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今、丁度受験シーズンなので、自分が受験生だった頃の事を思い出した。私は立川の美術研究所、現在の立川美術学院で浪人をしていて、芸大の受験日前日に「父危篤」の電報がアパートに届いた。私の父は私が中学の時から腎臓を患い、人工透析をしていて、その当時は今ほどの人工透析の技術が発達していなくて、5年の命と宣告されていた。それがこのタイミングで電報が届いたのだ。私はすかさず母に電話して、「折角この一年積み上げてきた勝負の時にそんな事で帰れない。人間死ぬ時は死ぬ。」と言って帰らなかったのだ。結局その後父は持ち直して回復し、6年生きたのだ。
今思うととんでも無く冷酷な男であったと思う。しかしその時はそうは思えなかったのだ。毎日デッサンに明け暮れ、爪がデッサン用紙でこすれて血が滴り落ちた。その時はその時で必死に生きていた事を今は懐かしく思う。
日記彫 NO,91
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