goo blog サービス終了のお知らせ 

宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「西洋は彼を如何にとらえたか」

2006年12月28日 | Weblog
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
シアトルに住む9歳のジェシー・コンラッドは、
父ディーンと母リサと共に暮らす典型的な現代っ子。

ある日、一家の前にラマ・ノルブほか4人の僧が訪れた。
ノルブは尊師ラマ・ドルジェが9年前に他界した事、
そしてジェシーこそ、その転生活仏(トゥルク)であると
告げた。
その夜、リサは息子にノルブから贈られた本を読んで聞かせた。
それは古代インドのシッダールタ王子の物語だった。
ノルブは、ジェシーが他の候補者と共にテストを受け、
儀式に臨むためにブータンに赴かねばならないと両親に説く。
父に連れられてインドへ向かったジェシーは、他の2人、
ラジュとギータと共に、ノルブからシッダールタ王子の
物語を聞かされる。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

唯一この映画で印象に残ったシーンは、アメリカ文化と
宗教以外に対する視野を持たないジェシー少年の父親に
対し、ラマ・ノルブが視覚的に転生の仕組みを示そうと
したシーンでした。

ラマ・ノルブは最初湯飲みを割って中の茶を机の上にこぼし、
続いてこぼした茶を布巾で拭いて、しぼって見せました。
この様にして、外観や形状は常に変化しても、不変のものが
存在して、この様にして移ろい行くのであると表現したの
ですが、父親は冷笑して「(そんな布巾から絞った御茶など)
飲みませんよ。」と反応しただけでした。

チベット仏教に対する西洋人とラマとの質疑応答には、
必ずと言っていいほど、この転生の事実の有無に関する
ものがあります。
この場合の回答においては、しばしばいくつかの洋の東西を
問わない、客観的に転生が確認された例証を引き合いに出して
説明される事が少なくない様に見受けられます。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
スリランカのビランガ少年は、転生前のかつての生活に
ついてしばしば両親に語っていたが、はじめ両親は夢物語
であると笑っていた。
しかしあまりにも真に迫っているので、転生研究で高名な
ビネ先生のもとに息子を連れて行った。
少年はそこで「かつての僕の父は大工で、僕が10歳の時に
亡くなりました。
僕には母と二人の兄がおり、僕はコブラに噛まれて死に
ました。」と語った。

その後の調査で、別のある村で昔ジナ・ポジナという
少年がコブラに噛まれて死んだ例が見つかった。
そのポジナ家の人々を集めて尋ねると、彼らはビランガ少年を
一目見ただけで15年前に亡くなったジナ少年である事を
認めた。
ビランガ少年もポジナ家の人々をよく憶えていて、陶製の
玩具の猫を懐かしそうに抱きしめた。
これはジナ少年が大好きなものであったと言う。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
こうした客観的な例証に対し否定を試みるのは容易ですが、
「転生」に対する思推と観察によって人間の生き方が
変わります場合も少なくない様に感じます。
コメント (2)