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伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

音声ガイド作成プロジェクト、キック・オフ  その2

2012-08-14 22:06:37 | 部会レポート
2012年7月21日 13:30-16:30 
西洋の台所HAMA にて


 映画が好き、だから、その感動を伝えたい

さて、「音声ガイドって、な~に?!」講演とトークの集いの報告、内容編です。


まず平塚千穂子さんが持参くださったDVDでシティライツの活動紹介。
印象的だったのは、映画大好きな平塚さんが、その映画の素晴らしさを視覚障害者に伝えたいということが、純粋な始まりだったこと。
視覚障害者にとっても、映画鑑賞は、半信半疑だったわけです。
映画館のなかで、他の人に迷惑にならないように、ペットボトルを使って工作した糸電話ならぬ、ペットボトル伝声管には、ほほえましくも感動でした。

これは、純粋な気持ちからじゃなきゃ生まれません。
その後、ミニFM発信機によってガイドをとばす方法にたどり着くまで、たこ足イヤホンやら、なんだか、ひととつながりたい気持ち、伝えたい気持ちを形で見るような思いがしました。


バリアフリー映画鑑賞推進団体シティライツ代表 平塚千穂子 さん




 目からウロコの音声ガイドつくり


シティライツの活動について伺ったあと、いよいよ音声ガイドをどう作りこんでいくかのお話となります。

音声ガイドには、映画をいっしょに観ながらその場でガイドをしていくライブ版ガイドと(封切り映画はコレになります)、作品のDVDなどを繰り返し観て作り込んでいくガイドと二通りあります。
今回の『水俣  患者さんとその世界』は、この後者の作りこみタイプで制作していくことになります。

平塚さんは『桜の国』のDVDの冒頭を、音声ガイドがない映画のままの状態を全員で目を閉じて観る(聴く?)、音声ガイドがついた状態で観る(聴く)、最後に目を開けて観てみる、という三通りの見方を体験させてくれました。

音だけの映画鑑賞体験です。
そして、参加者の半分の視覚障害者の方に教えられます。音が教えてくれる情報も確かにあるのです。
そこにガイドが加わると、映像が浮かんできます。
ガイド付きで映画を観てみると、逆に晴眼者が見ていることの狭さに気づかされます。

以下は、眼からウロコの音声ガイドつくりのポイントです。


音声ガイドづくりのポイント
 
  鉄 則 セリフに被せない=映画の音・音声をきちんと聴かせる。
     =セリフや音でわかる情報は説明しない。
               例)(電話の音)リリリリーン  ×電話がなる
                 恵子「ここはどこですか?」×場所をたずねる恵子
                恵子「・・・・」     ×無言の恵子。絶句する恵子

  何を説明するか

○ 字幕・テロップ等の文字情報
○ 何が起きたか。人物の動作・行動など。4W1H (When、Where、Who、What、How)
   いつ、どこで、誰が、何をしたのか? どんな風にしたのか?
   <特にシーン変わりのどこ?は重要>
   → Why (なぜ)を説明しない = 想像の余地を残す。自分でわかっていく楽しみ。
○ 画面に映しだされた物や風景 
   →映っているものを自分なりに解釈せず、素直に客観的に表現する。
○ セリフの中の指示語
   →登場人物の話の流れについていくため

   気をつけている点

・ 人物や場所は、できるだけ、はじめて登場するシーンでイメージを固める。
(人物の風貌、関係、名前、建物の構造、雰囲気など。)
・ カメラワークや構図をよく見て、何をどう見せたいシーンなのかを分析する。
・ 感情を表すしぐさや表情は、客観表現を心がけ、聴く人の想像の余地を残す。
・ 作風にあった表現・言葉を選ぶ。
・ 聞きやすく、わかりやすい文章をつくる。
(主語が後ろの長い文章を作らない。
 瞬時に伝わりにくい熟語など、漢字を見ないとわからない、固い言葉を使わない。等)

