楽善な日々

新社会人となった楽と、大学生善、おとん、そしておかんの日々を綴ります。新しい街に引っ越して、新しいスタートを切りました。

更年期を飛び越えろ

2021年12月20日 | 2021年日記
おとんと大学生カップルだったころなんて、
つい昨日のことのようなのに
友達とディスコに行って踊りまくっていたことなんて、
つい昨日のことのようなのに
楽が生まれて、善が生まれて、
二人のオムツのお尻をポンポンたたいていたのなんて、
つい昨日のことのようなのに
なんともう50代。
光陰矢の如し。

昨日は腰が痛かったけど、
今日は首が変だ。
朝起きたばかりなのに、もう寝たい。
どこかで聞いたことがあるような・・・。
目がかすんで、本が読みにくい。
今日は非常に体が冷える。
かと思えば、火照る。
日々、何かしらおかしいことになっている。

最近、顔の皮さえピリピリむけてきて、
干し野菜ならぬ、干しおばさんが完成しそう。
干し野菜は長持ちするし、煮物にすると味が濃くておいしいけれど、
干しおばさんはどんな風なのかしら。
味が出てきているのかしら。
濃い性格になってきているのは、うすうす感じている。

私が比較的多く持っているもの
それは、時間だ。

その時間をどのように使っていこうか。
としこばあばと時間を過ごそう。
英語の勉強をもっとしよう。
本をもっと読もう。
映画をもっと見よう。
そうだ!
そして、更年期と向き合おう!

とりあえず、
縄跳びをすることにした。

以前、縄跳びをする!
と家族に宣言して、
本当に三日坊主になってしまった。

なんで三日は続いたのか。
三日は続くけど、三日以上続けることのなんと難しいこと。
3という数字はそういう意味で神秘的だ。

「縄跳びはどこにいったのかね。せっかく良いやつ買ったのにね」
「骨は衝撃を与えることで強くなるんだよ。あーあ、せっかく買ったのにね」
家族の攻撃が痛かった。

もう胡麻化さない。
更年期と戦う強さを身に着けるために縄跳びをすることにした。
骨に衝撃を与え、強くするのだ。

今日、ちょっと飛んでみた。
明日も飛ぼうと思う。
そして、
そのまま更年期を飛び越えよう。

がんばります。

12月20日  おかん








おそらく浪人、だがしかし

2021年12月18日 | 2021年日記
早いもので、善は受験生だ。

高校生活をハンドボールばっかりして過ごしていた善。
結果、県15位くらいまで勝ち進み、最後まで全力で戦った。
私の働いていた学校のハンドの先生たちも
善のことを応援してくれたっけ。
合宿や大会や日々の練習。
挫折や、挫折を乗り越えた達成感。
そして戦いをともにした仲間。
ハンドボールに出会ってよかったね。

さて、受験だ。
高校生活少しも勉強しなかった善が机に向かっている。
自分のモチベーションのためにノートに番号をふって、
終わったノートも取っておくらしい。
今は17冊目。
スタートが部活引退してからだから、まだまだ17冊。

塾には行っていないし
本当にゼロからのスタートだから
おそらく浪人してしまうだろう。
それでも、広い背中を丸めて、机に向って、
なんと英語辞書だって引くようになって。
それだけで、甘い母は成長を実感して感動してしまう。

模試を受けに行ったけど、結果を見せてくれないなあ。
なんて思っていたある日、ふと発見した模試結果の表には、
英語120点中21点。

あれれ。
模試で全国最下位を記録した楽にも匹敵するできなさ。

なかなか点数になってくれない日々の勉強にも
負けずに取り組む善。
粘り強くなったね。
ハンドのおかげかな。

きっと、この日々が善を成長させてくれるはずだよ。
体中をぼろぼろにしながら取り組んだハンドボールが
君に感動を与えてくれたように
苦手な勉強にぼろぼろになりながら立ち向かっていくことが
君に大事な何かを与えてくれるはずだよ。
おかんは、そう思う。

応援しているよ。
がんばれ、善。

12月18日 おかん



よっちゃんじいじの人生

2021年12月17日 | 2021年日記
2021年10月、大きな別れがあった。
実父が亡くなった。
楽と善は、よっちゃんじいじと呼んでいた。
コロナ禍でなかなか会えない中、突然の死だった。
感情豊かな楽は大泣きし、善は無言で何かを想っている様子だった。
私は、気持ちが追い付かず、涙も出ない不思議な気持ちだった。

