楽善な日々

新社会人となった楽と、大学生善、おとん、そしておかんの日々を綴ります。新しい街に引っ越して、新しいスタートを切りました。

心に空間を

2022年06月16日 | 2022年日記
昨日は友達に誘われて紫陽花を見に出かけた。
雨の中、ちょっとドライブで遠出して、小旅行。

先日母に
「たかぼう(私の弟)がいるから、おかんちゃん(私)は来なくてもいい」
と言われて、傷つき、なかなか心が前向きにならない日々。
友達の紫陽花ツアーのお誘いも、どうしようかな、行く元気がでないなあと悩んでいた。

それでもおとんにプレゼントしてもらったカメラを携えて出かけることに。

紫陽花の庭園に到着。
門をくぐって、石畳に導かれるままに入っていくと、
目に飛び込んできた。
青、紫、ピンク、赤、白、緑、色の洪水が目に飛び込んできた。
思わず大きな声で「すてき~!!」って叫んでしまったくらいの景色。
心の中に渦巻いていた悲しみ、失望、怒り、その他もろもろの負の感情が心から少し追い出されていって、空いた隙間に、たくさんの色と雨の音が入り込んできた。

早速カメラを取り出して、撮ってみる。
あれ?スマホと違ってなんだか難しい。
思ったようには撮れないものだ。
傘をさすことも忘れて、一心不乱に撮るも首をひねってばかり。
友達には「宝の持ち腐れという言葉があるそうな」とからかわれる始末。
思わず、大きなカメラを慣れた様子で構えている年配の男性に声をかけてしまった。
「すみません。これで紫陽花を撮ってもらえませんか?」
おじいさんは、決め台詞なのか、こんなことを言いつつ引き受けてくれた。
「60肩なもので、これ以上腕があがらないのだけれど」
そして、撮ってみせてくれた写真のなんて素敵だったこと!!
白い紫陽花の真ん中に赤い紫陽花がぽつんと一つ浮かんでいる写真。
沢山の色が躍る景色から、魔法のように、ひとつの絵を切り取って見せてくれた。これがカメラの面白さなのか!楽しいなあ!
良い出会いと良い学びがあった。

谷川俊太郎さんのエッセイ集「ひとり暮らし」にこんな文があった。
「ゆとりはまず何よりも空間のことである。ラッシュアワーの満員電車のように、心がぎゅうづめになっていてはゆとりはもてないだろう。心にぎゅうづめになっているものが何であるかは関係ない。それが欲であろうと、感情であろうと、思考であろうと、信仰であろうと、動かすことのできる空間が残っていなければ、息がつまる。そして、動かずにこり固まってしまうと心はいきいきしない。他の心と交流できない。」

紫陽花の色の洪水に流されて、
私の心に空間ができた。
そうすると、カメラおじいさんとの交流も生まれて、写真という楽しい世界を学ぶこともできた。

帰り道、なぜか突然母から電話があった。
車の中だったけれど、友達に断って電話に出てみる。
「この間はごめんね。おかんちゃん、いつでも来てね。おかんちゃんも私の大事な子供だからね」

きっと、おじさん(母の弟)に怒られたりしたのだろう。
おじさんに言われたから電話してきたのだろうけど、ちょっとほっとした。

NHKの連続テレビ小説「ちむどんどん」を見ていたらこんな台詞があった。
「がんばってもどうにもならないことが人生。それでも、明日はきっと良い日になると思うことが大事」

紫陽花の旅。
ちょっと良いことがありました。

6月16日 おかん