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10月のショパン2

2017-10-05 12:35:11 | ピアノ教室
雨だれと名付けられたこの曲は、ショパンの曲の中でも有名な曲です。
1838年、ショパンが28歳の時、ショパンの最後の恋人ジョルジュ・サンド(作家)と地中海の孤島『マジョルカ島』へ転地療養に行っていた時に作曲されました。
この療養、当時パリで奔放なジョルジュ・サンドとの恋の噂で持ちきりだったこともあり、恋の逃避行とも言われています。
しかし、ショパンの健康状態は、悪化の一途をたどっていて、どちらにしても2人にとってベストな事と考えられたのでしょう。

マジョルカ島に到着した当初は、
『ターコイズブルーの青い空、瑠璃色の海、エメラルドグリーンの山並み。そして空気が澄んでいること。太陽は日がな一日輝いている。暑いので誰もが夏服だ。夜ともなれば、ギターや歌がいつ果てることなく続く。ぶどうの蔓が絡まる大きなバルコニーがいくつもある。城壁はアラブ人がこの島を支配していた時のものだ。まちもそして何もかもがアフリカをおもわせる。とにかく素晴らしい生活だ!』と珍しく興奮した様子だったそうです。

愛の理想的な避難所に見えたこの島は、住んで見れば、設備の悪さ、住人の不潔さで早速彼らは悩まされます。

そして季節は秋、10月になると、地中海性気候の雨の多い時期に入ります。長く降り続く雨は、雨だれの前奏曲完成に大きく影響したと言われています。

日本の梅雨は初夏から夏の間に降り続く雨で、蒸し暑く、過ごしにくいと思われますが、その先にあるのは、陽の光に満ちた明るい夏。

でも秋の雨は、暗く、寒くて辛い長い冬の訪れに繋がっていきます。

その先に明るい気持ちを抱けない、厳しさを感じる雨季…

ショパンたちが借りていた風の館とよばれていた別荘は、湿気と寒さの牢獄に変わったと言われています。

結核が悪化したショパンは喀血を繰り返し、恐ろしい伝染病と恐れた村人たちに別荘を追われ、断崖にそそり立つ、ヴァルデモーザの僧院に向かうことになります。


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雨だれというのはショパンがつけたタイトルではありません。彼は自分の作品には、ワルツ、練習曲、マズルカなど一般的な名称しかつけなかったようです。

この曲にまつわるエピソードは、よく知られたものがあります。

サンドと子どもたち(ショパンの子ではなく、サンドがかつて結婚していた時にもうけた子どもたち。のちに離婚)が激しい雨の中を帰宅してみると、ショパンはピアノを弾きながら夢と現実を混同して、自分もサンドたちも死んだものとおもいこんでいた、というもの。

サンドの『我が生涯の物語』によると『その音は僧院の屋根に音を立てて落ちた雨だれであっても、彼の幻想と歌の中に彼の心の上に空から落ちる涙によって置き換えられた雨だれだった。』
『天才のうちなる自然の不思議な和音が外部の雨音に呼応し、外界の自然が内部で不吉な共鳴音を響かせていた』と言われています。(サントリー音楽文化展 見果てぬ愛の夢をピアノに託して ショパンとジョルジュ・サンド 中島弘二著より)

この曲が作曲された当時の、ショパンの健康状態、恋人との関係、療養先での生活、季節の移ろい、気候…

演奏する時にも、こんな状況であったことに想いを馳せて弾いてみてください。

次回は、ジョルジュ・サンドってどんな人?
ショパンは?

それぞれの人物像について少しお話したいと思います!

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