特別に一人ひとり順番に、ベッドに横たわるよっちゃんじいじに会わせてもらえた。
苦しそうに息をしていた。
大きく大きく、一生懸命に息をしていた。
意識障害を起こしているから、苦しそうだけど、痛みは感じていないのですよ。
心配しないで、と優しい看護師のお兄さんが言ってくれた。

よっちゃんじいじは、遊牧民のようだった。
色々な国、色々な街、色々な仕事を自分のペースで渡り歩いた一生だった。
髪をワックスでオールバックにした、いかしたnomadだ。

若かりし頃ブラジル移住に挑戦し、夢破れ日本に帰国した話は何度も聞いた。
青年海外協力隊としてアフリカで漁業の指導をしていたこともある。
私の母、としこばあばも、青年海外協力隊で働いていた。
としこばあばは、オートクチュールで働いていて身に着けた洋裁の技術を教えていた。
二人はそこで出会った。
私は、ケニアのモンバサで生まれた。
大きなニシキヘビに、お隣の子犬が丸のみされてしまったという。
その話が、よっちゃんじいじの持ちネタだ。
貿易会社に勤めだして、一家でカナリア諸島へと引っ越した。
海がきれいなスペイン領のリゾートアイランド。
スペイン語で「もしもし亀よ」の歌を歌うのが、よっちゃんじいじの持ちネタだ。
"Oiga me oiga me tortuga...."
私が中学生になると、アメリカへ引っ越した。
港町シアトルで3年ほど過ごした。
色んな仲間をホームパーティーに呼んでは、持ちネタを披露していたね。
アメリカでは私にも持ちネタができたよ。マクドナルドでのことだった。
店員さんの"Do you want ketchup?"のシンプルな質問に、
よっちゃんじいじは、"Pardon?"を繰り返すばかり。
「ケチャップいるのか、聞いてるんだよ」と私が教えるまで、
よっちゃんじいじは
「追いつきたいの?」”Do you want to catch up?"
って聞かれていると思っていて、
変だなあ、何に追いつくのかね、と戸惑っていたらしい。
生徒たちに何度も話した私の持ちネタだよ。
一家が日本に帰国すると、
よっちゃんじいじだけ南米スリナムへ3年間単身赴任。
野菜が貴重すぎてちびちび食べていたら
ニンジンが干からびて小指ほどの大きさになって悔しかったらしい。
新しい持ちネタだ。

持ちネタがいくつもあり、東京弁のべらんめえ口調で話して聞かせるのが大好きだった。
おとんも、語り部よっちゃんじいじのファンだ。

大阪の箕面で単身赴任をしていた頃、
寮のみんなを相手に持ちネタを嬉しそうに披露していたっけ。
そのころよっちゃんじいじは、
猫のみっこたんと、会社の寮で二人暮らしをしていた。
大学生になった私は、よく部屋の掃除などをしに通っていて、
行くたびによっちゃんじいじの暮らしぶりに、あきれ返っていた。
あの部屋の主は、みっこたんだ。
自由猫のみっこたんは、
よっちゃんじいじが開けっぱなしにしておく窓から出入りして、
一日を気ままに暮らしていた。
みっこたんが外から運び込む砂利で、家の中はざりざりしていた。
夕方になると、自由な主は、どこからともなく部屋に帰ってくる。
ソファーに飛び乗り、私の横に丸くなる。
一日かけて砂利を掃除して、
人間らしい部屋に戻した私の功績には、何の興味もない様子。
丸い背中がゆっくり息をしている。
でも次の瞬間、首の鈴を鳴らして飛び起きて、窓からするっと外に出るみっこたん。
あっという間の機敏な動きに、何事かと慌てた。
その数分後、遠くからよっちゃんじいじの声が聞こえ始めた。
「みっこたん、また迎えに来てくれたのか。ありがとうねえ」
私には何にも聞こえなかったけど、
みっこには、よっちゃんじいじの足音が聞こえていたんだね。
毎晩、こうやって、迎えに行ってくれてたんだね。平和な二人暮らし。

