楽善な日々

新社会人となった楽と、大学生善、おとん、そしておかんの日々を綴ります。新しい街に引っ越して、新しいスタートを切りました。

最強にクレージーなおばあちゃん  (読書感想)

2022年07月11日 | 読書
"My Grandmother asked me to tell you she's sorry"  Fredrick Backman

エルサは小学校でいじめられている。
ちょっと変わり者だからだ。
エルサはいつも独りぼっちだ。
でも大丈夫。
最強にクレージーなおばあちゃんがいるから。
警察に猿のフンを投げつけちゃうようなクレージーなおばあちゃんが。
学校からダッシュで逃げ帰り、おばあちゃんのもとへ。
クレージーなおばあちゃんは、エルサに「ミアマス王国」の話をしてくれる。
ミアマス王国では、誰もが変わり者だから、
普通でいる努力なんてしなくてもいい。
エルサはミアマス王国の勇者なのだ。
ミアマス王国の住人達を胸に、
現実の世界でもエルサは成長していく、本物の勇者へと。
やがて、独りぼっちだったエルサの周りには、
心と心でつながった友達が増えていく。
きっかけを作ってくれたのは、口汚い最強のおばあちゃん。

"Having a grandmother is like having an army.  This is a grandchild's ultimate privilege: knowing that someone is on your side, always, whatever the details.  Even when you are wring.  Especially then, in fact."
「おばあちゃんがいるっていうのは、軍隊を味方につけているようなもの。これは孫の究極の特権。いつでも、事情がどうであれ、誰かが味方をしてくれるって知っているわけ。自分が間違っているときでも。いいえ、そういうときこそ、特に。」

"Granny then said the real trick of life was that almost no one is entirely a shit and almost no one is entirely not a shit.  The hard part of life is keeping as much as on the not-a-shit side as one can."
「そうしたら、おばあちゃんはこう言った。人生のややこしいところは、完璧なくそ人間はほとんどいないし、完璧にくそじゃない人間もほとんどいない。人生で難しいのは、、できるだけ、どっちかというと、くそじゃない側にいられるようにするところかね」

おばあちゃんの語り聞かせは、私も大好きだった。
エルサのおばあちゃんのように口汚いクレージーな人ではなかったけれど、
私の祖母も、エルサのおばあちゃんと同じくらい、語り聞かせが好きだった。

おばあちゃんが幼い頃住んでいた、庭に川が流れる家。
福井地震の直前に、田んぼからわらわらと出てきたカエルたち。
多摩川の氾濫で床上浸水してしまい、水にぷかぷか浮いていた大事なお米。
おじいちゃんの出兵のときに、駅に落ちたカミナリ。

私の頭の中で、景色が鮮明に浮かんでくるまで
繰り返し繰り返し聞いた
おばあちゃんの昔話。

私も孫が生まれたら、たくさんのお話を語ってみたい。
私の人生で見てきたものを語ってあげたい。
面白い経験を語ってあげたい。
そして、ときどき、エルサのおばあちゃんのように
するどい人生論なんか語れたら恰好よい。

でも、楽は言う。
「私は結婚しないからね~」
「子供は生まないからね~」
ええ~。
そんなあ~。
最強の味方になる準備はできているのに。

7月11日  おかん


子供の巣立ち

2022年07月09日 | 2022年日記
毎年、家の周りにつばめがやってくる。
いつの間にかやってきていて、
つばめの姿を見て、春がきたことを実感する。

晴れた日は高い所を
雨模様の日は低い所を
ひゅーんっと飛んでいく。
洗濯物を干していると、すぐ近くまで飛んでくる。
ご近所さんに挨拶でもしているのだろうか。
電線に親つばめが3羽とまって井戸端会議をしていたこともある。

昔、道後温泉の近くに住んでいた。
善は道後の生まれ。
楽は元気いっぱいの幼児だった。
そのころの家の軒下に、毎年やってくるつばめがいた。
軒下に、ちょこっとずつ、セメントみたいなものをつけていく。
親つばめが行ったり来たりしているうちに
みるみるセメントが盛り上がっていき、巣の出来上がり。
そのうち、ひながかえりはじめて、ちいちいちいちい賑やかになる。
小さい楽が箒をもって玄関に出て、
「つばめのお掃除、つばめのお掃除」と張り切っていた。

先日、洗濯物を干しながら、ふと気が付いた。
家の近くを日々飛び回っていたつばめがいない。
どうやら、気づかないうちに、巣立っていったようだ。
今頃はどこの空を飛んでいるのだろう。
親つばめも、子つばめも、元気に飛んでいますように。