例) 悔しそうな様子→ 拳を握りしめる。/唇をかむ。
悲しそうな様子→ うつむく/視線をおとす/肩をおとす

 
例)×目が大きくて、耳の垂れた、足が短い、毛がふさふさとした、小さな茶色い犬。
     ○茶色い小さな犬。垂れた耳に大きな目。足は短く、毛がふさふさとしている。

  
例)×楠のそばまでいき、コートを脱ぎ、大きく枝分かれした巨木の姿をまじまじとみつめる誠吾。
      背伸びをして、葉っぱを一枚ちぎりとる京子。
    
○楠の側までいき、コートを脱ぐ誠吾。大きく枝分かれした巨木の姿をまじまじとみつめる。
      京子は背伸びをして、葉っぱを一枚ちぎりとる。

例)月光の下→月あかりの下 /痩身の男→痩せ型の男



う~ん、なるほど、です。


  場を共にすることから始まること

休憩をはさんで、それからは、平塚さんに、視覚障害者で舞台役者と美月めぐみさん、浜松メンバーの中王子みのりさんと加わってもらって、トークとなりました。

美月さんには、音声ガイドがどんな世界を拡げてくれたかを語ってもらいました。


舞台活動も旺盛にされている美月めぐみさん

みのりさんには、「水俣」写真展に実行委員として参加しただけでなく、車イスの重複障害を抱えながらニューヨークシティマラソンにハンドサイクルで参加するという生き方が、周りを刺激して、周りを動かしていっていること(私たちの音声サポート部会誕生がまさにそれなわけですが)を語ってもらいました。


浜松から参加してくれた中王子みのりさん


音声ガイドは、障害の有無を越えて、共感をさぐるものであるわけですが、あまり難しく考えて、「伝える」ということに緊張せず、また、共感を押しつけることなく、同じ場にいること、場の共有から始まるということに、トークは結んでいきました。

総務省は2017年に全TV番組にバリアフリー情報をつけることを決め、現在、音声ガイドづくりは、そのノウハウを含めて注目されているのですが、平塚さんが、自分たちは映画をいっしょに楽しむのがいちばん、というブレない姿勢を発言されていたのも印象に残りました。


いま、『水俣 患者さんとその世界』をみる意味

締めくくりは、今回の作りこみ映画作品の監督の奥様・土本基子さんの発言を得ました。
基子さんは、音声ガイドを初めて知って、驚いたと言ってくださいました。
その可能性についての驚き、です。
水俣病について、全世界でいちばん鑑賞されているドキュメンタリー映画である本作品に音声ガイドがつくられることを歓迎してくれた発言は、大いに私たちを励ますものでありました。




土本基子さん(参加者席でいちばん手前)は、講演会にも参加。
初体験の音声ガイドについてご自身のブログでも感想をアップしてくださいました。→こちら


さぁ。音声ガイドつくり込みにとりかかります。

※音声ガイドつくりに7月23日より原則月曜日の午後1時より取り組んでいます。
アップデートな動きについては、田嶋いづみのfacebookでも発信しております。





音声ガイド作成プロジェクト、キック・オフ  その1

2012-08-12 21:50:23 | 部会レポート
2012年7月21日 13:30-16:30 
西洋の台所HAMA にて(相模原市南区相模大野)


 打合せは、HAMAカレーをいただきながら

さがみはらで始まる<『水俣  患者さんとその世界 =完全版=』音声ガイド作成プロジェクト>を始動したことは、すでにご紹介しました。 (こちら)
いよいよ、その作業に着手する前のガイダンスというか、音声ガイドに取り組む心得を共有するためのイベントを、伝えるネット事務所のご近所、行きつけのカフェ・レストラン「西洋の台所 HAMA」にて行いました。

会場を、地域のお店に選んだのは、ちょっとオシャレにスタートを切りたかったから。
何より、この日のゲスト・トーカーのひとり、中王子みのりさんと(伝えるネット・メンバーなので、ゲストというのは少し違うのですが、この日はトーカーのひとりとして特別に浜松から来てもらいました)、昨年の総会あと、こちらで食事をさせたもらったことがあって、ママさんが『Hi! みのり』を読んで(この本のことは、こちらを参照)みのりさんを称賛してくれるというご縁があったから、会場にしたいって、思ったのです。

