水辺の怪談には しばしば「青白い手が何本も水面から伸びて 水辺にいる人を引き込む」
というものが 昔から見られますが、
それを千葉県の一部地域では 「千手死霊門」と呼ばれているそうで、
その話しを読む限り、
それらの陰霊の集団は 人間の上丹田にある奇魂を狙うようで、
頭(上丹田)まで水中に引き込まれてしまうと 奇魂を奪われてしまい
以後 廃人となってしまうようです。
また 「気絶している人は死霊門に飲み込まれない」という法則は、
つまり 「死霊門を形成する陰霊は 人間の魂を欲しがっており、
気絶してしまうと 人間の魂が肉体から完全に遊離してしまうので 手に入らなくなってしまう、
そのため 用なしとして手放される」
という事ではないかと思われます。
そして 死霊門に飲み込まれた人は、
次に 自分が死霊門を形成する存在になってしまうと思われ、
普段から信仰を持ち 霊的守護を受ける事がまず重要であると言えそうです。
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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最近まとめサイトで見て知った「九死霊門」って話。
実は似たような話が俺の父方の実家付近(千葉のI市)に言い伝えとして残っている。
それは「千手死霊門(せんじゅ・しりょう・もん)」というものだ。
主に水の中に現れる現象で、例えば沼や池や川、
人工的に作られた水田やダムなどにも発生することがあるらしい。
水深の深さや時期はあまり関係なく、水の中に突然現れて、忽然と姿を消すらしいのだけど、
夏場など特に水場に入りやすい時期に、事故に遭う人が増えるらしい。
この千手死霊門だけど、少し水の濁った場所に発生し易く、
青白い腕が何本も何本も水面を目指して伸びてきて、
その付近にいる人間を無理やり水中に引き込むのだ。
そして引き込まれた人間が頭の先まで完全に水没すると、
もう戻ってくる事が出来ないと言われている。
正確には体は戻ってくるのだけど、精神が蝕まれて正気を失ってしまうらしい。
決して深く無い浅い水田のような場所でも、
何故か物理法則を無視するかのように完全に水中に引き込まれ、
頭まで水没すると正気を失って廃人のようになってしまう。
これから水場で遊ぶ機会も増えてくるとは思うけど、
少し薄暗いような濁った水面には十分に気を付けてもらいたいと思います。
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私の実家がある地域は山が多く、沢山の特徴があるのですが、
野生のクマが生息していることでも有名な地域です。
春から秋にかけては、都会から温泉や観光の目的で多くの客が訪れます。
ここら辺の集落では、昔から山菜取りなど山に入って生計を立ててきた人も多く、
その中でもクマとの遭遇というのが、最も怖い現実的な話として伝えられています。
しかし、そのクマと双璧を成す怖い話がもう一つあるのです。
山へ入る場合、通常はクマを避けるためにクマ避けの鈴を身につけます。
そのクマ避けとして昔から、鈴を身につける以外にやってはいけない、と言うのが、
我々の集落で言い伝えとして残っているのです。
詳細な方法についてはなぜか明言が避けられてきたものの、
私も幼いころから、鈴を使う以外の方法でクマ避けをしては決してならない、と教え込まれてきました。
下手をすると、開いてはならない『霊門』を開けてしまう事がある、というのがその理由です。
その霊門は、『九死霊門(きゅうしりょうもん)』と呼ばれているのですが、
一説によると、『急死霊門』と書いて『きゅうしれいもん』と読む場合もあるようです。
この霊門の先には、冥界へと繋がる巨大な霊道がぽっかりと口を開けており、
付近を通るありとあらゆる生命体の魂を、ブラックホールさながらに引きずりこんでしまう、
という恐ろしい言い伝えがあります。
その霊門が一度開いてしまうと、人の力では決して閉じることが出来ず、
次に閉じられるのがいつになるのかは、全く不明とのことです。
ただ、ある一定数以上の魂を引きずり込んだ後なのか、
それともある一定期間を過ぎた後なのかははっきりしていないものの、
何もしなくても、いつの間にか閉じてしまうと伝えられています。
その霊門ですが、1人以上の人間の魂を生贄に開門するとされており、
開門される条件として、はっきり分かっているものがいくつか伝えられています。
1、夕方から翌朝方までの、薄暗い時間帯から完全な闇までの時間帯であること。
2、1人ないしは2人という、少人数だけで入山していること。
3、ある特定のリズムで何らかの音を立てること。
4、開門の直前まで意識が保たれていること。
この他にも条件があるのかもしれませんが、私が覚えている範囲ではこんなところです。
実際にこの霊門が開いたという文献は殆ど残っていないのですが、
はるか昔に、多くの悲劇を生みだしたということが言い伝えで残っています。
また、仮にすべての条件を満たして霊門が開いてしまったとしても、
昼間などの明るい時間帯には、特に問題が発生しないようです。
つまり、薄暗くなるとぽっかりと霊道が口を開け、
明るくなるとその霊道が一時的に道を閉ざすというのです。
九死霊門の名前の由来ですが、
8人の死霊と一人の門番によってこじ開けられる霊門だから、という説があります。
入山した人間が、少なくとも上記の条件をすべて満たした状態で、何らかのリズムで音を鳴らした時に、
それに呼応する形で、その人間を取り囲む8方向から順に、何らかの返事が返って来るといいます。
最初は遠巻きに聞こえていたその返事が、次第に輪を狭めていき、
最終的には、その返事の正体が見えるか否かというところまで近づいたときに、
開門した霊道の内側(おもに地面や、山の斜面等)から不意を突いて、
最後の死霊(門番)が襲いかかってきて、
その人物を霊道に引き込んだことをもって、霊門が開かれるというのです。
正直、幽霊を見たことがなかった自分は、あまりその手の話を信じていませんでした。
ところが最近、その内容に非常に似通った内容の書き込みが某スレに投稿されたので、
びっくりして書こうと思いました。
その内容によると、一般的に誰もがやってしまいそうな単純な方法で、霊道が開いてしまうようです。
そして、その書き込みでは軽く触れられていたのですが、
開門の直前くらいのタイミングでたまたま気絶して助け出されたため、
霊門が開かなかったのかなという雰囲気が読みとれました。
我々の言い伝えとして残っている話でも、
最後の最後で何らかの理由により気を失った人は、
その霊門に引きずり込まれなかった、という話が出てくるのです。
万が一、その九死霊門が開かれていたとしたら、
それ以降に知らずに入山した多くの人が、犠牲になったのではないかと思うと、凄く怖くなりました。
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この話は以前俺が旅先で経験した事実に基づいて書かせてもらう。
N県の温泉へ車で2泊3日の旅行へ出かけた時の話。
移動の途中で『森の巨人たち100選』と書かれた標識が突如現れた。
どうやら全国の国有林の中から100本選ばれた巨木の一つらしい。
特に巨木には興味の無かった俺だが、とりあえずどんなものなのか気になって、
吸い込まれるようにその場に車を停めた。
車の後部座席には妻子を待たせたまま、一人で見に行くことに…。
入口には巨木に関するちょっとした情報が掲示されていて、
それを一瞥してから、緑の絨毯のような切り開かれた道を登っていく。
何度か折り返しながら500m程度進むと、巨木への道のりを示す寂しい看板が現れた。
そこから先の道は道幅がほんの50cm程度しかなく、
良く見てみれば雑草がかなり大きく育っており、最近あまり人が通ったと思われる形跡もない。
こんな細い道を進んで行くのか…。
その日はぐずついた天気で、すでに夕方に差し掛かる時間帯のため、辺りが薄暗くなりかけている。
でもここまで来たのだからと思い、少し迷った末に再び登り始めることにした。
途中『この地域には野生のクマが生息します』という観光案内所の言葉を思い出してビビりながら、
拾った棒で適当な物を叩いて音を出しながら、残りの行程を突き進む。
しばらくして汗をかきながら、どうにか巨木まで辿り着くことが出来た。
これが100選に選ばれるほどの木なのか、と思って徐々に近づいていく。
石碑があり、『樹齢1000年以上』という記述を発見した。
その時、不意に「ポカーン…」という音が遠くで鳴り響いた。
先ほどまで俺がクマ避けに出していた音に若干似ているが、もっと力強い音だ。
俺の他にも誰かこの森にいるのかな?咄嗟にそう考えた。
だが、音の聞こえてきた方向は、今来た道とは違うようだ。
再びポカーンという音が聞こえてくる。先ほどよりも少し方向がはっきりとした。
それは、巨木を挟んだ反対側の方向から聞こえてくる。
だが、見たところ巨木の部分で道は行き止まりになっており、
それ以上先には人が入れそうな道が見当たらない。
暗くて深い森がずっと先の方まで続いている。
そうこうしているうちに、また音が聞こえてくる。
しかし今度は、先ほどとは別の方向から聞こえてきたようだ。
その音はまるで最初に聞こえた音に呼応するように、誰もいない森の中にこだました。
その音の余韻が消えかけた時、これまでの2つとは違う場所から「ポカーン…」という音が聞こえてきた。
辺りは見る見るうちに暗くなっていく。
湿った土から立ち込める霧が少し濃くなってきた。
今来たばかりの道が、急速にかき消されるような錯覚にたじろいだ。
じっと聞き耳を立てる。何かの合図だろうか?
