伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

謝罪する、ってどういうこと? ~小池さんの5分間を問う~

2020-06-27 15:29:51 | 会員レポート
 思い出したようにリツートされて

2011年10月からtwitterをしております。

実は、2016年7月18日につぶやいたものが、忘れたころに折に触れリツートされて、
知らないうちに3000回を超えたようです。

どんなつぶやきだったかというと、こんなのです。

小池百合子って、2004年チッソ水俣病関西訴訟の最高裁判決が出た日、
患者を前に心無い謝罪で5分で席を立った環境大臣だった人だよね。
50年苦しんできた人にたったの5分。深夜まで患者さんたちは訴えつづけたのに。
わたしにとって、国のすがたを刻印した日になった。あの小池さんか。


2016年の東京都知事選に初めて小池さんが立候補したとき、「えっ? あの小池さん?」て
思ってつぶやきました。
この写真のときがよみがえったからです。



写真で振り返る水俣病 #毎日新聞 http://mainichi.jp/graph/minamata/0916nosari/017.html
水俣病関西訴訟判決で最高裁が行政責任を認め、原告(奥)に頭を下げる小池百合子環境相ら=2004年10月15日、環境省



 三権分立がガラガラとこわれた日

あの写真の後を、たまたま目撃する者になって、
目撃しながら胸が震えるように打っていたことを思い出します。
目撃するのでなく、だれかから、こんなんだったんだよ、と教えられたのなら、
まったく見てきたようなウソをつくんだから、と信じなかったと思います。

さまざまなこと・・・・・・
環境省官僚が
「日本は三権分立です。裁判所の判断と私たちの判断は違います」と言い放ったこととか。
最高裁判所は完全とは言えないものの、関西の患者さんを認めたのに、
国の責任、県の責任を認めたのに、
患者さんたちは、深夜まで、自分たちの存在を認めて欲しいと訴えつづけた。

目撃していなければ、
そんなことがあるなんて、信じられなかった。
クニの姿がそんなだなんて、ひとりの市民として、オドロイタ。

あのときのひとが都知事に立候補するの? というつぶやき。


 なぜ 謝罪しなければならないか

3000回以上リツートされると、それなりの余波があるということを
しかし、最近知りました。

どうしてかというと、こんな返信をいただいたからです。

自分の50年間の苦労を、本人は何も悪くない大臣が国家を代表して、
一民間企業の犯罪的行為について、5分間かけて謝罪する(黙とうだって1分なのに!)、
そのことに感謝する気持ちがあれば、もっと心が楽になるはずだろうと思う.
心ないと決めつける側にも心なしと映る.



なんか、泣きたくなるくらい事実を知らない。

「本人は何も悪くないひとが筆舌尽くしがたい苦労を50年間」してきて、
国と県というシステム、組織による責任が最高裁判所に断罪されて、
本人がその組織・システムの権力者であるなら、
加害に加担している意識をもって
祈る、のではなく、その誤りを糺す姿勢を表す謝罪が必要だ。
だいたい、あれは「一民間企業の犯罪的行為」なのではない。

「心ない」というのは、そこに、寄り添う姿勢、
だれとともに生きるのか、という問いに対して、為政者であるなら、
国民とともに、市民とともに、というのが浮かんでこなければならないのに、
それがみじんも感じられない。
その上、最高裁判所が言っただけです、自分たちの判断は違う、と患者さんに言う。
心あるなら、人として、「違う」と言いたい。

謝罪とは、OO分間頭を下げることを指すのではありません。
間違いを振り返り、誤りを生む組織・システムを改めていく意志を表明することです。
あなたにお詫びする、あなとともに生きていきたいから。
あなたとともにあるために、どうしなくてはならないか、具体的に考えます、と。

そうでなければならないと、わたしは考えます。


 だれもが被害者であり加害者

宇井純先生が、そう言っていた。
「現代に生きる者は、だれもが被害者であると同時に加害者である」

「本人は何も悪くない大臣」など、いない。

そう言うと、子どもたちに「水俣」を伝えに行くときに、
子どもたちに「君らは加害者だ」というつもりか、と言われた。
子どもたちに罪はないだろう、と。

わたしは、事実を知ろうとしなければ、より加害者になる、と思う。
「50年以上も患者さんたちを苦しめる」ことに、確実に、苦しめる側に加担していると思う。

あの日、小池さんが退席して、環境省官僚だけになって、
最高裁判決を受け入れていくと表明しない環境省と患者さんたちの話し合いが
延々と、深夜、終電間近までつづきました。
支援者からは、たまりかねて怒号が飛びました。
患者さんと支援者と人いきれで暑くなった部屋に、
夕ご飯の差し入れを持ってきて、渡すに渡せないでいた彼女が、
「患者さんは水俣病。この部屋は暑くてつらい。せめて水を差し入れよう」と言い出しました。
霞が関にコンビニは見当たらず、地下鉄を一駅乗って、ペットボトルの水を求めました。
紙コップに水を入れて、患者さんの前に置いて配りました。

すると、患者さんが言ったのです。
「あんひとたちも、のどが渇いたろう。あんひとたちにもあげてくれ」

とても官僚たちに水を配れない、と言い出すひとがいて、
伝えるネットのメンバーが官僚たちの前に紙コップを置いて回りました。

わたしは、ともに生きるなら、この患者さんたちと、と思いました。

謝罪、というのは、だれと生きたいかという表明です。
この判決後、当時の熊本県知事が、50年経って初めての大規模な健診をしようとしました。
予算も億単位で計上したはずです。(3億だったか、1億だったか忘れました)

環境省が、その健診をさせませんでした。

いまなお、水俣病の住民健診は行われていず、
今年3月13日、福岡高裁は、
水俣病の認定を求めた第二世代の8名の求めをすべて棄却しました。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。