筒窓会・神戸市立筒井台中学校・昭和44年卒業生+宮本小学校、上筒井小学校41年卒業生集まれぇ~ブログ

筒井台中学校を44年卒業、宮本or上筒井小学校41年卒業された方のブログ。フォトチャンネルで、知り合い顏発見!即連絡ね。

博多旅行の原案がとどきました。と・・ツトム君の涙かな?癒しの霞ヶ浦と新舞子の写真頂きました。

2017年12月28日 11時43分00秒 | 同窓会
もう、今年も終わりますね。皆様にとっていい年だったと思えるといいですね。
そう、皆様にとって今年の自分の漢字1字を教えていただけませんか?考えることも、頭の体操になるかな??え?忙しくってそれどころじゃあない・・・(^-^)なんて言わないで。ちょっとお付き合いくださいね。

キャバチャンから博多の原案が届きました。でも、これは曽Y君が考えてくださったそうです。来年の話ですが、来年もたのしいお話が届くのは、うれしいですね。

皆様参加して、思い出にプラスしましょう。質問は受け付けます。ブログでも、個人的にも・・です。 (内容は変更しました再確認お願いします。)

ツトム君から12月23日の出来事をいただきました。きれいな娘さんですね。おめでとうございます。





素敵な演出ですね。きっと・・・・・ご本人様からお話が聞けるかな??

ふっとした時の海や山~自然の写真は必須ですね。
荒れた霞ヶ浦と筑波山

入り江は波静か

新舞子の苦労して写した1枚ですと、コメントとともに。


今年の紅白に、桑田佳祐さんや安室奈美恵さんが特別枠で出場だそうですね。粋なはからい~とでもいいましょうか。そこだけ視聴率アップ?
今日はこれまで・・・・
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同窓会開催があぶない~~!!再度の話し合い決定!!プラスありますが。

2017年12月22日 23時12分39秒 | 同窓会


何も申しません。今回で決定します。ぜひ、関係者の方々ご参加お願いします。
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キラキラキラ~気分はクリスマス~~(^◇^)

2017年12月20日 00時30分20秒 | 同窓会
花木君、皆様のコメントに返信いただき、ブログは盛り上がります。これからもよろしくお願いいたします。その花木さんから次にってことで、今の時期にピッタンコの写真を。本当はわたしも参加を、だったのですが、1月7日提出宿題があり、気持ちの余裕がなく、断念しました。

まずは淀屋橋の中央公会堂のマッピングです。





大阪城のマッピングとイルミネーションです。



あちこち回って目の保養になったそうです。でも寒かった~~と。

邦ちゃんからも。ミッドタウン、六本木ヒルズのキラキラを。いただきました。デートコースにはいいと、耳にしています。





きれいなイルミネーションを見ると心も弾んできませんか?

す・・・ん君からいただきました。野口雨情記念館だそうです。誰かに似ているな~~あ!!うちのオマゴちゃんだ。と。で、思わずアップしちゃいました。

座り方が可愛いでしょ。お人形さんですよね。生きているみたいですね。

すてきなクリスマスをお迎えくださいね。

す・・・ん君、来神!!みんなと、ヨーグルトいただきましょう。キャバちゃんが鍵ですか?



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第2弾です。

2017年12月16日 22時02分56秒 | 同窓会
花木です。

最近の実体験談として、病院での暴言集を集めました。ここには書けないようなこともありました。
今後の参考になればと思います。参考にはならんか。

なお、15日の診察で、すっかり大丈夫といわれています。念のため、経過観察を続けるということです。

暴言1:検査入院中に、私「ここの看護師さんは若くて可愛らしい方が多いですね」看護師「そういう話題はいけません」入院誓約書にセクハラのことが書いてました。

暴言2:内科での各種検査後「診断としてはステージ3です」私「え、いきなり3ですか。物事には順番があると思うのですが」医者「いや、最悪を考えての判断ですので、、、」

暴言3:続けて、医者「内科では、手当ての方法がありません。外科手術を勧めます」私「このままだと、どのくらい生きることができますか」医者「あと2年、早ければ1年」私「3年はほしいけど、しゃーないか。もうええかな。」医者あわてて「外科の予約をとって、検査データを渡しておきますので、家族とよく相談して下さい」

暴言4:内科医の紹介で、外科の教授の所見を聞いたときに、教授「難しい手術です。全国的には100人中4~5人がご自宅へ帰ることができません。ここの様に設備やスタッフがそろっている場合、成功率は上がります。ここでは過去5年全員帰っていただいてます」私思わず反応して、「えー、じゃ、そろそろですか。」教授「…」私あわてて「技術は日進月歩でよくなってますしね」

暴言5:外科での検査終了時、最終決断で、医者「難しい手術ですが、頑張ってください」「いや、私は寝ているだけなので、お医者さんの方が大変でしょう」医者「スタッフ全員、頑張って手術に臨みます」