箒をもって「つばめのお掃除」をしていた楽も
世間へと巣立っていくときが近づいている。

仕事の関係上、地方勤務の可能性が高いそうな。
転勤族となって、
日本中の色々なところで暮らしていくのだろうか。
渡り鳥のように。

寂しくなってしまう。
でも、新たな旅立ちだ。
心から応援していこう。

「世界には、きみ以外には
誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、
と問うてはならない。
ひらすら進め」     ‐   ニーチェ

7月9日   おかん



人生の何に感謝しますか

2022年07月08日 | 2022年日記
ヨガで汗を流したあと、
少しの間目を閉じて、瞑想することにしている。

頭の中をからっぽにすることは難しいので、
背中をまっすぐにして座って、自己流にイメージをしてみる。

頭の上から太陽の光が体に入っていって、
右手、左手、右足、左足へと伝わっていくイメージ。
身体全体に光が行きわたってからは、
意識が身体から遠ざかっていくイメージ。
例えていうと、
ビデオカメラの映像が、被写体(私)からどんどん遠ざかって行って、
被写体がどんどん小さく小さくなっていくイメージ。
カメラの目はどんどん私から離れて行って、私が小さくなっていく。
ひゅーんっと遠くへ吸い込まれるような感覚になる。
ひゅーんと吸い込まれていく先は、
無重力の宇宙をイメージして、
身体に何の重さも感じない空間ですーっと浮いている感覚を感じてみる。

自己流の瞑想。
でも時々、瞑想の仕方を教わってみるのもよい。

Netflixに、「ヘッドスペースの瞑想ガイド」という番組がある。
瞑想の仕方、考え方を教えてくれる。
ちょっとした説明のあと、声が瞑想を導いてくれる。
声にしたがって、目を閉じて、声の言う通りにイメージを膨らませる。

今日は
すうっと心が落ち着いてきたところで、
自分にこう問いかけてみてくださいと言っていた。
"What do you appreciate in your life?"
「あなたの人生で、何に感謝していますか」

一番先に思い浮かんだのは
家族だった。
子供たちとおとん、みんなと一緒にいられること。
そして、考えが漂っていって、行きついたのは
「ここにいること」

意外だった。
生きづらさを感じながら、いつも下手な生き方をしている私が
「ここにいること」に感謝しているとは思わなかったから。
もっと違う場所、もっと違う生き方を求めていると思っていた。
でも、その瞬間は、
「ここにいること」に感謝していた。

今、ここにいて
こうして下手だけど生きている。
口では泣き言ばかり言っているけれど、
こころの底ではこう思っているのかもしれない。
ここにいられて、よかった。

日々の生活に心が疲れたとき
自分に問いかけてみるとよいのかもしれない。
あなたの人生で、何に感謝していますか。

7月8日   おかん



自分と付き合うことの難しさ

2022年07月07日 | 2022年日記
晴れる日もあれば雨の日もある。
物事がすいすいと上手く運ぶときもあれば、
何をしても上手くいかなくて気分の凹むこともある。
誰でもそう。
みんなそう。

とは思ってはいるけれど、
私は自分を持て余すことが多い。
「生きづらさ」という言葉をよく聞くけれど、
その感覚がよくわかる。
世の中が生きづらいというより、
自分の「こころ」が生きづらい。
もっとシンプルに生きられたらいいのに。
難しく考えないで生きられたら、肩の力が抜けるだろうに。

谷川俊太郎さんのエッセイ「ひとり暮らし」に
「自分と出会う」という章があって、
心に置いておきたい文があったので、
自分の覚書のように、ここに書いておこう。

「ほんとは誰でも自分とつきあうのは大変なんじゃないか。
ただ大変なのを自分じゃなく、他人のせいにしてるだけじゃないか。
大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分と出会ったことにならないんじゃないか。上手に自分と出会うのを避けていくのも、ひとつの生きかたかもしれないけれど。」

「自分のこころだから分からないはずはないと思うのは誤りだ。
自分のこころはもしかすると他人のこころよりも分かりにくい。
ましてこころの奥にあるというたましいなんてものは、もっと分かりにくい。
分からないまま日々私は生きている。我ながら大胆だ。」

私も、分からないまま大胆に生きていこうか。
勇気をもって、大胆に、
自分をもてあましていこう。

人生とは自分への旅だ  ‐ ヘルマン・ヘッセ

7月7日七夕    おかん




ある一生

2022年07月05日 | 2022年日記
窓から吹き込む雨まじりの風を感じながら、
今日も「森本哲郎 世界への旅 9」
を読み進めていた。
今日のテーマは人生の四期。

インドの人たちは昔から人生を四期に分けて考えてきたそうな。
必要な知識を習得する「学習期」
一人前となり家族のために働く「家住期」
子供たちが独立し、ゆったりとした森の中の住まいに移り住む「林住期」
夫婦で聖地を巡礼して歩く「遊行期」