みっこは、その後、よっちゃんじいじの単身赴任終了で、
よっちゃんじいじと共に東京の実家に帰ってきた。
生まれたばかりの赤ちゃんの楽を連れて、
しばらく実家で過ごしていたときは、
みっこは赤ちゃんの用心棒を買って出てくれた。
楽が寝ているときは、必ず横で、
おばあちゃん猫になったみっこが真剣に見守っていたっけ。
首をすくっと伸ばして。
みっこは、化け猫なのではないかというくらい長生きして、
眠るように亡くなった。

よっちゃんじいじととしこばあばは、
善と楽と私を、川崎の駅近くのレストランによく食べに連れて行ってくれた。
いつしか年末の恒例行事となっていた。
歳を取って、脚が悪くなり、
ペンギン夫婦みたいにひょこひょこ歩くよっちゃんじいじととしこばあば。
善がよっちゃんじいじの背中に手をあてて、
横をゆっくり歩いてくれていたっけ。
コロナが治まったらまた行こうねって話していたんだよね。
もう一度、みんなで行きたかったよ。本当に。

よっちゃんじいじが亡くなって、
一番弱ってしまったのが、としこばあばだった。
ちょっと前までは、川崎のレストランまで、ひょこひょこだけど歩いて行けていたのに、
お葬式では、車いすに座って、私の弟に押してもらっていた。
立つこともやっとの状態になってしまった。たくさん泣いていたね。

私は仕事を退職することにした。
しばらくは、としこばあばと時間を過ごそうと思う。
仕事を辞めることは残念だったし、
生徒たちが泣いてしまって申し訳なかった。
でも、としこばあばと時間を過ごすことが、今は大事なのかなと思う。
よっちゃんじいじがいなくなって寂しくなった家を掃除したり、
としこばあばと話をしたりしよう。
楽も大学が早く終わる日は、通ってくれている。
「今、としこばあばの所」とよくlineが来る。ありがとうね。

たとえば神様が、
「あ、ちょっと間違えた。
あなたはまだ死ななくてもよいですよ。私の勘違いでした。
三途の川をまだ渡り切っていないようなので、戻ってらっしゃい」
と言ったとする。
それでも、よっちゃんじいじは、
「ここまで渡っちゃったので、戻りません。
対岸に何があるのか、見てみたい」
と答えると思う。
そんな風に善が言っていた。
するどいな、善。
よっちゃんじいじは、自由気ままにいろんな場所を渡り歩き、
自分の居場所を作っていくのが得意だった。
今頃、天国でも仲間を作り、持ちネタを披露しているのだろう。
みっことも会えただろうか。
また二人で平和に暮らしているのだろうか。
「みっこたん、また迎えに来てくれたのかい」
なんて言っているだろうか。

まだ、何が欠けてしまったのかさえはっきりと分からない
不思議な状態のままの私だ。
あるいは、何も欠けていないのかもしれない。
こうやって、人は生まれて、死んで、生まれて、死んで、
そうやって歴史が作られていくのかもしれない。
遊牧民よっちゃんじいじの人生はどうだったのかな。
自分らしく生きられただろうか。
私のこれからはどうなっていくのかな。
私らしく生きられるだろうか。

一つの歴史に幕がおりた。
よっちゃんじいじ、ありがとうね。
私はまだ残っている日々を、私らしく生きるね。

12月17日 おかん




成人する楽さんへ

2021年01月09日 | 2021年日記
生まれたばかりの楽を見たとき
なんてきれいな子なんだろうって感動したよ。
こんなきれいな子がお腹に入っていたのか!と驚いた。
とっても安らかな顔をした赤ちゃんだった。
きらきら光る大きな目をした赤ちゃんだった。

強い赤ちゃんだったね。
広い公園の地面に置いてみたら、ハイハイでどこまでも進んでいって
サッカーをする男の子の集団の真ん中を通り抜け
砂遊びする子供たちとお母さんたちの横を通り抜け
公園を横断してしまったよね。

どんどん大きくなって
どんどん楽しい子に育って
周りの大人たちを皆笑顔にしてくれたね。
おとんの実家の犬、ロッキーとも大の仲良しだったね。
おかんの実家の猫、みっこが、いつも楽の近くでじっと見守ってたね。
善が生まれてきたときは、楽大喜びで、
おかんのお見舞いに来た時には「名前考えてきたで!バイキンマンにしよう!」と関西弁で言ってたね。
お多福にかかったときは、変顔をして善を笑わせてたよね。
赤ちゃん善はあんまり笑いすぎて、座っていられずに、背中から転がっちゃってたよね。

小学生の楽は、パワフル少女だった。ベリーショートが似合ってた。
水泳を習っていて、どんどん肩幅が広くなって。
何事にも全力で。騎馬戦の大将にもなって。
一輪車を日が暮れるまで練習して。
そのうちおかんの買い物に一輪車でついてくるようになって。
すごい角度の坂道も自転車で勢いつけて登ってしまったね。

中学生の楽は、反抗期がすごかったね。
切れるナイフのようだったよ。
怒りに任せて壁を殴ったら穴が開いたよね。
おとんとおかんで、引っ越しの日に必死に修理したよ。
ツーブロックの髪型。
刈り上げ部分はおかんがスキカル君でときどき刈り上げてあげてたよね。
反抗期のくせに、スキカル君を時々持ってくるから、なんだか笑ってしまった。
バスケ部の厳しい顧問の先生のおかげで、どうにか反抗期を乗り越えられたね。バスケ部の仲間は、今でも大親友だね。

高校生の楽は、反抗期も過ぎて、楽しそうに日々暮らしていたね。
男子バスケ部マネージャー。
とにかく皆のバックアップをがんばった。
バスケ部のみんなに手作りマスコット毎年作ったね。
おとんとおかんも縫う手伝いをしたよね。
楽の誕生日には、バスケ部員たちからすごい数のお菓子が届いたね。
今でも、月に一回は、集まる仲良し集団だよね。

大学受験もよい思い出だ。
受験帰りに楽とレストランで美味しいものを食べながら、英語の採点をしてあげたり。思ったよりも英語ができるようになっていて、本当に驚いた。
受験の前日一人でホテルに泊まる楽と、バイバイするとき、涙が出そうだったり。
頑張る楽を、おかんは心が爆発するくらい応援してたよ。
おとんなんて、楽より受験科目に詳しくなっていたよ。

おかん、おとん、おとんのお姉さん、ばあば。
大所帯で参加した大学の入学式。
大学で山登りを本格的に始めたね。きっと一生の趣味になるね。
コロナ禍のオンライン授業。ハプニングだらけだったね。

なんだかここまであっという間に時が過ぎていった。
これからも、おとんとおかんは、楽をずっと見守っていくよ。
もうすぐ成人式だね。おめでとう!


1月9日   おかん



コロナ禍の日々

2021年01月06日 | 2021年日記
2020年はコロナの大流行という今までにない日々を
3人、家の中で過ごしていた。
戸惑いながらの日々、いろいろなことがあったっけ。

自粛生活の中、ストレスを溜めていく人々もいれば、溜めない善もいる。
善は自分への甘さが前面に出て、究極のダラダラ人間となっていた。
起きる時間が推移していく。
朝から昼へ、昼から夕方へ、夜から夜中へ、
そして一周回って朝に起きてきたときには、おかんはほっとしたものです。
自主トレする気も起きない様子。お腹出てきた気がするけど、気のせいか?
部活が再開できたときには、重ね重ね心からほっとしたものです。

楽とおかんはオンライン授業が始まって、慣れないZoomに四苦八苦。
おとんがイヤホンやらWebカメラを購入して、二人分送ってくれたっけ。

おかんは自分の新しい才能を発見したよ。
意外とオンライン授業得意よ!
新しい学校の新しい生徒たちと、初対面がオンラインとは困ったけど、
帰国子女で身振り手振りがもともと大げさなおかんには向いていた。
部屋のパソコンに向き合って過ごす日々だったっけ。

楽は数々の面白エピソードを生み出した。
音声がオンになっていると気づかず、大声で歌いながら授業を受けていたり。
もちろんみんなに聞こえていたらしい。
夏の暑い時期、ズボンのファスナーを開いたまま授業を受けていて、
カメラがオンだから気を付けようと思っていたにも関わらず、
思わず立ち上がってしまったり。
ちょっとおトイレにと席を外している間に授業が終了してしまい、
Zoomを退出しそこなっていて、
先生が「楽さ~ん、楽さ~ん、授業終わりましたよ~。もう出てもいいですよ~」と呼んでいたり。

おとんがやっと帰ってこられたときは、ほっとして、
おかんは滾々と寝てしまったよ。
意外と気を張っていたのかな。

まだまだ続くコロナ禍の日々。
焦らず一日一日過ごしていこう。         1月5日 おかん