だが、その木を叩くような音は一つ鳴ると、別の場所からまた一つ。
それが鳴り終わるとまた別の場所から一つという具合に、止まることなく聞こえてくる。
その音が俺のいる位置に向かって、徐々に狭められていることがわかった。
この場所は、森の入口から1km以上離れているはずだ。
今から急いで引き返しても、車を停めた場所まで戻るころには完全な闇に飲み込まれてしまうだろう。
どうしてこんな時間にこんな所へ来てしまったんだろうと後悔しながら、
鳥肌が立ち、嫌な汗が噴き出すのを感じた。
音はなおも範囲を狭めながら俺に近付いてくる。
もし音の主が人だとしても、どうやら5~6人ではきかないようだ。
正確な場所はわからないものの、10人程度はいそうな気がする。
俺は巨木を観察する間もなく、今来た道を急いで帰り始めることにした。
来たときに感じていたのは、この曲がり角の先にクマがいたらどうしよう?ということだった。
しかし今は違う。
この曲がり角の先に、音を立てている相手がいたらどうしよう?
そうした考えが頭に浮かびそうになるのを必死に振り払いながら、黙々と来た道を戻っていく。
その間も、絶えることなく木を叩く音が俺に近付いてきている。
ふとある曲がり角の手前に差し掛かった時だ。
その先から物凄く嫌な気配を感じて、先に進めなくなってしまった。
いや、気配ではない。ほんの小さな違和感だったのかもしれない。
それとも草の擦れるようなわずかな音だろうか?
何かがいる!だが見てはいけないような気がする。
しかし、音は確実に範囲を狭めながら俺に近付いてくる。
後ろを振り返る。
数分前に自分がいた辺りから、一際大きな音が聞こえてきた。
もう迷っている暇はない。どちらにしろ狭い一本道しか無いのだ。
気合いを入れ直して曲がり角の先に歩を進める。
その瞬間、一人の高齢者が足元に手を伸ばして、何かを取ろうとしている光景が目に飛び込んできた。
野球帽のような形の帽子をかぶり、狩猟の時に着るようなポケットの多いジャケットを羽織って、
ゆったり目のズボンを身につけている。
足元を見ると長靴のような靴を履いていて、そのつま先辺りに屈んで手を伸ばし、
何かを取ろうとしているのだ。
俺はびっくりした後、気を取り直し「あっ、こ、こんばんは!」と声をかけた。
顔の表情は帽子のツバの部分で全く見えない。
その高齢者は俺のかけた声に反応を示し、ゆっくりと体を起こし始めた。
そして顔が見えるかどうかというところまで立ち上がると、
ビデオの特殊効果を見ているように体が薄くなりはじめ、フェードアウトしてしまったのだ…。
気がついたら、俺は自分の車のすぐ横の砂利道に寝かされていた。
ゴツゴツした不愉快な背中の痛みで目が覚めたのだ。
心配そうに覗き込む見知らぬ男女が、俺を取り囲むように数名いた。
帰りが遅い俺を心配して車で待っていた妻が、通りがかりの地元の人を呼びとめ、
俺を探してもらったのだそうだ。
この近辺では、夕暮れ近い時間に巨木を見に行く人はあまりいないらしい。
時折旅行者が知らずに入り込んで、俺のように気絶した状態で見つかるらしいのだ。
俺が見に行ったのは秋ごろだったのだが、夏でも夜はかなり冷える場所らしく、
見つかるのが遅ければ、凍死した状態で発見されることもあると教えられた…。
音の正体は結局わからなかったのだが、
もしかしたらその付近で亡くなった方の霊なのかもしれない…。