HAMAさんは、会場として貸してもらえるか、と切り出したところ、面食らったのではないかと思います。
そんな風にお店を提供したことがなかったからです。
でも、快諾していただき、以来ずっと丁寧に対応していただくことができました。
何せ、私たちは例によって、ドロナワの行き当たりばったりですからね。大いに助けられました。

当日は、早めに講師とゲスト・トーカーのみなさんに来ていただいて、みんなランチを取りながら打合せ。(あはは、ホントにドロナワ・・・)

講師の平塚さんは、公共施設風の会場を予測していたらしく、「え、ここで?」と驚いた様子。
でも、トーカーのひとり美月めぐみさんは、HAMAをぐる・ナビで調べていらして、当地の生活者の私たちよりHAMAの情報にくわしく、ぐるナビで評判の「HAMAカレー」のランチを所望されたのでした。

※西洋の台所HAMAについては、こちら

私たちは、地域にあってこその「伝える」だと思っております。
地域のお店といっしょに取り組めること、取り組める素地を築くことは、とても大切だし、「伝える中身」の検証につながると考えています。
そして、カフェ・レストランを会場にしたからこそ、イベント終了後、移動することなく懇親会を行うことができ、お気に入りの「HAMAドレッシング」を紹介できたことも楽しかったです。(この「HAMAドレ」、クリーミーな一品で、500cc、550円で小分けしてくれます。おススメの逸品です。


 これも、「水俣」からご縁のイベントです

カフェ・レストランで始まったイベントは、フルコースの美味しさに満ちていたと思うのは、手前味噌過ぎるでしょうか。

これが、当日のプログラムです。




プログラムには、講師・平塚千穂子さん、ゲスト・トーカーの美月めぐみさん、中王子みのりさんのそれぞれのプロフィールを紹介しています。
そのプロフィールの最後には、私たち伝えるネットとのご縁を説明させていただいています。
メンバーの中王子みのりさんはもちろん、平塚さんも、美月さんも、「水俣」を伝えるこれまでの活動のなかでいただいたご縁の方たちです。
改めて、「水俣」からのいただきもののなかで、実現したプロジェクトであり、講演とトークの集いです。

・・・・「水俣」は、宝の山。






お集まりいただいた方の半数は、視覚に障害のある方でした。
平塚さんに「このごろ、いろいろなところで取組みが広がっているけれど、ボランティアばっかり元気で、肝心の視覚障害者がいないこともある。その点、さがみはらはいいね」と言っていただきました。

しかし、私たちも不馴れなことは否めません。
プログラムにプロフィールを書かせてもらったので、トーカーのみなさんの紹介をつい端折ってしまいました。
「えっ、中王子さんて、視覚障害のひとなのぉ?!」という声がお客様のなかから起きたのは、トークも半ばにさしかかったときでした。
「ぼくたちには、説明してもらわないとわかんないよ」と言われてしましました。
ホント、笑ってゆるしてくださったからよかったようなものの・・・・。


つづく。







さがみはらで始まる音声ガイドプロジェクト

2012-07-21 00:09:37 | 部会レポート
2012年6月17日 
たいにい・ぼっくす にて


音声ガイド作成プロジェクトは体験上映会でスタート

今年度、「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークは音声ガイド作成に取り組みます。
取り組むのは、水俣病ドキュメンタリーの傑作『水俣  患者さんとその世界 =完全版=』です。

この作品の音声ガイドを作り、録音し、バリアフリー上映会をするというプロジェクトを立てたところ、
今年度の相模原市の市民協働ファンド「ゆめの芽」(こういう市民向けの基金があるのです)に事業として採用され、
助成金をいただけることになりました。

私たちは、この地域にくらす人たちと一緒に音声ガイドを作りたいと願っています。
なので、広く一緒に作ってくれる人たちを募ることになります。
中学生・高校生にも入ってもらおうと思い、夏休みの子どもたちに声を掛けることにもします。
相模原市の市民活動サポートセンター、国際交流ラウンジ、社会福祉協議会ボランティアセンター、 青少年学習センターが協働しておこなう夏休みの『ボランティアチャレンジスクール』に加わることになります

