日本の8月は、皆さんにとって楽しい時期と、ご先祖の霊を迎えるお盆の二つの顔があります。
先の大戦終結が8月15日でもある事より、特別なものとなりました。
今年も蝉の声に包まれた靖国に、菊の花を献花させていただき、英霊に感謝の誠意(まこと)を捧げてまいりました。
昨今、『平和と自由』の二文字を、自己都合的に解釈されてる方々を散見致し、大変空しく且つ悲しい日本になってるのではないかと危惧してなりません。
英霊の方々が残して下さった数々の言乃葉を、今一度己に刻み込み、歪みかかった日本の姿勢を正していかなければならないと感じております。
改めて追悼の意を表すべく、数多い英霊の言乃葉数編を拝読願えれば幸甚です。
□ 両親と面会 海軍大尉 安達卓也命
神風特別攻撃隊第一正気隊
昭和20年4月28日
沖縄方面にて戦死
兵庫県竹野町出身 東京帝國大学 23歳
遥かな旅の疲れの見える髪と眼のくぼみを、私は伏し拝みたい気持ちで見つめた。私の為に苦労をかけた老いが、父母の顔にありありと額の皺にみられるやうな気がした。何も思ふことが云へない。ただ表面をすべってゐるにすぎないやうな皮相的な言葉が二言、三言口を出ただけであり、剰(あまつさ)へ思ふ事とは全然反対の言葉すら口に出やうとした。ただ時間の歩みのみが気になり、見つめる事、眼でつたはり合う事、目は口に出し得ない事を云つて呉れた。
母は私の手を取って、凍傷をさすつて下さつた。私は入団以来始めてこの世界に安らかに憩ひ、生まれたままの心になつてそのあたたかさをなつかしんだ。私はこの美しい父母の心温い愛あるが故に君の為に殉ずることが出来る。死すともこの心の世界に眠ることが出来るからだ。僅かに口にした母の心づくしは、私の生涯で最高の美味だつた。涙と共にのみ込んだ心のこもつた寿司の一片は、母の愛を口移しに伝へてくれた。
「母上、私の為に作つて下さつたこの愛の結晶をたとへ充分戴かなくとも、それ以上の心の糧を得ることが出来ました。父上の沈黙の言葉は、私の心にしつかりと刻みつけられてゐます。これで私は父母と共に戦ふことが出来ます。死すとも心の安住の世界を持つことが出来ます。」私は心からさう叫び続けた。
戦の場、それはその美しい感情の試煉の場だ。死はこの美しい愛の世界への復帰を意味するが故に私は死を恐れる必要はない。ただ義務の完遂へ邁進するのみだ。
一六〇〇、面会時間は切れた。再び団門をくぐつて出て行かれる父母の姿に、私は凝然として挙手の礼を送つた。
□ 死の覚悟 海軍少佐 古川正崇命
神風特別攻撃隊振天隊
昭和20年5月29日
沖縄にて戦死
奈良県出身 大阪外語 24歳
人間の迷ひは実に沢山ありますが、死に対する程、それが深刻で悟り切れないものはないと思ひます。これだけはいくら他人の話を聞いても、本を読んでも結局自分一人の胸に起る感情だからです。私も軍隊に入る時は、それは決死の覚悟で航空隊を志願したのですが、日と共にその悲壮な謂はば自分で自分の興奮に溺れてゐるやうな、そんな感情がなくなつて来てやはり生きてゐるのは何にも増して換へ難いものと思ふやうになつて来たのです。その反面、死ぬ時が来たなら、それや誰だつて死ねるさ、と云ふ気持ちを心の奥に持つやうになります。然し本当に死ねると云つてゐても、いざそれに直面すると心の動揺はどうしてもまぬがれる事は出来ません。私の今の立場を偽りなく申せば、此の事なのです。私達は台湾進出の命を受けてジャカルタを出ました。いよいよ死なねばならぬ、さう思ふと戦にのぞむ湧き上る心より、何か、死に度くない気持ちの方が強かつたりするのです。わざわざジャワから沖縄まで死ぬ為の旅を続けねばならぬ、その事が苦痛にも思へるのです。