暴言6:手術終了時、医者「終わりましたよ。今8時過ぎです。ご家族呼びますね」女房と子供、弟がきていた。弟が涙を浮かべていたので「泣くな!」と一喝。

暴言7:スパルタ治療とかいって、手術の翌日の午後から歩行訓練が始まった。看護師が横について歩き始める。私「若い女の子と一緒に歩くことがないから、それだけで心ウキウキやね」看護師「そういう話題を慎んでください」誓約書が頭をよぎった。

番外編:スカタンの巻
手術前の外科医の事前説明「手術は、肋骨の中心の下からおへその上まで、そこから右横に切ります。筋肉を切るので術後相当痛いです。」
私「痛いのですか。ちょっといややな、何とかなりませんか」
外科医「痛み止めを行いますが、人により、効果はだいぶ異なります。手術時間は長くても7~8時間ぐらいですから。手術を止めたくなったら、手術の5分前まで受け付けますよ。」
手術前日にもらった手術計画を見ると「予定手術時間12時間」となっている「えー、えらいこっちゃ。こんなにかかるのか。ヤッパリ止めよか、少し余計に書いてるのだろうな」と一人納得。
後で医者が「21時を過ぎるようでしたら、いったん休止して、翌日に継続することになります」私は心の中でありったけの呪いの言葉をぶつけた。

手術日当日、看護師につれられて手術室へ、家族も同行。看護師「すごく落ち着いていますね」私「いや、心臓はバクバクしてます」(内心;本当は止めたい、けどここで止めたら、後で何を言われるか分からない。ということが背中を支えているだけ)

看護師「ご家族の方は、家族室にご案内しますので、少しベンチでお待ちください」思わず誰よりも早くベンチに腰掛けてしまった。看護師から「あなたは、私と一緒に手術室へ行きます」(とても正直な反応でした)

以上です。花木君ありがとう。やっぱりあなたは武道家でしたね。その強さで、病気を投げ飛ばしたのでしょうね。もう無理はしない、それが私たちの合言葉になりそうですね。
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ちょっと長いけど、よければ、ブログに載せて。と・・・・。

2017年12月15日 23時44分02秒 | 同窓会
花木さんからいただきました。

今日15日はとてもうれしいことがありました。私自身がうれしいだけで、記事をご覧の皆様にはどうってことはない。
しかし嬉しいので、ただ一方的に喜びを伝えるだけです。
写真は神戸大学附属病院10Fからの風景(大倉山公園と神戸駅方面)と虜囚の証です。
1)病院から大倉山

2)病院から南

3)虜囚の証(名前はぼかさせていただきました。しっかり名前はでていました。)


今年の正月のおみくじは中吉でしたが、「病:長し」となっていた。「長いが治る」ではない。

なんら自覚症状のないまま、病気の疑いをかけられ、5月に内科で検査入院。検査で軽い膵炎を患う。
診断の結果、内科では手に負えない、外科に回される。外科でまた検査入院、確実ではないが手術しか方法はない。
で、7月末に手術をした。病院の個室で1人で花火大会をみた。特等席だったけど、まことにつまらない花火であった。

入院予定の2週間が過ぎたところ(盆明けの頃)で、合併症が判明。これも全く自覚症状がない。ここからが「長し」であった。体の中から廃棄物を出すために直径7㎜ぐらいの管を取りつけ、手術の経過を見るために直径2㎜ぐらいの管を取り付け、2つのドレーン(ビニル袋状のもの)をぶら下げての生活であった。寝るのもトイレに行くのも、食堂に行って食事をとるときも、体の横にドレーンがついている。風呂には入れないので、シャワーを浴びるときもぶら下がっている。

医者は自然治癒を考えていたが、8月下旬になると再手術をしなければならないかも、ということになっていた。
いよいよ9月中旬になって、状態を考慮しながら10月になれば再手術という段階になった。と、急に廃棄物が出なくなり、医者から奇跡的に治癒しているといわれた。廃棄物用のドレーンを外し、10月に入って、経過観察用の管を、お腹の前に小さく巻いて6日に退院することになった。体の中から管が出たままである。

退院はしたけれど、寝にくい、体をひねられない、お腹を触られたくない、で不自由極まりない毎日が続いた。

で、今日病院で、鬱陶しい状況を訴えたところ「じゃ外しましょう。」と管が外れて、開放されました。
非常に体が軽くなり、気持ちよく正月を迎えることができる。手術から5か月半にわたる不自由からやっと開放されました。
この気持ちを判ってほしいとは思ってませんが、嬉しい気持ちを誰かれなく言いたいだけです。
まだ傷口がふさがってないけども、光明が見られた、とはこのことでした。
とっても気持ちがいい。

まぁ、大学病院なので、入院中は若くてベッピンな看護師に囲まれて、気持ちはよかったけどね。

以上です。
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