宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「耳根呪」

2014年05月31日 | Weblog



(虚空蔵菩薩)


耳の中に虚空蔵菩薩がおられるのを観想して誦す。

「チャン・ア・ガベイヤ・ソーハー。」
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2 コメント

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ジヨンに生前会えてたら (ただ一言 ありがとう)
2014-05-31 01:14:02
 幼少期は月光仮面にお世話になった。
勿論赤影にも・・・
やがてビートルズへと移行して
ジョン様に仮に会えてもし一言なら
  ありがとうと言うしかコトバがないね。

以下こぴぺ
       ジョン・レノンの言葉

 『ジョン・レノン120の言葉』という本が昨年の暮れに発売された。2005年はジョン・レノンの出生65年、死後25年という節目の年でもあった。これは2005年10月に発売されたK・ローレンス著のJohn Lennon in his own wordsの抜粋翻訳である。この本はそのジョンがビートルズとして活躍し始めてから彼の死までのインタビューやプライベートで彼の話した言葉から抜粋したものである。それらの項目は以下のように分類されている。

 彼自身について、音楽について、人生について、平和について、政治について、ビートルズについて、コンサートについて、名声について、ファッション、ドラッグ、マスコミ、映画について、ジョン・レノンについての証言。

 これまでジョンをただ、愛と平和を訴えている人だと思っていた人がこの本の彼の発言を読んだらきっと驚くだろう。彼は繊細でいながら皮肉屋で、大胆でいて優しい人物だということがわかる。この中で私の印象に残ったいくつかの言葉から彼の人間性を浮かび上がらせたいと思う。まず、「彼自身について」に次のような言葉がある。

 「僕はごく普通の人間だよ。何冊も出てるビートルズの本を読めば、僕が普通だってことがわかるはずさ(引用001番)」と、雑誌のインタビューで語っている。この言葉の中にジョンの飾らない人間性を見ることが出来る。さらに「名声について」で次のように述べている。

 「最後のツアーのとき、目や手足に障害のある子供たちが何人も楽屋にやってきた。男の子の母親がこう言うんだ。“さあ、キスをしてやってください、きっと目が見えるようになるわ”ってね。僕たちは決して冷酷な人間じゃないけど、“この子に触って。歩けるようになるかもしれないから”なんてヒステリックに言われちゃ、その場を走って逃げ出したくなる(092)」

 そして、次に彼の大胆さが災いしてしまった言葉に次のようなものがある。「キリスト教は消滅するよ。消えてしぼんでしまう。議論の余地なんてない。僕の言い分は正しいし、正しいことが証明されるだろう。今やビートルズはキリストより人気がある。ロックンロールかキリスト教か、どっちが先に消えることになるだろう(097)」この言葉はジョンの典型的な皮肉で本国イギリスではまったく問題にならなかったが、それから何ヶ月も経った後にアメリカのティーンエイジの雑誌「デート・ブック」に部分引用された事をきっかけに、熱狂的なアメリカ人キリスト教信者の間で大規模な抗議論争を巻き起こした。特にバイブル・ベルトではビートルズのレコードが燃やされ、KKKがビートルズの人形を焼き、アルバムを火のついた十字架に打ち付けるなど大波紋をもたらした。それから間もなくしてジョンはこう謝罪した。

 「もしテレビの方がキリストより人気があると言ったのなら、こんな騒動にはならなかっただろう。口にしてしまったことを申し訳なく思っている。僕は神に反対しているわけでも、キリストや宗教に反対しているわけでもない。キリストをけなしもしなければ非難もしていない。あくまで事実としてああ言ったまでだし、イギリスでは実際そうなんだ(098)」バチカンではジョンの謝罪を受け入れられたが、その後も脅迫の電話や手紙が殺到し、ビートルズも相当に参っていた。またコンサート中はどこかに暗殺者が潜んでいるかもしれないという恐怖が彼らの演奏をあっさりと、気の抜けた物にしてしまった。元々コンサートに対して観衆の声があまりにうるさく、自分たちの演奏をしっかり聞く者がいないことにほとほと飽き飽きしていた彼らがこの記事が載ったすぐ後のサンフランシスコで行った公演を最後に、コンサートをしなくなる大きな要因のひとつになってしまったと言われている。

 次にジョンの代名詞でもある皮肉屋としての言葉にこんなものがある。

 「戦車に乗って戦争を勝利に導いた人しかMBE(大英帝国勲位)をもらう資格はないのだと思っていました(055)」1965年10月25日の授与式で言った言葉だ。MBEとは大英帝国の最も優秀な一員という意味の勲章で、主に戦争功労者に送られる勲章だった。これは労働党党首ハロルド・ウイルソン首相の画作によるもので、イギリスの新しい輸出品への感謝の表明だったのだが、これに対して賛否両論が起こり勲章を返すと言った戦争功労者もいた。そしてこのジョンの発言が勲章を返上しようとしている人々をさらに激怒させることになった。その4年後、エリザベス女王へこんな手紙を送って、勲章を返上している。

 「女王陛下殿、私は、英国のナイジェリア・ビアフラ問題への介入、ベトナムにおけるアメリカ支持、そして“コールド・ターキー(自身のレコード)”がチャートを滑り落ちてることに抗議して、ここにMBEを返還します。愛を込めて(056)」ジョンのこうした相手を選ばずに平気で皮肉を言ってしまうところが彼の人気のひとつなのである。

 そして最後にジョンと言えば平和の言葉である。私はこの言葉にジョンの平和への全てが込められていると思う。

 「戦争は終わる、もし君が望むなら(052)」ジョンは平和について色々唱えているが、彼は必ず「もし君が望むなら」と、1人1人の考え方の変化を求めていた。ジョンは暴力による弾圧を徹底的に反対しており、暴力ではシステムを変えることは出来ないと言い続けていた。「平和を我等に」は戦争に反対している人々の反戦歌となり全世界でヒットした。「ジョンは歌で世界を変えようとしたのです」とヨーコは述べている。「平和を我等に」の発売後、間もなくしてビートルズは解散をしてしまう。解散してからもジョンはヨーコと音楽活動そして平和運動を続けた。名曲“Imagine”、“Happy Christmas (War Is Over)”はビートルズ解散後初めてレコーディングされたものだ。彼の平和のメッセージは単純でいてとても深いと私は思う。しかし、悲しいことに彼の平和への願いはまだまったく達成されていない。そうではあるが、彼は今もなお、重要で影響力のある人物である。

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キリスト教に対する見方 (もみ@大満嶺珠露)
2014-05-31 08:48:54

|・)…

現在 教会は多く残っているけれど、
本質を維持した教会は
あまり多くないみたい。

そういう意味であれば 確かにジョンは正しいように思われて、
「教会はある、でもキリスト教はない」
それは 優れた神学的な考察になりそうだけど
そうではないみたいだね|・)

でも もし今 ジョンが生きていたら

「僕が言った通り キリスト教は消えつつあるが、
しかし 本物のロックンロールも失われている、
どちらが先という事はなかった」

と言うのかも|・)…

アメリカの最も伝統あるカトリックのメディアさえ、
「この最も暗い時代を 我々はどう乗り越えるか」
という事を提言し、
しかも ヨハネ・パウロ2世を聖人と認定した事に
公然と異を唱えていたばい。


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