私は今、どの辺りにいるのだろう。
介護のために仕事を辞めて、家ではヨガや瞑想をし始め、もっと勉強してみたいことを探し始めた人生のポイントは「林住期」なのかしら。
いや、子供たちはまだ独立していないのだから、まだ「家住期」。
もう少し頑張っていこう。

人生の四期のことを考えていたら、
家族の一人を思い出した。

中学生のころ、私はアメリカに住んでいて、
そこで家族のメンバーが一人増えた。
ラブラドールレトリバーの「スック」だ。
日本にも一緒に帰国して、私が働き始めるまで一緒に過ごした。

犬は人よりも7倍も早く年齢を重ねていくそうな。
なので、スックは私に、彼の人生の四期を全部見せてくれた。

「学習期」はひどかった。
小さなスックは、幼いながらも家族を観察してランクづけをしたようだ。
どうやら私は最下位となったらしい。

スックは、若さが爆発する弾丸のように私の部屋にやってくる。
私をからかいに。
狙うのは靴下。
靴下を噛んで引っ張ると、咥えたままぐるぐる走り回る。
「スックやめて~」
と叫びつつ、私は引っ張られて、床の上をぐるぐる回る。
隙あらばちょっかいを仕掛けようと、やつはいつも狙っていた。

いたずらをして窮地に陥ったときも、
唯一怒らない存在、私のもとにやってくる。
ある日、ものすごく困ったような上目遣いで部屋に来た。
その口元には空き缶がぶら下がっている。
ドッグフードの空き缶を見つけて舐めようとしたら、
舌に、缶のふたのぎざぎざが刺さってしまったのだ。
あまりのことに私も卒倒しそうになったけれど、
ぐっと我慢して、抜いてあげた。
血はすぐに収まったけれど、舌に傷が残った。
「誰にも言わないで」
みたいな目で見るけれど、血も出ているし、言わないわけにはいかない。
後でこっぴどく怒られていた。

蜂に耳を刺されたときも、私に見せにきた。
耳が腫れて重くなっているものだから、頭が重い方に傾いていた。
どうしましょう、という顔で私の部屋にやってきた。
そのうち昼寝を始めたのだけれど、
寝返りを打って、腫れたほうの耳が下になってしまうと、
「キャン」
と一声痛がっていた。

私をからかって遊んだり、失敗してこっぴどく怒られたりして、
スックの「学習期」は過ぎて行った。

「家住期」のスックは、頼りになる存在へと成長していた。
毎日元気よく川沿いの土手に散歩に出かけ、河原には友達がたくさんいた。
中でもすごい友達は、ドーベルマンの兄弟だった。
スックを見ると、喜んで近づいてくる。
スックは人気者だ。
河原で野球のボールを見つけては、咥えて持ってくる。
投げてあげると喜んで拾いに行き、また持ってくる。
拾ったボールを集めて、野球チームに寄付したこともあったっけ。

「林住期」のスックは目つきが違ってきた。
私にちょっかいを仕掛けていた頃のやんちゃな瞳ではなく、
何か人生を達観したような落ち着き払った目になっていた。
仙人みたいな瞳。
スックの隣にいると心がほっとした。

「遊行期」のスックは、聖地巡礼などはしていないけれど、
家族の心の聖地のような存在の、おじいさん犬になっていた。
病気を患って、歩きにくくなっていたけれど、
大きな存在感でそこにいてくれた。

大学を卒業した私は、新米教師として働き始めた。
その日は日直で、校内を見て回り、窓の施錠を確かめる仕事があった。
仲良しの若い先生たち数人が待っていてくれて、
私の日直仕事が終わったら、ケーキを食べて帰ることになっていた。
さて、見回ろうかという瞬間、
急にお腹が差し込むように痛くなった。
「なんで?」
見回らないといけないのに、困ったな、と時計を見て時間を確認した。
見回りは待っていてくれた先生たちが代わりにしてくれた。
痛くなくなるまでソファーで休もうと横になると、
急に痛くなったのと同じくらい、急に痛みが引いていった。
一体、なんだったのだろう。

帰宅すると悲しい知らせが待っていた。
スックが亡くなった。
母と弟が見守る中、
スックの目の光がすうっと消えていったそうな。
静かな静かな最期だったらしい。

亡くなった時間を聞いた時、
鳥肌がたった。
私が急に動けなくなった、ちょうどその時間だった。
「おかんちゃん、もう行くよ」
と知らせてくれたのだと思う。

人生の四期を駆け抜けていって、
私に立派な生きざまを見せてくれた家族。
弟だったくせに、
あっという間に人生の先輩のようになっていったスック。
スックの仙人のような瞳を思い出す。
私もいつかはそんな瞳になれるのだろうか。

人生の四期について考えを巡らせていたら、
大事な家族のことを思い出した。

7月5日    おかん