※このプロジェクトの詳細については、こちらからどうぞ。


とはいえ、というか、このプロジェクトが助成事業として採用されたのも、 実は、音声ガイドそのものが知られていない、という状況があるわけです。 そこで、とにかく、音声ガイド体験試写会を行いました。




もちろん、私たちの取組みで、ようやくそれなりのガイドの形となった『阿賀に生きる』が試写作品


音声ガイドは ロンよりタイケンから

体験上映会は、伝えるネットの事務局のある【たいにい・ぼっくす】で。
今年、3月に、やはり【たいにい・ぼっくす】を拠点として生まれた【NPO法人 ここずっと】が毎月第3日曜日にもっている<定点カフェ>の機会を利用させていただくことにしました。

当日、13人、視覚障害の方は弱視の方も含めて6名の方が参加。音声ガイドを体験してくださいました。
それまで音声ガイドを体験したことがない、という視覚障害者の方は4名。

体験試写会にそんなみなさんが来てくださることになったのは、
2010年2月にグリーンホール相模大野多目的ホールを会場に<写真展 水俣を見た7人の写真家たち>を開催するなかで出会った外山さんのお力によるものです。
外山さん、先の写真展の資金集めのとき『チョコラ!』を上映したときに音声ガイドを初体験された方です。
・・・・そう、私たちも、『チョコラ!』が音声ガイドをつくるのも、会場に持ち込むのも、初めての体験だっけ。

そうです。何よりも体験してみて、わかるのよね。
この日、試写上映のあと、お互いに感想を述べ合いましたが、それも、新鮮な体験となりました。





みんなでお茶しながらの意見交換しました。



そして、21日は、プロジェクトのキック・オフ

障害者権利条約というものがあります。
世界中で100カ国以上が批准している権利条約ですのに、残念ながら、日本はその批准ができていません。
批准できるほどの法整備、社会環境が整っていないからでしょう。
ほ~んと、何か先進国、大国でしょう。

私たちは、「水俣」の学びから、誰とともに生きていくか、どんなふうに生きるかを示唆してもらったと思っています。
それが、具体的に音声ガイドと結び付きました。

さらに、自分たちのくらしているまちに根付くことを願っています。
今回のこのプロジェクトがその役割を果たせるようにがんばりたいと思っています。

夏休み初日となる明日、7月21日の午後、地域のカフェ・レストランを会場に、講演とトークのイベントを持ちます。
それが、このプロジェクトの開始となります。 さぁ、キック・オフ!

今度は『阿賀に生きる』フィルム版のために

2012-04-23 21:35:56 | 部会レポート
今度は『阿賀に生きる』フイルム版のために  
~ どこまで 深くなるぞ 音声ガイド ~

フイルム版のための録音・編集作業  4月9日 、14日

● DVD音声ガイドから、フイルム音声ガイドに進化!?

昨年度、私たちは新潟水俣病のドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』に音声ガイドを作成し、それを録音し記録として残すという作業を果たしました。
それは、現在売られているDVD版に対応するものでした。DVD普及版に対応した音声ガイドを作成することで、いつでもどこでも、バリアフリー上映会が可能になってほしい、そんな願いを込めて、誰に依頼されたというわけでもないのに、録音してその録音を、畏れ多くも、この作品のカメラマンであった小林茂さんや、製作実行委員会の旗野さんにお送りしたりしました。

それなのに、録音し直し?  はい、そうです。
DVD版だけでなく、フイルム版に対応したものを作ってください、と小林さんから声を掛けていただいたからです。そのことを身に余る光栄と思いました。

DVD版とフイルム版の編集が異なっていることは、知っていました。
しかし、私たちは、特別のノウハウを持っていません。音声ガイドを作るためには、シーンごとに何度も再生をかけなければいけないので、DVDでないと取り組めませんでした。
そんな具合に作成したのを知って、昨年の5月4日、恒例の<阿賀の集い>では、それまでのフイルム上映にかえてDVD上映としてくださいました。

