個展中は流石に石を彫る事は出来ない。石が出来ないので粘土捻りで毎日少しずつ作り続けているエスキースもついつい作りだすと手の中に収まらない大きさの物を作っていたりする。
そうすると今度はこれがエスキースを作っていたのか作品として作っていたのか分からなくなってしまう。
はっきり言ってどつらでも構わない。作っていて面白ければそれでいいのだ。
そもそもエスキースか作品かの区切りが何処に有るかさえ分からない。
これでも確りと焼き締めて釉薬でも掛ければ実材と化し一つの作品となるのだろうし、残したければ焼けば良いのだ。
日本橋の三越で個展をしたときにヘンリー・ムーアの石膏で作った原型が6000万円で売られていた。それが私の個展の最中に売れて、実在では無い完成された作品としてでは無いものが世の中に出回っていてそれをまた購入する方がいる。
確かに作家の作りだしたよりリアリーティーを求めているのだろうと思う。
作品はそのものの完成度を要求されるのかもしれないが、作家がその場で作った時間であったり、そこに残された指紋でさえ有れば見る側は面白いのだろう。
エスキースの話だったのに原型の話となってしまった。
僕はこの粘土で作ったものを幾つものちょっこと捻った物の中から選んで作っている。
直感で面白いと思って作った。勿論これを石にしたいと考えながら、「これはやはり粘土の形だなぁ。」と思う。石には石の形が有る。
だからこれを石に置き換えたら全く違った印象の物が出来上がるのだろう。
この粘土いじりをし始めた事で、きっと次の個展では面白い世界が展開出来そうな気がしてくる。
何時も応援有り難うございます。下のバナーをポチッとして下さい。
↓
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます