらいます。(最高裁判所の裁判官は、その人が裁判官になってからのはじめての衆議院議院選挙のときと、その後も一〇年ごとに、国民から、信任できるかどうかの審査をうけることになっています。)
・つぎに、もらった投票用紙を持って③のところへ行き、衆議院議員に選挙したい人の名前を書き、最高裁判所の裁判官として信任できない人に「×」をつけます。ここは「記載台」とよばれ、前には、立候補者の名前を書いた紙がはられています。そして、投票する人は、だれの名前を書いたかわからないようになっています。
・最後に、④の投票箱のところへ行って、書き終えた用紙を入れます。投票箱には、げんじゅうにかぎがかけられています。
このように投票所のようすを見ても、選挙というのは、まちがいのないように、投票の秘密がきちんと守られるように、念には念を入れて進められていることがよくわかります。
選挙というのは、それほどたいせつなことなのです。
(光文書院)
2013/11/17(日) 午後 4:08

大仏ができるまで

2013-10-13 16:30:32 | 社会科
 
東大寺の大仏は、これまで、何度かの火災で焼かれ、そのたびに、つくり直されたり、修理されたりしてきました。奈良時代につくられたままで、現在に残っているのは、台座の蓮弁(れんべん、はすの花びら)の部分だけです。
奈良時代につくられた大仏は、高さ十五・九メートル、顔の長さ四・七メートル、左手中指の長さ一・七メートルもあったといわれています。(現在の大仏は、高さが約十五メートル、顔の長さが約五・三メートル、左手中指の長さが約一・一メートル)
このような大仏をつくるのに、どれだけの材料や人手が使われたのでしょうか。「大仏殿碑文」や「東大寺要録」に残された数字を見ると、つぎのようなことがわかります。

◎大仏づくりに使われた材料や人手

銅 約44万キログラム
ねり金 約400キログラム
すず 約7600キログラム
水銀 約2200キログラム
炭 約1200立方メートル
働いた人 のべ約260万人
※大仏がつくられたころの人口は、およそ800~900万人と考えられているので、3人に1人は大仏づくりのために働いた計算になる。
 それでは、どのようにしてつくったのでしょうか。はっきりしたことはわかっていませんが、おそらく、下の図のようであったろうと考えられています。
このような大きな仏像をつくるのですから、たいへんな苦労があったろうと思われます。
 

(光文書院)
2013/10/13(日) 午後 4:30
 

大仏ができるまで

2013-10-13 16:30:32 | 社会科


東大寺の大仏は、これまで、何度かの火災で焼かれ、そのたびに、つくり直されたり、修理されたりしてきました。奈良時代につくられたままで、現在に残っているのは、台座の蓮弁(れんべん、はすの花びら)の部分だけです。
奈良時代につくられた大仏は、高さ十五・九メートル、顔の長さ四・七メートル、左手中指の長さ一・七メートルもあったといわれています。(現在の大仏は、高さが約十五メートル、顔の長さが約五・三メートル、左手中指の長さが約一・一メートル)
このような大仏をつくるのに、どれだけの材料や人手が使われたのでしょうか。「大仏殿碑文」や「東大寺要録」に残された数字を見ると、つぎのようなことがわかります。




◎大仏づくりに使われた材料や人手




    • 銅 約44万キログラム



    • ねり金 約400キログラム



    • すず 約7600キログラム



    • 水銀 約2200キログラム



    • 炭 約1200立方メートル



    • 働いた人 のべ約260万人




※大仏がつくられたころの人口は、およそ800~900万人と考えられているので、3人に1人は大仏づくりのために働いた計算になる。


 それでは、どのようにしてつくったのでしょうか。はっきりしたことはわかっていませんが、おそらく、下の図のようであったろうと考えられています。
このような大きな仏像をつくるのですから、たいへんな苦労があったろうと思われます。
イメージ 2
(光文書院)


マゼランの世界一周

2013-08-14 03:52:42 | 社会科
一五一九年八月一〇日、スペインから西へ向かって航海を始めた五せきの船がありました。 総指揮官はマゼラン。これにしたがう乗船員は二三九人。マゼランは、「地球はまるいから西へ西へ進めば、かならずアジアに出られるはずだ。」と考えて、スペイン国王カルロス一世をときふせ、国王から船と乗船員をかりて出航したのでした。 マゼランの一行は、まず南アメリカ大陸へ着き、その後、大陸ぞいに南へ南へと進みました。この大陸の南には必ず西へ進む道があると考えたからです。たしかにそれはありました。今「マゼラン海峡」と呼ばれている海峡がそれです。しかし、この海峡でマゼランは暴風雨におそわれ、ひどい目にあいました。 ところが、海峡を通りぬけてみると、見わたすかぎりの広い海があります。マゼランは、この海を「太平洋」と名づけました。しかし、この海は想像していたよりもはるかに大きな海で、いくら進んでも、島らしいものは見えません。そして、まきも水も食料もほとんど底をついたころ、一一〇日目にして、やっとフィリピンに着いたのです。 マゼラン自身は、このフィリピンで原住民との戦いのときに死んでしまいましたが、生き残った乗組員たちは、出航してから一一二二日目に、やっとスペインに着きました。つまり三年以上もの月日をかけて、世界一周をおえたわけなのです。もちろんこの三年間の旅をすごしてきた人々は、見るもの聞くものが新しいことばかりであったにちがいありません。
今では、航空機を利用すれば、世界一周は、わずか二、三日でできます。また、通信機の発達によって、世界各地のできごとがその日のうちに知らされるようにもなりました。それとともに、世界の人々が、おたがいに理解しあえるようになってきています。
わたしたちは、この新しい時代の中で、世界というものを正しく見つめ、どうすれば世界の人々が平和で楽しくくらしていけるようになるか、考えていかなければなりません。(光文書院)
• 2013/8/14(水) 午前 3:52