もちろん、本末転倒です。
フイルムだからこそ、味わえるものがあります。また、恒例の上映会で上映することは、フイルム保存のためにも必要なことでした。
メンバーからも、DVD上映に変更させてしまったことを反省する声が挙がりました。

でも、私たちの力に余る。せめて、次はぜひフイルム上映とするように私たちから言おう、と思っていました。
そんなところに、小林茂さんから、フイルムを上映したものを撮影し、DVDにしてくださったものが届いたのです。フイルム版の音声ガイドを作ってくれ、と。
オマケに、私たちの作成したガイドの校閲・手直しもしてくださったのです。私たちは、本当に何も知らない、まったくの発意だけのオバサン・グループなのに。

ね。再録音に取り組みたくなっちゃうでしょ。

4月9日の作業風景。 背中は編集の荒金さん。画面を覗き込むのは、我らが誇る朗読の有山さん。

編集の荒金さんは、さがみはら市民活動サポートセンターの紹介で出会った力強い助っ人です。
PC持込で、録音したらすぐに取り込んで編集。
ガイドをコンマ1秒ずらすだけでも、聞こえてくる音が変わることにビックリ。人間の耳ってすごいよね。


● 音声ガイドから映画の奥行きを知りなおす

DVD版とフイルム版が違うことは、当初から知っていました。『焼いた魚も泳ぎだす 阿賀に生きる 撮影の記録』の採録シナリオがそれを教えてくれていました。もっぱら普及版になったときに、字幕スーパーが編集されなおされたからでした。
削除された字幕部分の録音をつづけるなか、気づいたことがあります。

それは、遠藤さんが閉じきっていた船作りの作業場に久々に入ってくるシーン。DVDとフイルムとは、字幕スーパーが画面に現れるタイミングが違っていました。
視覚障害の方は、その障害もさまざまです。光は感じられる方、もやっと影がわかる方。
したがって、音声ガイドも極力画面に合わせて入れていきます。字幕朗読も、字幕が画面に現れるタイミングに合わせていきます。
そのシーンでは、タイミングを合わせるために、描写のガイドと字幕読み上げと順序を入れ替えたのです。

そうしたら――。
映像のニュアンスがはっきりと変わったのです。その場に居あわせたメンバーと思わず深くうなづきました。
そうか、って。字幕のタイミングひとつで、映像の意味が変わるのか、って。

映画を専門とされる方には、当然過ぎることかもしれません。
どちらかと言えば、映画が好きで、よく映画館にも足を運ぶ方だと思っています。
しかし、なんて映画って深いんだろう、って、改めて驚きました。
DVDが便利だからって、どっちも同じだからって、それは乱暴でした。昨年の<阿賀の集い>で、フイルム上映をDVD上映にさせてしまったことの意味を改めて知りました。
まるで、ボランティアだから、善意でやっているんだからトーゼンって、どこかで思っていなかったか。ボランティアの思い上がりを知らされた気がします。


こちらは4月14日の作業風景。左から、荒金さん、有山ゆうきクン、有山恵子さん。
有山さんは母子で参加。字幕読み上げを息子さんが担当。声質の似ているところを狙いました。

● フイルムだからこそ伝わるものがあるから

<阿賀の集い>の元締め・旗野秀人さんは、こう書かれていました。

――DVDで『阿賀に生きる』を最初に見たとき、綺麗すぎて違うものに見えた。画面の皆さんもなんだか居心地が悪そうだった。やはり『阿賀に生きる』はフイルムで見なきゃと思った。

はい、フイルムだからこそ感じられるものがある、と素直に思えます。
だから、いま、フイルムの技術が生きているうちにニュープリントしようという呼びかけに応えたいと思います。

今年の5月4日、恒例の<阿賀の集い>からフイルムのニュープリントのためのカンパ呼びかけが始められます。それは、かつて阿賀の岸辺にくらしていたひとたちへの愛惜の表れとして、また、阿賀の岸辺のくらしを大切にしていく意志として、支えるものになる予感がします。

