奥に進むと、別の民家がありました。
今でこそガラス窓がはめられていますが、
昔はこれがなく、そのまますぐ雨戸だったそうです。
軒を支えている木が、味のある形。
今の様に綺麗に形を整えて・・・というものではなく、
切り出した木の形そのまま、というか・・・。あまり手を加えていません。
そして、特徴的なのが屋根!
・・・・・・・ん??
!?
琉球瓦があるのもすごいのですが、
琉球瓦の上にちょこんと・・・・・ちょこんと・・・・・・!?
シーサー!
ここはどこ?
という感じ(笑)
与論島です!
まさに、沖縄の民家そのものがここにはありました。
やはり、少し前まではこういう家が多かったとのこと。沖縄の文化の影響は大きいようです。
ただ、これだけ近いので当たり前かな~と思いつつ。
その1で出てきた画像、ここの看板の屋根。琉球瓦だったでしょう?
シーサーも、あちこちでよく見かけますよ。
沖縄との交流は鹿児島とするより盛んだったようで、
月1回の船で、物資の調達・やり取りをしていたんだそうです。
文化が混在する島、それが与論島なんでしょうね。
今でこそガラス窓がはめられていますが、
昔はこれがなく、そのまますぐ雨戸だったそうです。
軒を支えている木が、味のある形。
今の様に綺麗に形を整えて・・・というものではなく、
切り出した木の形そのまま、というか・・・。あまり手を加えていません。
そして、特徴的なのが屋根!
・・・・・・・ん??
!?
琉球瓦があるのもすごいのですが、
琉球瓦の上にちょこんと・・・・・ちょこんと・・・・・・!?
シーサー!
ここはどこ?
という感じ(笑)
与論島です!
まさに、沖縄の民家そのものがここにはありました。
やはり、少し前まではこういう家が多かったとのこと。沖縄の文化の影響は大きいようです。
ただ、これだけ近いので当たり前かな~と思いつつ。
その1で出てきた画像、ここの看板の屋根。琉球瓦だったでしょう?
シーサーも、あちこちでよく見かけますよ。
沖縄との交流は鹿児島とするより盛んだったようで、
月1回の船で、物資の調達・やり取りをしていたんだそうです。
文化が混在する島、それが与論島なんでしょうね。