楽善な日々

新社会人となった楽と、大学生善、おとん、そしておかんの日々を綴ります。新しい街に引っ越して、新しいスタートを切りました。

虐待されて育った子供

2022年06月08日 | 2022年日記
実母は昔からよく精神的にぶれる人だった。
ヒステリックに怒ってばかりいたイメージがある。
私が小さいときは、ちょっと宿題がわからないとぼやくものなら、さあ大変。長い定規を持ってきて、頭をたたくたたく。頭皮が切れて、つつーっと血が垂れてきてもお構いなし。あまりの痛さに定規を手で受け止めたら、もっとひどいことが待っていた。定規をぐるぐると私の手の中で回転させて、手の皮がむけるまで、延々と。「ほら避けようなんてするからだ」。なんという鬼のような・・・

母が今の私と同じくらいの年頃は、来る日も来る日も母の周りには暗黒の雲が覆いかぶさっている雰囲気があった。楽と同じ年ごろだった私は、母に気を使いながら生活していたっけ。母の夫、亡きよっちゃんじいじは、大阪で単身赴任。弟は遠くの大学の寮で生活。私はおとんとお付き合いしていた頃なので、遅くまで一緒にいたいけれど、がんばって毎日早く帰宅した。すると部屋の中は母から発生する黒い黒い雲で覆われていて、その雲が毒ガスを発生させているような光景が。あの頃の母と同じ年ごろになったけれど、母の気持ちがまだ分からない。考えてみると、よっちゃんじいじはずっと外国で働いていたり、国内でも単身赴任をしていたり、母と離れ離れの生活が長かった。家族全員一緒に暮らしているときは、暴力かあさんにはなっていなかったから、きっと旦那さんのいない生活でストレスを溜めているときに、はけ口が私だったのだと思う。

はけ口は私ひとりだけで、私の弟「たかぼう」は大事に大事に育てられた。たかぼうは、天才的な頭脳の持ち主で、よく「たかは、勉強だけしていればいいんだからね」なんて声を掛けられていたっけ。たかぼうは、手を挙げられたことなど皆無だった。そんな大事に大事に育てられた弟は、「勉強ばかりしていればよかった」から、勉強以外の責任が発生すると逃げてしまう。母のまわりに暗雲が垂れ込め始めた時期から家から逃げるようになっていた。高校時代は朝早くからでかけ、夜中遅くに帰ってくる日々。そして、大学は寮のある所へ進学し、実家へはまったく帰ることがなかった。たかぼうが高校生だった頃から大学卒業するまで、あまり顔を見かけなかったっけ。

なので、ばらばらの家族を必死でつなごうとしていたのが私だった。暗雲を引き連れて歩く母のためにせっせと早く帰宅して、猫と一緒に暮らすよっちゃんじいじの単身赴任先を訪ねていって掃除をしたり。なぜなのか、母は一切父のもとを訪ねようとはしなかったっけ。

母に笑顔が戻ってきたのは、よっちゃんじいじが会社を退職して、実家に戻ってきてから。父が新しい仕事を始めて、実家から通うようになってから、母はがらっと変わった。毎日上機嫌でよく笑って。ほっとした。よっちゃんじいじが亡くなるまでの一緒に暮らした日々は、母にとって、幸せな日々だったのではないかな。

たかぼうはいつしか実家で暮らすようになっていた。結婚もせず、貯金もあまりないので、実家に戻ってきたのだ。よっちゃんじいじとたかぼうは昔から気が合わず、一緒に実家で暮らしていても、顔を合わせたりはしなかったようだった。それでも、よっちゃんじいじの最期は看取ってくれた。ただ、私によっちゃんじいじの体調の変化を一切連絡してくれず、報告が来たのは、よっちゃんじいじが危篤になってからだったのは、今でも心の傷になっていて、考えると涙が出てしまうけれど。

周りからよく、おかんちゃん(私)は昔から天真爛漫でにっこにこ育ってきたんでしょ、と言われる。

実は、なんでこんな家族なんだろうって泣いて泣いて育ってきた。そして、自分の子供を持つことに恐怖を感じていた。私もいつしか周囲に黒い雲をたなびかせ、子供たちにひどいことをしてしまうのではないかと恐怖を感じていた。

なかなか子供を授からなかった。5年くらい子供ができなかった。病院で不妊治療を始めようとおとんに勧められ、一緒に検査に向かったら、なんとそこで「ご懐妊していますよ」って言われたのだっけ。もしかすると、何人もお腹にやってきてくれていたのに、私の恐怖が強すぎて、いつしか消えてなくなってしまっていたのかな。お腹に恐怖がありすぎて、居心地が悪かったのかな。

奇跡的に見つかったその子は、お腹の中ですくすく育ち、楽という元気な大学生へと育ってくれた。その後に、お気楽甘えん坊の善を授かった。子供を持つことがこわくてこわくて仕方なかったのだけど、二人を心から大事に思えている。普通のことなのかもしれないけれど、私にはありがたくてありがたくて、奇跡のようなことに思えている。

そんな私の家族の歴史があるからか、母の介護のことではいつも心が痛いことを経験して帰ってくる。母と同居をしている弟は、私に何も連絡をくれなくなってしまった。「ねえちゃんが色々としているのがうざい」ということを暗に伝えているのだと思うけど、私も家族の一員なのに。確定申告も、介護認定も、お墓の継承手続きや、相続手続きも、私がしたのに。

こちらの家族、おとん、楽、善は、みんな各自の場所へと出動していった。
「おかん元気だせ」って言いながら。

実家の家族のことは、すごく傷にはなっているけれど、すごく気になる。やっかいだけど、大事にしたい何かであるような。それでも、大事にする方法がまだ分からない。関わらせてもらえるのかも分からない。もやもやとした何かだ。
これから、どうなっていくのかな。
よっちゃんじいじが教えてくれるといいんだけど・・。
ヨガの瞑想中によっちゃんじいじが出てきて指南してくれるといいなあ。

6月9日  おかん