そして、ニュープリントされたフイルムが生きつづける限り、私たちのつたない音声ガイドが、どこかでささやかに役立ってくれるかもしれない・・・。
今始まるニュープリントの動きに、私たちもまた夢を見ています。

『阿賀に生きる』フイルム・ニュープリントのカンパ受付窓口
郵便振替口座 00660-4-10904   加入者名 旗野秀人
1口 = 5000円

フォトシティさがみはら 写真鑑賞ガイドの取り組み

2011-11-04 23:29:14 | 部会レポート
写真作品が市民ギャラリーの空間に拡がっていく
~ フォトシティさがみはら写真賞受賞作品展における
写真鑑賞ガイドの取り組み ~


相模原市・市民ギャラリー
2011年10月16,22,29,30日


もっともっと、ガイド作成のヘルプが欲しかったけど・・・

昨年にひきつづき、伝えるネット・音声サポート部会は、「フォトシティさがみはら写真賞授賞作品展」を視覚障害者とともに見る試みに取り組みました。

そのために、事前に受賞作の写真データをいただいて、言葉による説明・ガイドの輪郭を作文したり、何点かピックアップした作品の立体コピーを用意したりしました。ガイド作成には、中・高校生にも参加してもらいました。


写真のガイドをするためには、写真そのものを見ることが大切なのはもちろん、その作品のテーマや撮影者についての知識があることも大事です。

ことに、「さがみはら写真賞」は写真集を対象に授与されるので、写真集のほかの作品を確かめ、写真家の意図や姿勢を知っておいて、作品ガイドを作りたいと思いました。

もちろん、事前に言葉をさがして写真のガイドを用意するからといって、そのまま使うわけではありません。何よりもともに写真を見ようとする視覚障害者との人間的出会い=コミュニケーションが基本となるからです。


去年とはちがって、写真展にとって押しかけボランティアではなく、実行委員会がバリアフリーとすることを支持してくれていたので、事前情報の提供をうけることができました。

しかし、先に述べたように、写真集や撮影者の情報、また、写真そのもののデータにしても、物足りず不安でした。

なので、私たちがガイドとして待機していた初日、16日に視覚障害者の来場がなかったのは、逆に幸いだったと振り返っています。当日、初めて「フォトシティさがみはら」の今年度版ガイドブックを手にすることができて(校正刷りでもいいから、事前にほしいって言ってみたんだけどね・・・)、写真集を手にとることができて、また、展示を直に見て、ガイドの手直しや作成する時間にできたからです。


10月22日は、津久井からのお客様

初めての視覚障害者の来場者となったのは、津久井からお見えになった外山さんでした。

外山さんは、2009年に私たちが『チョコラ!』の上映会を相模大野で開催したとき、見に来てくださって、そのときが初めての音声ガイド上映会体験だった方です。2010年2月の「写真展 水俣を見た7人の写真家たち」にも来場してくださった、とっても好奇心旺盛、フットワークも軽い方です。


今回は、【バリアフリー映画鑑賞団体 シティライツ】のメーリング・リストで情報を知ったと、事前に連絡いただき市民ギャラリーのあるJR相模原の改札口までお迎えに行きました。

外山さんは、とても、お優しい話し方をされる方です。その優しさにつられて、途中で休憩をいれて、2時間以上もガイドさせていただきました。



写真は、外山さんに用意した立体コピーに触れてもらっている様子です。立体コピーの利用については、私たちも半信半疑、試行錯誤の真っ最中でもあり、外山さんに確かめてもらいたい気持ちもあって、体験していただいたのです。

外山さんは、とても申し訳なさそうに「こういうものに触れ馴れた方だったら、もっとよくわかるでしょうけど・・」と気を遣った様子で感想を口にされました。


外山さんのおかげで、PC処理したものをそのまま立体コピーにしたものでは、無理があることがわかりました。そして、次のガイドの日にそなえて、アウトラインを起こしたものを用意することができました。ほんの少し、すり足程度でしょうが、利用法に近づくことができたと思っています。外山さん、ありがとう。


外山さんの姿は、白杖をカバンにしまってしまうと、視覚障害者に見えません。でも、会場を移動するのにスムーズというわけにはいきません。ガイドをしていた私たちの配慮がなかったのは、責められるべきですが、ちょうど居合わせた男性の来場者に不愉快そうに「見えないじゃないか」と声を掛けられたのは心外でもありました。会場は、混雑していたわけでもなく(ガラガラでした)、順路を工夫することだってできたからです。もし、私たちがガイドという腕章をかけていたら、違っていたでしょうか?

