サツマイモに、アサガオの花をさかせてみましょう。
まず、めの出たアサガオの根を半分くらいのこして、ななめに切ります。
つぎに大きいサツマイモに切りこみを入れ、この根をさしこみ、ビニルのひもでしばります。
新しいめが出てくるまで、ひかげにおき、土がかわかないように、ときどき、水をやります。
やがて、アサガオのくきがのびて、ある朝、目をさますときれいなアサガオの花がさいているのが見られるでしょう。
どうして、、サツマイモにアサガオの花がさくのでしょう。アサガオとサツマイモの花の形をくらべると、とてもよくにていますね。アサガオもサツマイモもヒルガオ科で、おなじなかまの植物なのです。だから、つくりやはたらきがよくにているので、アサガオは、根がサツマイモにつき、そのよう分をとって大きくなり、花をさかせることができます。
サツマイモのかわりに、ジャガイモを使ったらどうなりますか。考えてみましょう。
1986(昭和61)年2月、僕は確か下校中の野瀬坂の下りで、亀戸君や角野君らとおしゃべりにアニ玉の存在を知った。
バロムワンの主題歌をそらで唄えるのは相中でただ一人と自負していた僕は内心焦りもした。
そんな番組があれば、アニメ・特撮の主題歌を数多く暗記して、話のネタを取っていた自分の脅威になりはしないかと。
当時、僕は2年でありアニメに興味を失ってはいたものの、アニ玉なるラヂオ番組をラジカセにテープをセットして聴いてみることにしたのである。
「九時です! アニメ玉手箱」との岩崎アナウンサーのタイトルコールとともに軽快な曲が流れてきて自室のベッドの上でまずまずワクワクしたのを覚えている。
初めて聴いた日は2月の月末特集を組んでおり、「タイム・ボカン シリーズ特集」であった。
第1曲目は懐かしい「タイム・ボカン」の主題歌ではないか、思わず歓喜興奮した。
ともかく、それから僕は毎週一所懸命に聴いた。
また、投稿リスナーの方々は、僕の何倍もいや何万倍もアニメ曲をご存知であった。
焦燥の気もちは、アニ玉リスナーとなるに及んで、他のリスナーへの畏敬尊敬の気持へと変化した。
僕は井の中の蛙大海を知らずの諺を思い知ったのである。
竹内君もこの番組のことを教えてくれたが、それは僕が聴くようになってから大分経ってからのことであったと思う。
その年の年末特集「おもいっきり古い 特集」略して「おも古特集」は、アニ玉の偉大さを痛感した特集でもあった。
1987年11月28日の巨大ロボット特集のころからだんだんとついてゆけなくなった。
その理由としてはOAVなどの大量の新作アニメ曲に僕がなじめなかったせいである。
新曲を聴くのが苦痛になったのだ。
1989年アニ玉は青ラジと改名され、僕は聴くのを止した。高3の春である。
バロムワンの主題歌をそらで唄えるのは相中でただ一人と自負していた僕は内心焦りもした。
そんな番組があれば、アニメ・特撮の主題歌を数多く暗記して、話のネタを取っていた自分の脅威になりはしないかと。
当時、僕は2年でありアニメに興味を失ってはいたものの、アニ玉なるラヂオ番組をラジカセにテープをセットして聴いてみることにしたのである。
「九時です! アニメ玉手箱」との岩崎アナウンサーのタイトルコールとともに軽快な曲が流れてきて自室のベッドの上でまずまずワクワクしたのを覚えている。
初めて聴いた日は2月の月末特集を組んでおり、「タイム・ボカン シリーズ特集」であった。
第1曲目は懐かしい「タイム・ボカン」の主題歌ではないか、思わず歓喜興奮した。
ともかく、それから僕は毎週一所懸命に聴いた。
また、投稿リスナーの方々は、僕の何倍もいや何万倍もアニメ曲をご存知であった。
焦燥の気もちは、アニ玉リスナーとなるに及んで、他のリスナーへの畏敬尊敬の気持へと変化した。
僕は井の中の蛙大海を知らずの諺を思い知ったのである。
竹内君もこの番組のことを教えてくれたが、それは僕が聴くようになってから大分経ってからのことであったと思う。
その年の年末特集「おもいっきり古い 特集」略して「おも古特集」は、アニ玉の偉大さを痛感した特集でもあった。
1987年11月28日の巨大ロボット特集のころからだんだんとついてゆけなくなった。
その理由としてはOAVなどの大量の新作アニメ曲に僕がなじめなかったせいである。
新曲を聴くのが苦痛になったのだ。
1989年アニ玉は青ラジと改名され、僕は聴くのを止した。高3の春である。
2009/8/15(土) 午後 0:52