求道
戦死する日も迫って、私の短い半生を振り返ると、やはり何か寂しさを禁じ得ない。死と云ふ事は日本人にとつてはさう大した問題ではない。その場に直面すると誰もがそこには不平もなしに飛び込んでゆけるものだ。然し私は、私の生の短さをやはり寂しむ。生きると云ふ事は、何気なしに生きてゐる事が多いが、やはり尊い。何時かは死ぬに決まつてゐる人間が、常に生に執着を持つと云ふ事は所謂自然の妙理である。神の大きい御恵みが其処にあらはされてゐる。子供の無邪気さ、それは知らない無邪気さである。哲人の無邪気さ、それは悟り切った無邪気さである。そして道を求める者は悩んでゐる。死ぬ為に指揮所から出て行く搭乗員、それは実際神の無邪気さである。
和歌
・雲湧きて流るゝはての青空の その青の上わが死に所
・下着よりすべて換ゆれば新しき 我が命も生れ出づるか
・あと三時間のわが命なり 只一人歌を作りて心を静む
・ふるさとの母の便りに強き事 云ひてはをれど老いし母はも
□ 硫黄島栗林兵団長より 大本営宛 最後の電報
陸軍大将 栗林忠道命
昭和20年3月17日
硫黄島にて玉砕
長野県埴科郡西条村出身
戦局遂に最後の関頭に直面せり、十七日夜半を期し小官自ら陣頭に立ち皇国の必勝と安泰を祈念しつつ、全員壮烈なる総攻撃を敢行す、敵米攻以来想像にあまる物量的優勢を以って空海陸よりする敵の攻撃に対し克く健闘を続けたるは小職の聊(いささ)か自ら悦びとする所にして部下将兵は真に鬼神をも哭(な)かしむるものあり、然れども執拗なる敵の猛攻に将兵相次いで斃れ、為に御期待に反しこの要地を敵手に委ぬるの已むなきに至れる誠に恐懼(きょうく)に耐へず。幾重にもおわび申し上ぐ、特に本島を奪還せざるかぎり皇土永遠に安からざる思ひ、たとへ魂魄(こんばく)となるも誓って皇軍の捲土重来(けんどじゅうらい・けんどちょうらい)の魁(さきがけ)たらんことを期す。
今や弾丸尽き、水涸れ、戦ひ残れる者全員愈々(いよいよ)最後の敢闘を行はんとするに方り、熟々皇恩の忝(かたじけな)さを思ひ粉骨砕身(ふんこつさいしん)悔(く)ゆる所あらず。
茲(ここ)に永へにお別れ申し上ぐ。
・国のため重きつとめを果し得で 矢弾つきはて散るぞ悲しき
昭和二十年三月十七日
※ ご紹介したい「言乃葉」は数知れずありますが、今回はここまでとします。この『英霊の言乃葉』は現在8巻、一冊500円で販売されています。筆者は靖国神社遊就館にて購入致しましたが、郵送もありますので、ご希望の方は靖国神社までお問い合わせ下さい。
戦争を絶対悪とし、耳も目も塞ぐマスコミの論では、私達の父祖の魂はいつまでも安らぐことはできません。これら「言乃葉」から伝わるものには、国家への忠誠以前に故郷や肉親への愛情があふれ、自己を見つめる真摯な姿があります。家族を愛し、故郷を歌を愛し、だからこそ国を愛し戦ったのです。
私達企業人も、上述の気持ちを胸に刻み込み、苦難を乗り越え確かな一歩を地道に歩んで行くべきと考えます。
御霊の帰る蝉時雨のふる8月の靖国へ、護国神社へ、空へ、今年も感謝の誠意を捧げます。