いえ、やはり、配慮をもって晴眼者のじゃまにならないようにするべきだったのでしょうか? 

もし、会場に「バリアフリー写真展となっています。障害のある方とともに鑑賞を楽しんでいただけますように」というような、注意書きがあったら、また、違っていたでしょうか?


外山さんは、沖縄に行かれたこともあるそうです。ことさら、今年の「さがみはら写真賞」受賞者の石川真生さんの作品に興味を持たれたようでした。沖縄で金網のフェンスに触らせてもらったこともある、とのことでした。いきおい、石川真生さんのことを話題にして、「オキナワを撮ることに、エベレストより高い誇りを持っている」と言われたことや、人工肛門を見せるセルフ・ポートレイト作品があることなどを伝えたら、外山さん、すごく興味を持たれて、翌日の23日にあった石川真生さんのギャラリー・トークに来たい、と言われたのです。


残念ながら、私たちの誰も予定があって、23日にガイドできません。写真展スタッフに相談しても、「自分でなんとかしてください」の返答。

そこで、写真展を見終えたあとにJR相模原駅の改札口(駅ビルの3階にあたります)から駅ビル4階の市民ギャラリーにひとりで行けるよう道順を覚えていただく案内をさせていただきました。


翌23日、お願いしていた通り、外山さんから「無事に市民ギャラリーにたどり着きましたよ」と携帯電話に連絡いただいて、ホッとしました。(会場でヘルプしてくださった江成夫人には、深謝です。)


10月29日は、市内視力障害者協会の女性部のみなさんをご案内

女性部のみなさんは、去年につづく2度目のご案内となりました。

外山さんには申し訳ないようですが、外山さんのガイド体験をもとに、まず、写真鑑賞にどれぐらいのお時間がいただけるかを確かめて、ガイドをはじめさせていただきました。外山さんのおかげで、どんなガイドでどのくらい時間がかかるかも見当がつけられるようになったのは、本当にありがたいことでした。



今年の「さがみはら写真賞」受賞者は11年目にして初めての女性写真家・石川真生さん。やはり同性の、テーマはオキナワとあって、関心を持たれたようなので、丁寧にガイド。

アマの部の受賞作を含め、たっぷり1時間強のガイドをさせていただきました。

立体コピーもアウトラインを加えて、それなりにわかりやすくなったかな・・・?

いやいや、立体コピーの活用法については、もっともっと試行錯誤を繰り返す必要がありそうです。

それがわかっただけでも、成果。


帰りのとき、「あなたたちも馴れてきて、うまくなったんじゃない?」と言われたのが忘れられません。


10月30日、開始時刻前からお見えくださったお客様

私たちのガイドの取り組みの最終日にお見えになったのは、やはり【シティライツ】のメーリング・リストで写真展ガイドを知ったという稲城市から見えた方でした。

開始の10分前から会場入り。連日、市民ギャラリーに通って、通い馴れてきていなかったなら、私たちの方が遅刻してお待たせしてしまったかも。


彼は、「とても楽しみにしてきたんです」と、どれだけでもガイドください、と言われました。

ホント、音声ガイドに取り組んで良かった!

市内の外山さんだって、市民ギャラリーに足を運ぶのは、初めて、と言われていたのですもの。稲城から、楽しみにしてお見えになられたお客様のご案内ができて、嬉しかったです。



特に色を説明するととても嬉しそうにしてくださって、帰り際、「本当に楽しかった」と言ってくださいました。

はい、私たちこそ、珠玉の時間をいただきました。来場してくださったみなさん。ありがとうございました。